80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

ととねえちゃん

2016-04-09 17:44:06 | 最近の出来事
朝ドラ“ととねえちゃん”

昨日の朝ドラ、涙なくして御覧になった方は居ないかと・・・。

肺結核で死期を感じた父親が長女常子に、父の代わりになってくれと小学生の

常子に後を託したシーンがあった。

私も、小学校5年生の時に父から家族を頼むといわれた経験がある。

1941年12月8日、朝6時半頃、ラジオから、大本営発表で、米英両国と

戦闘状態にはいったことを知らされて、家族全員に緊張感が走った。

其の日は、雲一つない晴天で、学校から帰った私は、父に裏庭に呼び出された。

父は竹薮の前に、茣蓙を敷き、軍用行李を持ち出して、中の軍服や帽子、サー

ベル、水筒、皮製のゲートル、靴など、一つ一つ取り出して、虫干しをしてい

たのである。

“お前も知ってのとおり、戦争が始まった。私は、予備役の将校だから、何時、

 陛下のお召しがあるかもしれない。お母さんは身体が弱いし、おばあちゃん

はもう年だ。 お前の弟は泣き虫で頼りにならん。お前だけが頼りだ。

みんなを頼む。

昔、フランスのオルレアンに、ジャンヌ ダルクという少女が居て、戦争が起

きた時、国のために、武器を持って戦った。お前もいざという時には、千万人

と言えども、吾行かんの気概を持て!“と言われたのである。

私をかしらに、幼い弟妹たちがいた。〔当時は4人兄弟、その後13歳離れて弟が生まれた)

その時の父の心境。そして、私の気持ち。今思い出しても、涙。涙である。




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