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「角田美代子に物言えたのは息子だけ。あとは奴隷」と関係者

2013-01-18 23:47:08 | 日本ニュース

 

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「角田美代子に物言えたのは息子だけ。あとは奴隷」と関係者
NEWS ポストセブン 1月18日(金)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130118-00000011-pseven-soci


 主犯格の獄中死という最悪の結末を迎えた尼崎連続変死事件。今となっては事件の動機すらはっきりしない。事件発覚から3か月――。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏が舞台となった尼崎を隈なく歩き、角田美代子の修羅がいかに育まれたかを炙りだす。(文中敬称略)

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 高級マンションにほど近い杭瀬駅のアーケード街の奥は空いたテナントが目立ち、タコ焼き屋や接骨院やスナックがポツポツと並んでいた。二〇〇〇年代の半ば以降、美代子はこの道を通る時、かならず十名近い「角田家」の人々を引き連れていた。
 
 商店街の人々の目には、彼らの風体は異様に映った。美代子はボサボサの髪で顔が半分隠れており、角田瑠衣と恋人のように手を握り合っていた。李正則は刺青の入った巨漢、角田健太郎は長髪のジーンズ姿、東頼太郎は常に美代子の顔色をうかがっていた。
 
 美代子は普段ほとんど口をきかなかったが、一言いえば全員が慌てて従った。パチンコ友達として三年ほど付き合いのあった人物は語る。
 
「おばはんが独裁者。その下にいるのが息子の優太郎と健太郎だ。おばはんに物を言えるのはそのうち優太郎だけ。健太郎も含めて、あとは全員奴隷や。ハナちゃん(瑠衣のあだ名)はいつもおばはんにべったりで、まるでレズの恋人みたいに腕にしがみついて、『おかあちゃん、おかあちゃん』と愛嬌を振りまいていた。
 
 命令は絶対で、マンションでの食事の時におばはんが『食え』言うたら、マサ(李正則)は怯えたように糖尿病のインシュリン注射を打ちながらバクバクひたすら肉を食いつづけとった。このままじゃ死ぬぞ、と思ったけど、絶対に口答えは許されん感じやった」
 
「角田家」の中で美代子が独裁者ほどの権力を握るようになったのには理由がある。彼女は方々から人を集めて一族を作ったが、社会的な落伍者が含まれていた。
 
 たとえば正則はヤクザの父と薬物で逮捕歴がある母の間で生まれ、二十歳そこそこで暴力団からさえも追い出されて、薬物で逮捕されてからは行き場を失っていた。他にも放っておけばギャンブルや酒におぼれて借金まみれになったり、社会で生きることを途中で捨てたりした人間がいた。そんな者たちを一家としてまとめるには、強大な力で抑え込む必要があった。
 
「おばはん、女だから腕力で人を従えさせることはでけへんから、言葉でそれをしとった。よく『いつでも組のもんを呼べる』と吹いとったようです。マサたちは何度もそう言われているうちに疑う気持ちがなくなり本気でビビッとったようです」
 
 これを単なる「洗脳」という言葉で片付けてはいけない。重要なのは、「角田家」の秩序は良い意味でも悪い意味でも美代子の力によって保たれていたことだ。これを如実に示す暴行事件がある。犠牲者の顔に泥を塗る危険を孕むが、家族における美代子のありかたを考えるのに必要な逸話なのであえて記したい。
 
 この事件は二〇一〇年七月に起こった。当時、美代子は川村博之の娘Bをマンションに住まわせ、全員でかわいがっていた。ゆくゆくは瑠衣のように「角田家」の娘にするつもりだったのだろう。そんな中に角田家で共同生活を営んで30年以上経つ男がいた。捜査関係者は語る。
 
「マンションで美代子たちはBを相当かわいがっておったようです。まだ若い女の子だったので娘のように面倒を見ていたのでしょう。でも、この男がこともあろうことか、Bに性的ないたずらをしたんです。美代子は家族の絆を壊すつもりかと激怒し、男をバルコニーにあった監禁小屋に閉じ込めたんです」
 
 美代子は激高すると誰の手にも負えないほどの狂気に陥る。彼女は男に手錠をはめ、猿ぐつわをさせ、飲食を制限した。仲間もやむを得ないとして協力した。だが、結果として彼は衰弱死し、「埋めるのは大変」という理由からドラム缶にコンクリート詰めにされることになったのだ。

※週刊ポスト2013年1月25日号

 

