hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

日本の移民政策?

2018-08-18 06:10:50 | 日記

国の政策とは言え移民という発想の中には、体制側の立場にある者の政策や国、国民への考えの深さや重さも様々なのでしょうね!

私の遠縁の叔父が12歳の時に、近くの移民する夫婦の養子となって同行したとの情報から戦後の長い間、母と祖母が行方を探していたことを思い出して、暇になった老後の私の役目として調べています。

両親共に42歳の時の子として生まれた為に、親や祖母についても殆ど知識がありませんでした。興味を持って調べて見ると余りにも複雑でした。

大戦を経て、行方知れずに成った?3男ですが昔の事とは言え、可哀想な叔父さんでした。私の母も、2歳の時に養子に出され、14歳になって旧の家に復籍しています。

叔父は、もっと酷い状態でした。移民する12歳までに3度、養子、復籍を繰り返しています。その上に、養子となって移民し、また、その上に昭和12年の頃にサンパウロで、相手の女性の入夫となって結婚していたのです。

私が祖母と思い込んでいた、お婆ちゃんも実は、母が14歳まで養子縁組していた義理の祖母でした。戦後の、あの時期に必死で3男を探していたのも、長男、2男を戦死、病死で亡くした祖母が残った3男だから一生懸命だったのでしょう!

私が、東京の外交資料館に行って調べて見て、やっとの事で得た情報です。昔のように後継ぎの男の子を大切にする時代の悲劇を代表する状況だったのです。

だから、その叔父は、本名と養子先の姓名が4つ、入夫先の姓名が一つと、6つの姓名ががあった訳です。私は仕事の関係や性格的な面もあって、調査能力のお陰で、此処まで調べられましたが、母や祖母には無理であったのでしょう!

外交資料館で、資料を見て移民年月日、船舶名、同行した養子先の氏名、入夫した先の氏名を知るのに5時間を要しました。

いつか、サンパウロに行って、会ったことのない従弟達に会うつもりです。未だ、彼らの現況については不十分ですので、可能な限り調べます。

『社会』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 加計関連の献金問題で告発さ... | トップ | ニューヨーク大学の授業料免除! »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事