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<賤ケ岳合戦>黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文書発見

2013-05-10 22:45:30 | 日本ニュース

 


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<賤ケ岳合戦>黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文書発見
毎日新聞 5月10日(金)19時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130510-00000057-mai-soci


 

賤ケ岳合戦の際に秀吉から秀長へ送られた文書=長浜城歴史博物館蔵
 滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は10日、戦国時代の賤ケ岳(しずがたけ)合戦(1583年)の際、羽柴秀吉が戦略を指示するために自陣に送った古文書を発見したと発表した。文書には「官兵衛」の名があり、秀吉の天下取りを支えた軍師・黒田官兵衛が参戦していたことも明らかになった。同館によると、賤ケ岳合戦の様子は江戸時代の軍記物に記されているが、当事者が戦略まで記した文書は極めて珍しいという。

【古文書の該当部分を拡大】「官兵衛」の墨字や秀吉自筆の花押「悉」

 賤ケ岳合戦は、織田信長の没後、賤ケ岳(現在の長浜市)周辺で家臣の秀吉と柴田勝家が戦い、秀吉が勝利。信長後継者の地位を固め、天下統一の足がかりとした。

 文書は、最前線で柴田軍と対峙(たいじ)し続ける弟の秀長(ひでなが)に送った墨書「羽柴秀吉書置(かきおき) 羽柴秀長宛」(縦30センチ、横45.4センチ、同年3月30日付)で、同館が購入した。秀吉の右筆(ゆうひつ)(秘書役)が「(秀吉側の)砦(とりで)周囲の小屋は前野長康、黒田官兵衛、木村隼人の部隊が手伝って壊すべきこと」などとする墨書を記し、秀吉自筆の花押(かおう)「悉(しつ)」がある。

 同館によると、当時、砦(陣)外の平地には兵たちの野営小屋が並んでいた。秀吉が小屋の破壊を命じた理由として(1)後方から大部隊を最前線に送り込む時に小屋が邪魔になる(2)小屋の破壊で陣が動いたように見せかけ、敵を先に動かす挑発--が考えられるという。ただ、この命令は実行されず、両陣営は同年4月20、21日に激突した。

 同館の太田浩司(ひろし)副館長は「戦略家の秀吉がひらめいた挑発行為の可能性があり、興味深い。この合戦を細かな軍略まで記した史料は極めて少なく貴重だ」と分析。小和田哲男・静岡大名誉教授(戦国史)は「これまで推測でしかなかった、官兵衛の賤ケ岳合戦参戦が確実になった点でも一級史料と言える」とコメントしている。【桑田潔】
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<出雲大社>60年ぶりに本殿遷座祭 「神様の引っ越し」
毎日新聞 5月10日(金)21時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130510-00000108-mai-soci

 

本殿遷座祭で、白い絹垣に包まれ仮殿から本殿へ向かうご神体=島根県出雲市の出雲大社で2013年5月10日午後7時40分、望月亮一撮影
 島根県出雲市の出雲大社=千家尊祐(せんげたかまさ)宮司=で10日夜、「平成の大遷宮(だいせんぐう)」として60年ぶりの大規模改修を終えた本殿に仮殿からご神体を戻す「本殿遷座祭(せんざさい)」が営まれた。国宝の本殿にご神体が戻るのは2008年4月以来で、氏子や遷宮に携わった関係者ら約1万2000人が「神様の引っ越し」を見守った。

【写真特集で見る】神秘的な雰囲気の中、本殿へ向かうご神体

 午後7時、神事の参加者全員がおはらいを受けて始まった。ちょうちんがともされ、千家宮司と天皇陛下の勅使が仮殿で祝詞とご祭文(さいもん)をそれぞれあげた。

 神職ら約120人が行列を作り、白いカーテン状の絹垣(きぬがき)に包まれたご神体を神輿(みこし)に載せて仮殿から運び出した。本殿を取り巻く瑞垣(みずがき)を時計回りに1周した後、本殿に向かった。「おー、おー、おー」という神職の掛け声「警蹕三声(けいひつさんせい)」が響き渡り、ご神体の帰還を告げた。

 【金志尚】

 ◇ 出雲大社 

 縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祭る。本殿は1952年、国宝に指定された。神社建築の最も古い様式の一つである「大社造り」で、現在の本殿の高さは約24メートル。古代には約97メートルあり、その後約48メートルになったと伝えられる。2000年に境内から出土した巨大柱は大木を3本1組にしており、高層神殿だった可能性が高まった。年間延べ参拝者数は約250万人。
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