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<尼崎連続変死>茉莉子さん虐待写真 6万枚押収の一部に
毎日新聞 1月18日(金)2時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130118-00000020-mai-soci


 兵庫県尼崎市の連続変死事件で、自殺した角田(すみだ)美代子元被告(当時64歳)や親族らが、遺体で見つかった仲島茉莉子さん(発見時29歳)らを自宅マンションで虐待している様子を撮影した写真が、兵庫・香川両県警合同捜査本部に押収されていたことが、関係者への取材で分かった。捜査本部は死亡との因果関係を巡る重要な物証とみて、詳しく分析している。

 関係者によると、押収された写真はパソコンに入っていたデータで、計約6万枚に上るといい、その一部に茉莉子さんの顔が腫れた写真などが含まれているという。美代子元被告は、茉莉子さんの食事の作法について「いやしい」などと文句を付けて、懲罰として親族に暴力などを指示していた疑いもある。

 捜査本部は、茉莉子さんへの殺人容疑などを視野に、美代子元被告の親族から死亡の経緯について詳しく事情を聴いている。【椋田佳代】


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【尼崎事件・角田美代子の人生】姓が頻繁に変わった理由とは
NEWS ポストセブン 1月17日(木)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130117-00000012-pseven-soci


 兵庫、香川、滋賀で平穏に暮らしていた4家族を離散させ、死者・行方不明者は10人を超えるという犯罪史上最大級の尼崎事件は、主犯格・角田美代子の獄中死という最悪の結末を迎えた。事件発覚から3か月――。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏がその人生を追った。(文中敬称略)

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 一九九〇年代の後半、尼崎の南部の町は、バブルの崩壊と阪神・淡路大震災を経て全盛期とは比べるべくもないほど衰退していた。国鉄尼崎港線は廃線になり、飲屋や歓楽街はシャッター街と化した。震災によって傾いた家は一部そのままになって残っており、通行人もまばらだ。

 現在の尼崎の生活保護受給率三・九九%は、県下で最も高い。地元の福祉関係者によれば「尼崎の南側は、戦後に集団就職でやってきた人々が工場の閉鎖とともに職を失い、生活保護や障害者年金を元手に飲み歩いていることが多い」という。また、大阪の貧困者が生活保護の申請が簡単に通るという噂を聞いて移住してくることもある。

 ある夫婦は月額十四万ほどの生活保護費を二人分もらうために離婚して別々の表札を平屋の前につけているし、別の夫婦は障害者を養子にもらって障害者年金を手に入れていた。今回の事件報道で美代子たちの姓が頻繁に変わることに戸惑う読者もいるかもしれないが、生活保護を利用して生きる一部の人々にとってみればさして驚くことではないのだ。

※週刊ポスト2013年1月25日号

 

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角田被告の自殺は「ファミリーの裏切りがきっかけ」との分析
NEWS ポストセブン 2012年12月27日(木)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121227-00000001-pseven-soci&pos=2

 

 邪悪このうえない事件を次々と起こしておきながら、自死を遂げた角田美代子被告(享年64)。そのきっかけは、自分が事件に引き込み、支配してファミリーを形成していたはずの共犯者が、次々と彼女を裏切り始めたことだった。

 角田被告と留置所をともに過ごした女性の証言によると、角田被告は2012年9月中旬から、明らかに“脅え”を見せるようになっていた。それはこの時期、決して自分には及ばないと高をくくっていた一連の殺人が、徐々に明らかになりつつあったからだ。捜査関係者が明かす。

「これまでに、一連の事件で逮捕されているのは角田被告の他に7人いて、いずれも彼女とは養子縁組などによって縁戚関係にある。当初は自分のことは話しても、角田被告のことは全く話をしようとしなかった。ところが、9月に入った頃からか、ようやくポツポツと『美代子が主犯で、指示をされた』などと自分から話し出すようになってきた。各々の供述をすり合わせ、本丸の角田被告の取り調べを本格化させていったのが9月中旬頃からなんです」

 角田被告の「内縁の夫」の鄭頼太郎被告(通名・東)、「長男」の角田優太郎被告(25才)、その妻の瑠衣被告、角田被告の「養子」の健太郎被告(30才)、「義理のいとこ」の李正則被告、「瑠衣の姉の夫」だった仲島康司被告(42才)、「義妹」の角田三枝子被告(59才)──いずれも血の繋がりがないこの7人は、角田被告の“ファミリー”として事件にかかわっている。

