藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

6年目の福島の現実

2017-03-13 21:57:00 | 異議申し立て
 あの3.11から6年が経過した。大震災と原発事故が、多くの人々に、今も苦難をもたらしている。
 前日の3月10日、安倍首相は、毎年3.11に行っていた首相記者会見を打ち切ることを発表した。「一定の節目を越えた」ことが理由だそうだ。そして、政府主催の東日本大震災6周年追悼式では、初めて「原発事故」という言葉を使わなかった。
 原発事故に伴い福島県内の最大11市町村の約8万1000人に出された避難指示は、4月までに大熊、双葉両町と、南相馬、浪江、富岡、飯舘、葛尾5市町村の帰還困難区域を除いて解除される。区域外から自力で避難した人への住宅支援は2017年3月末で打ち切られようとしている。
 政府は、原発事故をもう終わったことにしようとしている。

 今年の3.11。私は、福島原発事故後、初めて福島現地を訪れた。場所は郡山市である。

 公共の場所には幾つものモニタリングポストが設置されている。

 郡山駅前。



 公園。モニタリングポストのすぐ裏側には子どもの遊び場がある。





 汚染はあるのだが、もの凄く高い値ではない。事故直後の藤野でも、このような値を目にした記憶がある。

 少し歩いてみる。ちょっと見えにくいのだが、中心にあるブルーシートは、除染した土を入れたフレコンバッグの塊にかけられている。市内各地は、こうして除染されているので、空間線量が下がっているのである。



 この看板を見て欲しい。除染前後の値が示されている。実に除染前は、現在の30倍の汚染があったことになる。
 さらに、この写真でも見えにくいし、実際にもかなり小さな文字で、看板の下の方に「平成29年3月末で、看板への記載を終了しました」と書かれてある。まだ3月11日なのに、未来のことが書いてあるのも変だが、その言わんとするところは、「この除染後の値が、もし他から放射性物質が流れてきて上がったとしても、もう更新はしない」ということではなかろうか。そして、この値が一人歩きしていくのだろう。「もう30分の1になったんだ」と。
 


 ここまで見てきて、私には、多数のモニタリングポストや看板は、人々に「ここに住んでいても大丈夫ですよ」というメッセージを送るために存在しているのではないかと思えてきた。

 福島に住む人たちだけではなく、自分の中にも安心感を得たい自分がいる。そう。程度の違いはあるが、藤野も汚染されているのである。これを終わったことにしたい政府。どれだけ冷酷なのか。

 ふと空に目をやると、青い空に白い雲。この美しい地球を讃えたいのに、今はそうは出来ないんだと思う。しかし、いつかきっと、心の底からそう思える日が来るまで闘い続けよう。
 
 
コメント
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