まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

夏見廃寺に立ち寄る

2016-12-23 21:44:58 | 日常
平成28年12月20日
伊勢の斎宮を見物の帰路、大伯皇女が晩年を送ったのではなかろうかとされる名張市の夏見廃寺に立ち寄りました。
大和薬師寺縁起に「大伯皇女が名張郡に父天武天皇を追悼して昌福寺を建立したとの記載がある。
この寺院建立の本意は不運な死を遂げた最愛の弟、大津皇子の冥福を祈るための寺院であった思います。
この地は天武天皇が挙兵したところで壬申の乱ゆかりの地でもあり寺院建立の理由のたつ土地であった。
またこの地は大和の東の端 伊勢とも縁があり、呪われた飛鳥から少し離れた地は最愛のの弟を追慕する最適な土地でもあった。
この寺院は壁面にタイルを埋め込んだような「せん仏」で有名ですが私にとっては大伯皇女ゆかりのお寺として記憶している。
一番印象深いことは境内にある故犬養孝先生が揮毫された105番目の万葉歌碑でした。
その歌碑は「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が在りといわなくに」とあります。
最も印象深く、心に響いたことはその歌碑のデザインでした。
大小二つの石があたかも大伯皇女と大津皇子が二人、寄り添い、支えあうように佇む様は不遇の死を遂げた弟への哀切の情がひしひしと胸に深く染み入る感あり。

大伯皇女(大来皇女とも記す)の経歴を記してみよう。
父は天武天皇、母は大田皇女(後の持統天皇は妹にあたる)
661年 百済救援の為九州・大宰府へくだる途中備前国大伯(今の牛窓町近)の海上で生まれたのでこの名がつく。
667年  母24歳で死亡(7歳、大津皇子5歳)
673年 伊勢の斎宮の斎王となる(12歳)
     持統天皇は大伯皇女が結婚して有力な豪族が後ろ盾になるのを防ぐため斎宮にさ たのではと思っている。
686年 大津皇子謀反の疑いにより賜死。それにより解任、都に帰る。(25歳)
     大津皇子は文武両道に優れ人望もあり持統天皇の息子、草壁皇子の天皇就任の最大のライバルであった。我が子を守る母性愛から謀により大津皇子を亡き者にした。その期待の草壁皇子も3年後に亡くなった。次期天皇候補の軽皇子が幼少の為自らが天皇になる。
701年 大伯皇女41歳で死亡。
702年  持統天皇58歳で死亡

万葉集に掲載された歌

     大津皇子 ひそかに伊勢の神宮に下りて、上り来るときに大伯皇女の作らす歌二首
  わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて 暁露に我が立ち濡れし(105)
  ふたり行けど行き過ぎがたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ(106)

     大津皇子のこうぜし後に、大伯皇女、伊勢の斎宮より京に上る時に作らす歌二首
  神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ君もあらなくに(163)
  見まく欲り我がする君もあらなくに 何しか来けむ馬疲るるに(1649

     大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に 大伯皇女の哀傷しびて作らす歌二首
  うつそみの人にある我れや明日よりは 二上山を弟背と我れ見む(165)  
  磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに(166)
  
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