 角田被告が彼らに恐怖を植え付ける一方、“家族の絆”を利用しながら巧みに心を操るという支配の力が完璧だったからだ。ところが、角田被告とともに昨年11月に逮捕されてから1年足らず、その支配力は徐々にゆるみ、呪縛が解かれつつあった。

 他のファミリー以上に角田被告に寵愛を受けていたと言われる瑠衣被告ですら、取り調べにこう答えるようになっていた。

「常に監視されているようで、息苦しかった。美代子が逮捕されてから、重荷が取れて自由になりました」

 角田被告の「支配欲」について語るのは、犯罪心理学に詳しい六甲カウンセリング研究所の井上敏明さんだ。

「角田被告は男性性の強い女性だったと考えられます。攻撃的で支配欲が非常に強い。いわば、人を支配することで、自分の人格を成立させている部分があります。その角田被告にとって、支配していたはずのファミリーの離反が、大きな痛手だったことは想像に難くありません」

 井上さんは、角田被告の支配欲は、生育環境に原点があったと分析する。

「おそらく彼女自身、幼い頃に親から暴力を受けていたのではないか。その時の心の傷が行き場のない欲求不満となって、支配欲に繋がっていったと考えられます。彼女が無条件に、理不尽に人に危害を与えることが平気なのは、親に同じようなことをされていたと推測されます。長じてから人を従えさせる術を身につけ、今度は支配欲求の快感を覚えるようになったのでしょう」

 角田被告は1948年、兵庫県尼崎市で左官工を営む家庭に生まれている。中学3年生時の担任教師は、「愛情のない家庭に育ったようだ」と語っている。実際、角田被告の父親は遊郭に入り浸り、母親は放任主義で、角田被告が警察に補導されても迎えにも行かなかったという。

 中学生になった角田被告は、常に5~6人の男を従えて歩き、学校内でも恐れられる存在だった。そうして培われた強烈な支配欲こそ、角田被告が獄中自殺を選んだ理由だったと、前出の井上さんはとらえている。

「逮捕され、拘置された角田被告は、支配する側から支配される側になった。まずそれが耐えられない状況なわけです。そのうえ、支配していたはずの“ファミリー”の離反によって、そこから抜け出すことができなくなっていく。そこで今度は自分の体を自分で殺すことで、自分自身を支配しようとしたのだと思います」

※女性セブン2013年1月10・17日号
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嘘で支配 角田被告と北九州4人組ナース保険金殺人の共通点
NEWS ポストセブン 2012年12月29日(土)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121229-00000000-pseven-soci&pos=3

 

 兵庫県警本部の留置所内で自殺した角田美代子被告(享年64)。死者6人、行方不明者4人という稀代の凶悪犯罪は、角田被告が“ファミリー”を支配し、共犯者へ、そして被害者へと変えていった──。

 女性が複数の人間を支配し、死に追い込んだ事件は過去にも起きている。2002年に発覚した福岡県の「4人組ナース連続保険金殺人事件」がそのひとつ。2010年3月に最高裁で死刑が確定した吉田純子受刑者(53才)が、看護学校時代の友人ら3人の看護師に荒唐無稽とも思える嘘を信じ込ませ、共同生活で自分が支配者となって、最初は詐欺を、やがて保険金殺人を実行させた。

 たとえば共犯者の1人、堤美由紀受刑者を自らのマンションに同居させたきっかけは、吉田受刑者のこんな嘘だった。

「元交際相手がヤクザを使ってあなたを拉致し、ソープで働かせた後、東南アジアに売り飛ばそうとしている」

 そう言って、堤受刑者を脅えさせて自分のマンションに同居させると、吉田受刑者は堤受刑者にレズ関係を強要したうえ、給与をすべて自分の懐に入れ、さらに堤受刑者の母親の金も騙し取っている。

 同様の方法で2人の看護師からも金を騙し取り、そのうえで2人も自らのマンションに住まわせた。

 吉田受刑者はさらに大きな金を手にしようと、3人に保険金殺人を命じる。この時も吉田受刑者が使ったのは巧みな嘘による支配だった。例えば──。

「ご主人は、外に愛人ば囲っとうよ。あなたと子供に5000万円の保険をかけとっと。交通事故を装って殺そうとしとるたい」

 夫婦間に楔を打ち込むと、心を支配し、言うがままに操っていったのである。

 そしてもうひとつが、信者6人が殺された「福島祈祷師殺人事件」。主犯のA元死刑囚(享年65)は2012年9月に死刑が執行されたばかりだ。前出の深笛さんが解説する。

「信者たちは物理的に監禁されていたわけではありません。ある女性信者は、“帰るなら、洋服は神様のものであるから、裸で帰れ”“肉体も神様のものだ。肉体を置いて帰れ”などと言われて帰れなくなりました」

