まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

「福島原発事故判決」控訴していただきたい。

2019-09-21 11:11:17 | 日常

令和元年9月20日
東京地裁,永渕健一裁判長は「大津波の予見可能性はなかった」として、東京電力旧経営陣3人の無罪を言い渡した。地球史的規模では115年間の一瞬間に3度も頻発して発生している大津波が何故予見不可能なのでしょうか。市民感情からは全く理解できない判決です。これは一地裁の裁判官の判断であり控訴して上級審の判断を仰ぐべきです。原発差し止め裁判では四国の伊方原発差し止め裁判においても広島地裁が130キロ離れた阿蘇山の噴火活動の危険性の考慮して差し止めを認めた例もあります。四国まで阿蘇山噴火の影響があるとは想像できないことです。広島に噴石・火砕流が届くと思いますか。鞆の浦訴訟でも行政の判断を覆し景観保護の方針に転換させた裁判もありました。煙石さんの冤罪事件も地裁、高裁の判決を打ち破り、最高裁で無罪を勝ち取りました。裁判は裁判官の資質、考え方によりいかようにも変わることを理解すべきで是非とも控訴して真実を明らかにしていただきたい。そのための裁判費用についてはできる限りの援助をしたいと思います。東日本大震災は津波被害よりも原発事故の方が大きな痛手となり今後数十年とおよぶ損害を後世に残しています。今回の原発事故について東京電力の福島原発では事故になり、同じ三陸海岸にある石巻の東北電力、女川原発では大した被害はなく、むしろ被災者の避難所として受け入れ、利用された市民から感謝されている。女川原発は再稼働が認められる唯一の原発になるかもしれない。東京から200キロ離れたよそ者の電力会社と地元に根差した企業の責任感、津波等に対する意識の相違。この違いこそ責任の有無を判断すべきであり東京電力経営陣の社会的責任、企業倫理の欠如を物語っている。三陸地方は何回も悲惨な大津波に襲われ、近年でも1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)と2度にわたり壊滅的被害を受け、その怖さは地元民に十分に認識されていた。女川原発も設計段階では防潮堤の高さは「12mで十分」とする多数意見に対し、大津波事例に精通した副社長の平井弥之助氏はただ一人「14,8m」を主張し続け、執念が実り採用された経緯がある。平井氏の人柄もあるが津波の怖さに対する共通認識が根底にあったから説得できたのではないでしょうか。民間の地元でも今回の津波のおいて、今までも被害を伝承して低地に建物を建てていなかったところは被害がなかった。今回襲来した津波の高さは想定を超える13mでした。東北電力は津波の高さを予想して主要施設の標高を14,8mとしたので安全でした。福島原発は約10mで全施設被害を受けた。今回の裁判において東電内部においても津波の襲来を予想した構造に、防潮堤をかさ上げすべきとの答申もあったことが明らかになった。しかし安全性より経済性を優先して受け入れられなかった。過去の事例を考慮し、大津波の危険性を予知しその被害の甚大性、国民の安全を考えていればこのような事故はなかった。「安全はすべてに優先する」,「すべての責任は自分にある」この自覚があれば事故は起きなかった。東京電力経営陣の責任は明らかである。
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