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Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

重監房資料館

2024年08月20日 | 国内旅

栗生楽泉園 の正門を入って右側の
緩やかな傾斜を下っていくと、
「重監房跡」という石碑があります。



昭和13年から昭和22年まで、



ここには
8つの特別な部屋がありました。



こちらは、平成26年に開館 ・・・



重監房資料館 です。
(公式ウェブサイト)



これは、
その資料館に展示されている
8つの部屋の縮小模型です。



まず、
『特別な部屋』に関する映像を観て、



ほぼ原寸大に再現された
特別な部屋を見学しました。



表向きは『特別病室』と
呼ばれていた施設 ・・・



入り口を入って左側には、



医務室 ・・・
しかし、医療行為は一切
行われていなかったようです。



体をかがめてさらに奥へ。



向かって左が特別な部屋 ・・・



低い位置の開口部は、



食事の出し入れ用。



食事は、
決まって少量のご飯と梅干がひとつ。
そして、具のない味噌汁。
それも朝と昼だけ。



実は、ここは、
特別病室という名を借りた独房。
反抗的、規則を守らない、
などの理由でハンセン病患者が
ここに監禁されました。



便槽は逃亡を防ぐために浅く、



施錠は、



厳重に。



厳冬の頃には氷点下20度超 ・・・
せんべい布団のほか暖房はなし。



ハンセン病差別 ・・・
人権蹂躙 ・・・
9年間に延べ93名が収監され、
23名がここで絶命しました。
(最長の収監者は約600日)



収監者は全国から ・・・
当時、ハンセン病患者の間では、
『草津行き』と恐れられたそうです。



また、
収監者の中には女性もいたとか。



特別病室は、後年、
重監房と呼ばれるようになりました。



実は、今年
「重監房資料館」は開館10周年。
しかし、その先は? の意味は、
非道を糺す ・・・
史実を闇に葬らない ・・・ など、
人権を尊重する誠意と真心 ・・・
資料館の決意表明でしょうか。


サウンド トラック
「太陽がいっぱい」
老いはとてつもなく恐ろしい ・・・
と語っていたアラン・ドロンが
亡くなりましたね。
合掌

JFK-World
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8 コメント

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Unknown (rikocherry)
2024-08-20 06:51:55
以前ハンセン病に罹患してしまったが故に差別を受け、その中で必死に生きてきた意味を見出そうとする.樹木希林主演の「あん」を思い出しました

実際にその中で生きなければならなかった人々の計り知れない苦しみを知る為に、こうして現実を見せていただき知ることが本当に大切な事と強く思いました
返信する
Unknown (JFK)
2024-08-20 06:58:18
rikocherryさん、コメントをありがとうございます。
目を向けることも、目を背けることも個人の自由 ・・・
しかし、そこにその人の真価があると思います。
返信する
Unknown (tkgmzt2902)
2024-08-20 10:50:35
胸を締め付けられる思いでブログを拝見しました。
監獄以上に、そこには冷たい空気が流れていますね。
テレビで、各地の施設の広い敷地や建物の外観しか見たことがない気がします。
このように具体的な写真を見たことがなかったので、ただただ驚ろいています。
人間が人間の人権を蹂躙する、怖いことです。
過去の歴史を皆に知ってほしいですね。
とてもいい資料になりました。ありがとうございます。
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Unknown (JFK)
2024-08-20 11:22:10
tkgmzt2902さん、コメントをありがとうございます。
過去に学ばずして未来はない ・・・
ではないでしょうか。
返信する
Unknown (ぐふ)
2024-08-21 23:13:38
すごい行動力に感服いたします。
(目的地の大津で降りずに草津まで行ってしまったことありまして、、、ものすごく遠い場所ではと。)
いくら過去の地で、当時を思い起こすのは難しいとはいえ、やはり内部イメージというのは、当時でもわからないことでしょう。
ライ病と同じでしょうか、母は生前、何度か夢に出てきたと話しました。それ以上は聞かなかったのですが、襲ってきて怖しいという間違ったイメージを擦り込まれたようです。
さらにこういう間違ったやり方が、とてもじゃないけどいたたまれないです。
残念ながら、現在までも、形を変えて存在しているとしか思えません。
返信する
Unknown (JFK)
2024-08-22 05:59:10
ぐふさん、コメントをありがとうございます。
社会は、少しずつでいいのでよくしていきたいですね。
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Unknown (ぐふ)
2024-08-22 08:27:56
こちらを拝見して、私には、
ハンセン病をつくった者と、犯罪を善人に着せる者が、まったく同じ筋だと、
よくわかります。
ちなみに夢も、意図的にみせられるものが多く存在します。
名前を変えた、当事者の死を上まわる苦労が、まだ多く続いているはずで、1秒でも早くの思いが強くあります。なのに、後退しかしないんです。
何とかしようにも手が届かない に、はだかるのが、現在は催眠術にかかる人に変わっています。
写真から、本当は優れた素材であるコンクリートや板張りは、患者を思いやった物であることがわかります。
いっぽう、記録や構造物を変えてきたり、布団を薄くしたり、特殊な気候にするのも、ハンセン病やコロナの症状をつくる者と同じだと、知っています。

こちらで目にしなければ、ハンセン病のことは、忘れていましたので、より理解が深まりました。
ハンセン病は、布石だったんですね。
差別意識は、人の劣悪な退化を示すもので、むしろハンセン病初期のほうが、人はまだまだ賢明だったと言えます。
私も、実状経緯から責任をもって申しました。
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Unknown (JFK)
2024-08-22 10:42:20
ぐふさん、再度コメントをありがとうございます。
返信する

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