hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

日本の血縁文化に思うこと!

2018-07-15 04:47:54 | 日記
以前、このブログで記した、ブラジルに移民したと言う叔父について知り得たことで、私に大きな誤解があったことに気付きました。

私は上に姉が五人居て、末っ子の男一人の家庭に育ったと思っていました。そして父母共に42歳の時の子で、私の祖父母で健在なのは、和歌山県の祖母だけと思い、2年か3年に一度は必ず、和歌山に行ってお祖母ちゃんに大切に扱って貰ったと思っていました。

そして、そのお祖母ちゃんと母は、テッキリ実の親子と信じていました。そして、そのお祖母ちゃんの子で、12歳の頃に近所の子の居ない夫婦の子としてブラジルに移民したと思っていました。

一度は、会ったことの無い従兄弟達に会っておきたいと考えて、サンパウロの和歌山県人会に、その所在を調査して貰ったのですが一切、不明ということから、こちらの役所で調査を始めました。

結果、解ったことは母が幼い頃に、養子縁組されて祖母の処に来ていた事!そして15歳の頃に縁組を解消され実の親の元に戻っていた事。が解りました。

そして、この歳に成るまで自分にとって実の祖母、実の叔父、叔母、実の従兄弟と思っていた人が、そうではなかったという事です。それにしても余りにも大切に扱われ、実の祖母達と思い込んで来たことが少し、ショックでした。

義理の仲なのに何故、あそこまで祖母と信じて来た義理の祖母と母の仲が良かったのか? 私には解りません。

叔父、叔母達も私に対しては、とても親切で大切にしてくれて居ました。今、想えば、叔母や叔母達と余りにも顔立ちが似ていなかったのです。既に離縁となり、元家に帰って居た母が15歳まで育てられたとは言え、私が12歳に成るまで丸で実の親子か、それ以上に仲の良い関係で居たのか?

生前に母が私に、家庭が複雑で有ると残された子や孫達に多くの災いや不幸をもたらすから気を付けるようにと言っていた理由が、ここに有ったのだけと考えさせられました。

色々な事情があったに違いありませんが、子の立場としては、全てを早くから知っておきたかったです。

これは私がA型の典型で、白黒をハッキリさせないと気が済まない性格だから尚更なのです。知らないままに生涯を終えてしまうなら、その方が幸せかも知れませんね!事実、姉達は私が調べて知らせなければ何も知らずに人生を終えて行く訳ですから!

以上ですが果たしてブラジルの叔父との関係は、どうなるものでしょうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