かなり久しぶりの更新となりました。
自分の人生の時間は限られている、最近特にそう思います。
別に今現在、病気だとか体調が悪いとか、
そういうのではないのですが、
連休中に両親と接していたり、
20代の若者と接していたり、
ウクライナの戦争や、地震のニュースを見たりしていて、
明日があるということの有難みを感じます。
一方で、60、70代になっても新しいことに挑戦したり
楽しんでいる方々を見ると、人生の先輩のお手本のようにも感じます。
何を今更当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれませんが、
あなたの周囲で、このことを腹落ちして、日々の生活に反映している人が
どれだけいるでしょうか。
ふと思い出すことはあっても、日々の生活に忙殺されて、
やることがたくさんあって、それに追われているだけで
一日が終わってしまう。
そんなことになっていないでしょうか。
この連休明けの明日から、
私自身もあらためて自分の生活を見直したいと思っています。
悲しみと折り合いをつけていくには、
ひとつひとつ、毎日、毎日の歩みが大切です。
離婚は相手との関係性のなかでの出来事で、どうにもできないことが多いですが、
自分の人生、時間だけは、誰の影響も受けない、あなた自身のものです。
それをどうやって過ごしても、何もしなくても、時間だけは過ぎていきます。
将来後悔するかどうかは、私も人生半ばですから、知る由もありませんが、
今を後悔しないように生きることはできるはずだと考えます。
その積み重ねの先が人生終焉につながるのだとも。
今日もあなたらしい一日を過ごせますように。
自分の人生の時間は限られている、最近特にそう思います。
別に今現在、病気だとか体調が悪いとか、
そういうのではないのですが、
連休中に両親と接していたり、
20代の若者と接していたり、
ウクライナの戦争や、地震のニュースを見たりしていて、
明日があるということの有難みを感じます。
一方で、60、70代になっても新しいことに挑戦したり
楽しんでいる方々を見ると、人生の先輩のお手本のようにも感じます。
何を今更当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれませんが、
あなたの周囲で、このことを腹落ちして、日々の生活に反映している人が
どれだけいるでしょうか。
ふと思い出すことはあっても、日々の生活に忙殺されて、
やることがたくさんあって、それに追われているだけで
一日が終わってしまう。
そんなことになっていないでしょうか。
この連休明けの明日から、
私自身もあらためて自分の生活を見直したいと思っています。
悲しみと折り合いをつけていくには、
ひとつひとつ、毎日、毎日の歩みが大切です。
離婚は相手との関係性のなかでの出来事で、どうにもできないことが多いですが、
自分の人生、時間だけは、誰の影響も受けない、あなた自身のものです。
それをどうやって過ごしても、何もしなくても、時間だけは過ぎていきます。
将来後悔するかどうかは、私も人生半ばですから、知る由もありませんが、
今を後悔しないように生きることはできるはずだと考えます。
その積み重ねの先が人生終焉につながるのだとも。
今日もあなたらしい一日を過ごせますように。
ということは20年後は明日のようにすぐやって来るのだ
もしかしたら明日にでも死んでしまって、あと20年なんかとても生きられないかもしれない
ならば誰に何と言われようと、世間の風に背こうと、したいことをして生きよう
生きることは所詮自己満足でしかないのだから
更新がないので、気になっています。
お変わりないですか。
著者様の言葉に救われている者です。
お元気であれば、いいのですが。
こんにちは。お元気ですか?
私のブログは閉じることにしたので、ご挨拶に参りました。
カウンセリングということについて最近たまたま同僚と話題になって、少し考えました。
なぜカウンセリングするのか、理想的に考えれば、クライアントの悩みをなくして幸福になってもらうためかと思います。ところが、純粋に他者の幸福のための行為をするというのは相当大変なことではないかと思います。カウンセラーにも欲が存在し、悩みとはこういうものだ、幸福とはこういうものだ、という独自の見解があります。なにか行為するときに、自身の欲から完全に離れるというのは至難のことです。なのに、理想のカウンセリングのためには、カウンセラーはそれをやることが必要なのではないでしょうか。
カウンセラー側の勝手な価値観や欲が存在するのに、それから完全に離れて、どうすればこのクライアントの悩みが滅して幸福になれるか考えなくてはなりません。クライアントの幸福のために、そのクライアントはなぜ悩んで幸福でないのか、原因を究明する必要もありそうです。そこにカウンセラー側の主観、価値観、感情、欲が割り込むと、かなり失敗率が上がりそうです。
完全にそうした自我を捨てて、他の生命の幸福を願って、そのための行動ができるようになる。これはもう解脱を意味すると思います。解脱のためには大変な練習が必要です。完全に自我の錯覚を破って解脱できたら、他者の苦悩に寄り添うことを生業としてカウンセリングによってお金を稼ぐという行為が困難になってしまう。阿羅漢果を得たら在家は成り立たず、出家するしかなくなると言われる所以かと思います。
他の生命を思い通りにコントロールしたい、支配したいという欲があり、「自分が」快適に生きたいという欲があるのに、それらを完全に調伏して他の生命の幸福のために行動する。大変に困難なことですが、とても素晴らしい善行なのは間違いありません。
「悩む」というのは悪行為ですね。仕方ないという言い訳はできますが、暗く落ち込んで悩みたい人はいませんし、それによって望む結果、善い結果があらわれることもありません。幸福になりたければ、なんとか粉砕せねばなりません。カウンセラーは、悪行為にいったんは寄り添わねばならないわけですね。寄り添いながら、その悪感情を否定しないで、その悪感情から離れて粉砕していけるよう智慧を授けていかねばならんと思います。そんなことができるためには、まずはカウンセラー自身が悪感情から離れて調伏できる人間である必要がありそうです。自分にない智慧は他人に授けようがありませんから。
私の主観、価値観でfujyouri様のコメント欄に好き勝手なことを書きました。かつて苦悩に飲み込まれていた頃、fujyouri様の記事にたくさん救われました。ありがとうございました。fujyouri様の善行を応援致します。fujyouri様のブログを読む方々が多く救われますように。幸福になりますように。
fujyouri様、どうかお元気で。お幸せでありますように。
余計なお世話でしつこくコメントして参りました。いいかげん最後にしようと思っております。
お幸せでありますように。お元気でおられますように。身体を害することがありませんように。幸福でありますように。
ご心配おかけしました。
なかなか落ち着いて考えをまとめる時間がとれず、
更新できてませんでした。
近日にはまたアップしていきたいと思っております。しばらく過去の記事を読みつつ、お待ちいただければ幸いです。