 夫の借金苦から新興宗教団体を転々としたEは、地元・福島県須賀川市に戻って自ら祈祷師を名乗り、「手かざし」による治療や相談を始めた。やがて熱心な信者を自宅に住まわせるようになり、「神様」として君臨するようになる。

 1日1食しか与えず、水もほとんど飲ませず、トイレに行くことも我慢させる。そのうえで暴行を加え、ついに女性信者を死なせてしまう。それでも信者たちはAの「死んではいない」という作り話にすがり、Aの元にとどまっていたのである。

『狂気という隣人』(新潮社)などの著書もある精神科医の岩波明さんは、角田被告と吉田受刑者、Aの3人の共通点をこう指摘する。

「精神医学的に言うと『サイコパス(精神病質)』というのですが、人間的な感情をほとんど持たないという特徴があります。周囲の人々を良心の呵責を感じることなく騙し、命まで奪っていく。3人とも、ためらいなく、時には楽しみながら犯罪を遂行しているように感じます」

※女性セブン2013年1月10・17日号
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仙台の刑務所 受刑者は3食付くが看守は食事もままならない
角田、木嶋、林、上田 女の連続殺人は世界的にも金絡みが多い
尼崎遺棄事件角田被告は「反社会性人格」と社会心理学者分析

 

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尼崎遺棄事件角田被告は「反社会性人格」と社会心理学者分析
2012.10.26 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20121026_151364.html

 

 兵庫県尼崎市の民家から3人の遺体が発見され、さらに多数の行方不明者が出ている事件。その中心人物されているのが角田美代子被告(64才)だ。

 この事件に関しては、少なくとも3つの家庭が関わっているとされている。いずれの家庭も周囲では評判の仲の良い一家だった。それが、ある日突然、角田被告がその家庭に出入りするようになると、子供が親を死ぬほど痛めつけたり、きょうだい同士が壮絶な殴り合いを繰り広げたりするようになる。そしてひとりいなくなり、ふたり消え、誰もいなくなる。

 一体なぜ、次々にこのような事態が起きてしまったのか? 宗教やマインドコントロールに詳しい紀藤正樹弁護士はこう分析する。

「マインドコントロールは宗教など外に向かって行うよりも、家族間などで対立を煽ることで、簡単にできるものなんです。家族間の問題は他人に相談することが難しいどころか、周りの目を気にすることで余計に窮屈になってしまうことがあります。家族はそれだけ難しいバランスによって成り立っています」

 虐待、DVのほか、昨今、親の所有物としてコントロールされてきた子供たちが増殖していることが社会問題となっている。事件化こそしていないが、これもまた現代社会が抱えるひとつの闇といえよう。

「だからこそ、角田被告のような人物が内側から煽っていけば、家族関係が簡単に壊れることもある。殴り合う事態にまで至ることも、決してハードルの高いことではありません」(前出・紀藤弁護士)

 今回と同じような事件が、2002年3月に発覚した福岡県北九州市の監禁連続殺人事件だった。主犯とされ、昨年12月に死刑が確定した松永太死刑囚(51才)は、内縁の妻だった緒方純子受刑者(50才・無期懲役)を使って緒方受刑者一家に取り入ると、一家を監禁。1996年2月から1998年6月のわずか2年4か月足らずで、計7人が家族間で殺し合うという前代未聞の事件となった。社会心理学が専門の立正大学・西田公昭教授が説明する。

「松永死刑囚も角田被告も、まず自分の味方となる人間を探します。松永死刑囚の場合は緒方受刑者、角田被告の場合は瑠衣被告であり、大江和子さん(遺体で発見)の次女の元夫・川村博之被告(42才)がそうです。

 松永死刑囚も角田被告も味方につけた人物の弱みや不満を見つけ、そこに取り入って責めたり褒めたり、アメとムチを使っていく。そして、その味方からさらなる味方を作っていき、自分のいうことを聞く人を増やし、夫婦間、親子間で裏切らせたり、憎しみ合わせたり家族の絆を切っていくのでしょう」

