60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

クラシックギター

2012年08月17日 08時19分22秒 | Weblog
 以前このブログにも書いたが、老後に向かって、「自己表現の手段を持つ」が自分の大きなテーマである。そう思って水彩画をはじめたのだが、水彩画の次はギターと思っている。そのために手ごろなギターが欲しい。そんなことで会社の近くにある質流れの展示品を覗いてみた。楽器だから当然ピンからキリまでのであるのだろうが、初心者に高い楽器はもったいない。だからといって安いギターで音が悪ければ練習していても気が乗らないようにも思ってしまう。「その点質流れ品は実質的な価値に比べて値段が安いだろう」、そう考えたからである。その質屋は楽器が得意なのか、店には管楽器から弦楽器、打楽器まで多くの楽器がそろっていた。ギターはエレキギターとフラメンコ用のギターは多いのだが、クラシックギターは5台しか置いていなかった。

 店主曰く、「今はエレキギターが主力でクラシックギターは流行りませんからね」、「まあギターを選ぶなら高い安いは二の次で、自分の好みの音色を選んだ方が良いと思いますよ」、「軽い音、明るい音、澄んだ音、落ち着いた音、楽器によって音色もさまざまですから、自分で試してみて好みの音色のギターが見つかれば良いのですが」、そう言って陳列してあった品を順次下ろして手渡してくれた。しかし今の私にはそれらのギターの調弦も出来ないし、音階も弾けない。したがって商品の良し悪しも、音色を聞き分ける耳もない。「まあ仕方がない」、とりあえずその中で一番安いギターを買うことにした。

 私がギターを最初に手にしたのは今から50年前である。学生になって1年間は学生寮に寄宿していた。寮生活にも慣れ同部屋以外の寮生のこともわかり始めた頃、ある部屋の寮生がギターがうまいという話を聞いた。それで何人かで彼の部屋に押しかけ、無理やり弾いてもらったことがある。「禁じられた遊び」の他何曲か聞かせてもらったと思うが、澄んだ音色で憂いを感じる演奏に、しばし聞きほれてしまった。たった一つの楽器でこれほど多彩に曲が弾けるのか?、その後何度か彼の部屋まで聞きに行き、「自分もやって見たい」と思うようになっていった。これがクラシックギターをはじめるきっかけである。当時から「思い立ったらすぐ実行」、「惚れやすの飽きやす」の性格、安いギターを買って見よう見まねで練習を始めたのである。

 2年生になって寮を出て学校の近くの農家の2階に下宿するようになった。やはりギターを始めて近所に下宿していた友人が、市内にギターを習いに行くと言い出した。これは好都合、「基礎から勉強してみたい」そう思って私も一緒に習いに行くことにした。教室は民間アパートの一室で、先生は40代の独身の男性だった。当時はクラシックギターはまだ盛んで常時10名程度の生徒が習いに来ていたように思う。ギターの持ち方、弦の押さえ方、はじき方、指の訓練方法まで、我流の弾き方を徹底的に否定され、基礎からスタートであった。そして何ヶ月かして練習曲を何曲か弾けるまでになった。しかし練習曲ばかりでは飽きたらない。「聞きなれた曲を弾いてみたい」、そう思って楽譜を買ってきて弾きはじめるようになる。やがてそちらの方に興味が向いて、1年足らずで教室には行かなくなってしまう。そして就職で東京に出てきてからはギターを手にすることもなくなってしまった。

 質屋でギターを買って家に帰り、早速調弦をはじめる。しかしどの弦がどの音程なのか?どこを押さえればどの音階になるのか?まったく覚えていなかった。ギターに触ってみれば多少は思い出すだろうと思っていたのだが、40数年の間にギターの知識も体で覚えた記憶もすっかり消えてしまっている。翌日、山野楽器に行って、ギターの教則本を買ってくる。そして教則本を見ながら1弦1弦音を合わせていき、一つ一つ弦を押さえて音階を覚えていく。まったく初心者と同じぎこちなさである。弦を押さえる指は開かず、弦をはじく指は動かず、右手と左手の連動もままならない。昔はレパートリーも10曲程度あり、人に聞かせるほどには弾けたのに・・・。さて50年前のレベルに戻るにはどれほどの時間を要するのだろうか? ある程度指が動くようになればギター教室に通うことも考えてみたいと思っていたのだが、果たしてそこまでいけるのか自信がなくなってしまった。

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