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宮本輝『泥の河/蛍川』(新潮文庫)

2018-02-12 | 書評「み」の国内著者
宮本輝『泥の河/蛍川』(新潮文庫)

戦争の傷跡を残す大阪で、河の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描く太宰治賞受賞作「泥の河」。ようやく雪雲のはれる北陸富山の春から夏への季節の移ろいのなかに、落魄した父の死、友の事故、淡い初恋を描き、蛍の大群のあやなす妖光に生死を超えた命の輝きをみる芥川賞受賞作「蛍川」。幼年期と思春期のふたつの視線で、二筋の川面に映る人の世の哀歓をとらえた名作。(「BOOK」データベースより)

◎生と死の宿命

宮本輝は「川3部作」によって、文壇に確固たる地位を築きました。3部作とはデビュー作にもあたる太宰治賞の「泥の河」、芥川賞の「蛍川」と「道頓堀川」のことです。前2作についてはことさら思い込みが深く、2作品を合わせると14、5回も1から書き直しているとのことです。(『ダ・ヴィンチ・解体全書Ⅰ』リクルートを参照しました)

『泥の河』の主人公は、板倉信雄8歳。大阪の土佐堀川筋でうどん屋を営む両親の一人っ子です。時代は昭和30年夏、世の中の高度成長から取り残されたような、寂れた風景が広がっています。うどん屋は、昔馴染みの労働者のひいきにより、つつましく営まれています。

信雄は2つの事故死に遭遇します。うどん屋でくつろいでいた、馴染みの馬車引きのおっちゃんが、くず鉄を満載にした馬車の下敷きになって亡くなります。窓から眺めていた沙蚕(ごかい)採りの老人が、ふと目を離した瞬間に舟から消えていました。転落死したのです。

2つの死は、信雄の心に重くのしかかります。そんな信雄を膝に抱いて、父の晋平はこんな言葉をかけます。

――なあ、のぶちゃん。一生懸命生きて来て、人間死ぬいうたら、ほんまにすかみたいな死に方をするもんや。(補「すか」に傍点)(本文P47)

馬車引きのおっちゃんの荷物は、何日も橋のたもとに放置されたままになっています。雨の日信雄は荷物の前で、同じ年頃の見かけぬ男との子出会います。

――「ぼくの家、あそこや」/突然、少年は土佐堀川の彼方を指差したが雨にかすんだ風景の奥には、小さな橋の欄干がぼんやり屹立しているだけだった。(中略)目を凝らすと、湊橋の下に、確かに一艘の舟が繋がれている。だが信雄の目には、それは橋げたに絡みついてた汚物のようにも映った。(本文P20-21)

少年の名は喜一といい、母親と姉の銀子とともに、橋の下の小舟に住んでいました。舟は郭舟(くるわぶね)と呼ばれていました。母が何で生計を立てているのか、幼い姉弟は何となく知っていました。信雄と喜一はすぐに仲良くなります。お互いの家を行き来しているうちに、信雄は姉弟が学校へ行っていないことを知ります。

信雄と喜一は信雄の母から小遣いをもらい、天神祭に行きます。しかし道中でお金を紛失します。喜一は欲しかったものを万引きしてしまいます。信雄は激しくそれをとがめます。機嫌を直してもらおうと、喜一は信雄を舟に連れていきます。そこで信夫は、郭舟の母親と客との交わりを見てしまいます。

彼は驚いてその場から逃げ出します。翌日信雄は、郭舟が牽引されて去ってゆくのを見ます。懸命に追いかけ「きっちゃん」と大声で呼びかけますが、喜一は顔をのぞかせません。

少年の出会いと別れ。そして戦争の傷跡を残したままの貧しい家族の営み。宮本輝は詩情あふれる細やかな文章で、少年の宿命としての生と死を描きました。泥の河は、その宿命の象徴として描かれています。

◎蛍の乱舞

『蛍川』は、昭和37年3月末の富山が舞台です。主人公の水島竜夫は14歳。父の水島重竜が52歳のときに、授かった初めてのこどもです。重竜には春枝という、長年連れ添った妻がいました。しかし子宝に恵まれませんでした。20歳も若い愛人千代が身ごもったのを知ると、春枝と離婚して千代と再婚します。

竜夫が中学3年に進級するころには、父の重竜の事業に陰りが出てしまいます。竜夫は幼なじみの英子に、淡い恋情を抱いています。しかし友人の関根も英子に好意を抱いており、竜夫の心は乱れます。関根は宝物のように、英子の写真を持っています。それは教室の英子の席から、盗んだものでした。

その写真を関根は、竜夫にあげるといって手渡します。その日関根は魚釣りに行って、用水路で溺れ死にます。

幼いころ竜夫は、銀蔵という老人から蛍の大群の話を聞いています。蛍が大量発生するのは、4月に大雪が降る年とのことでした。幼い竜夫は英子とその年がきたら、一緒に蛍を見に行く約束をしています。しかしその約束以来、中学生になった竜夫は英子と話すらできない日々を送っています。

父親が病院に入院し死期が迫ったころ、大雪が降り蛍の大群が現れる瞬間がやってきます。蛍が乱舞する日がきました。竜夫は勇気を出して、英子を誘います。銀蔵と母の千代が2人に随行します。陽は落ち、闇のなかを4人はひたすら歩きます。そしてまばゆいばかりの蛍の点滅を見ます。

死にゆく蛍の乱舞を重竜の死と重ねた本作は、宮本輝の情感溢れる筆運びで、みごとなクライマックスを迎えます。

大江健三郎は著作のなかで、宮本輝作品の「しくみ」について言及しています。

――幼・少年期にそれぞれ経験された、同性、異性の友達への愛を、突然に人をみまう死にかさねて描く。そしてともに、それぞれの美的情景を、作品いっぱいに拡大して、そのイメージでしめくくられる「しくみ」である。幼児のあこがれている友達の母が、客をとる。その暗がりをあかるませる花火。あるいは異様な群れをなす蛍の光。これらの美的情景のイメージは、受け身の読み手にも快感をあたえよう。(大江健三郎『方法を読む・大江健三郎文芸時評』講談社P45)

大江健三郎はこう書いたうえで、次のように結びます。

――これらの美的情景のイメージをつくりだすにあたって、この書き手は、魅惑と嫌悪、陶酔と恐怖、生と死という両義的な構造を、その「しくみ」としたのである。(同P45)

現在のような混沌とした時代に、こんなすてきな作品を紹介すべきと思いました。細部には触れませんでした。大江健三郎がいう「しくみ」をご堪能ください。
(山本藤光:2016.07.04初稿、2018.02.12改稿)

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