 その際、最大のツールとなるのが“嘘”だ。角田被告は、一見豪華に見えるマンションに住み、客に食事をふるまい、誘い込もうとしていたが、実際には他人名義で借金まみれの生活を送っていた。角田被告は、いったいどんな心理状態にあるのだろうか? 前出・西田教授が説明する。

「嘘をつくことに何のためらいも抱かない反社会性人格障害といえるでしょう。まったく相手のことを考えずに権謀術数を使い、100%自分の道具として使うために、暴力さえも何とも思っていない。自分の欲望を遂げるためには手段を選ばないタイプの人格です」

※女性セブン2012年11月8日号

 


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【尼崎・美代子の人生】3度目の結婚相手はうだつ上がらぬ男
NEWS ポストセブン 1月16日(水)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130116-00000001-pseven-soci&pos=1

 

 兵庫、香川、滋賀で平穏に暮らしていた4家族を離散させ、死者・行方不明者は10人を超えるという犯罪史上最大級の尼崎事件は、主犯格・角田美代子の獄中死という最悪の結末を迎えた。事件発覚から3か月――。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏がその人生を追った。(文中敬称略)

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 一九七〇年、尼崎は阪神工業地帯の中核都市として人口五十万人を越えるまでに様変わりしていた。朝鮮、沖縄、九州出身者の数もさらに膨れ上がり、駅前の居酒屋の看板には「ホルモン」「奄美」などの文字が躍った。赤提灯の居酒屋では、関東から来た者たちまでもが肩を寄せ合い、飛び交う方言の中で酒を酌み交わし、好景気を謳歌していた。

 美代子は二度目の離婚と時を前後して、二十歳を越えた頃に横浜の伊勢佐木町へ進出した。尼崎での管理売春の仕事を通して、海路で結びつく横浜の人間との人脈を作り上げたのだろう。彼女はラウンジ「A」を経営し、数人の女性を雇った。

 当時、伊勢佐木町は関東でも有数の歓楽街で、「親不孝通り」と呼ばれる路地にはスナックから売春施設までが所狭しと密集し、高度成長に浮かれた男たちが現金を握りしめて集まっていた。当時を知る元キャバレーの従業員は語る。

「ここらへんにはちょんの間もありましたね。Aが売春の店かどうかはわかりません。ただ、窓にはいつもカーテンが閉まっていた。近所の話では、お客さんに睡眠薬を入れたお酒を飲ませて身ぐるみはいだことがあったみたいです。警察が来ていたこともあったようです」

 この店で、美代子に雇われていたのが三枝子(*注)だった。後に義理の妹となって逮捕される女性である。もともと母親同士が水商売の知り合いで、三枝子は母とともに美代子の実家に間借りしていた。美代子は弟の同級生だった彼女を妹分として仲良くしていたにちがいない。

 ただ、三枝子はゴリラに似た風貌で「ゴリっぱち」と揶揄された美代子とは違い、細身で目鼻立ちがくっきりとしている現代風の美女だった。

 美代子は三枝子を特にかわいがり、やがてママとして店の切り盛りを任せるようになった。美代子は自分に欠けている女としての振る舞いや生き方を三枝子に担わせようとしたのかもしれない。三枝子も彼女を「お姉ちゃん」と呼んでなつき、「子供ができたらお姉ちゃんにあげるね」と約束していた。

 そんな折、美代子は知り合った東(鄭)頼太郎と内縁の関係となる。尼崎で育った二歳下の在日韓国人だ。頼太郎は中学卒業後、鉄工所、タクシー会社、運送会社など職を転々とし、美代子と知り合った際も同級生に「俺を食べさせてくれる女が現れた」と喜ぶ、うだつのあがらない男だった。

 これを機に、美代子は母方の祖母と叔父が住む尼崎の家に拠点を置いて「東」と名乗り、頼太郎を養う。二度の離婚によって結婚を諦めながらも、ずっと家庭を持ちたいという気持ちがあったのだろう。

 だが、三たび離婚して傷つくのはプライドが許さない。そこで言うことを聞く男と内縁関係を結んで「家族」を築いたのだ。弱い者を服従させて自分の世界を作り上げるのは左官業の父親の影響に違いない。美代子は「女」であることを捨て、家長になることを目指したのだ。

【*注】角田三枝子:40年以上前から美代子の義理の妹として行動を共にする。美代子が経営した横浜のラウンジの店主を務め、美代子が最も信頼を寄せていた。2001年に橋下久芳と結婚。美代子の実子とされていた優太朗の血縁上の母。

※週刊ポスト2013年1月25日号
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