ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月18日(火)

2006-01-06 | カントー大学
10月18日(火) 

カントー

 朝食をニンキュウ・ホテルで、カントー大学の奨学生たちとともにとり、観光をした。

ローソク寺
 カントーの水上マーケットがはるかに見える橋をわたり、最初に行ったのはソクチャンにあるローソク寺といわれるところ。
 ここはクメール風のお寺。 民家のような佇まいの本堂には、もう何十年も燃え続けているという大きく、太い灯明とまだ点火されていない柱のような蝋燭が何本もある。
 さらにご本尊さまのほかに虎、猿を含んだ動物群が紙粘土で製作されており、にぎやかで楽しい寺であった。
 正式の名は門に賓山寺としるされており、境内でみやげ物も販売していたが、あまりご利益がありそうな感じがしなかった。

こうもり寺
 また、しばらく車に揺られ、こうもり寺へ行く。 こうもりが境内の杜の木々にぶら下がり、小鳥のようにチチチと鳴いている。
 木の葉との判別もつかず、夕刻からの活動のためにお休み中のようであった。
 自分の勝手な想像から、こうもりは洞窟の中と思っていたら大間違いであった。固定観念は禁物である。首を上にじっと眼を凝らし、そのまま帰ってしまい、バンコックの観光地によくあるような極彩色をした肝心の寺院には眼もくれず、みんな帰ってしまった感がある。 日が照り暑かったせいもあるが、反省。

 昼食はおいしいラーメン屋さんがあるとのことで、探しに探してなかなか見つからず苦労して、別の店で、奨学生とともに食す。空腹のせいもあり、美味至極。
 そばやの孫娘がおしゃれな洋服を着て、母親のバイクで登校する。まだ、多くの学校は二部授業なのだ。

ホーチミンへ
 再び、ニンキュウホテルに戻り、奨学生とお別れ。
 そして、荷物を積んでホーチミンへの道をたどる。

 夕陽のかげるころ、往路で休憩したメコン・レスト・ショップに到着。
 庭も売店もおしゃれな感じで、欧米人や日本人観光客を対象にしているようなリゾート風、ベトナム風なのか、どの地方風なのかわからなかったが、とても素敵で贅沢な気分にさせられた。
 広々として、藁葺き屋根のようで天井が高く、エアコンは巨大扇風機のみ。
 従業員もとてもうやうやしくスマートな立ち居振る舞いである。えび、魚、風船もちなど料理はもちろんとてもおいしかった。生春巻きの手巻き風も楽しかった。

 ホーチミンのサイゴンホテルへ無事到着。 宮下さんは帰国の途へ。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月19日(水)

2006-01-06 | ホーチミン
10月19日(水) 

カンゾー
 ルーンさん、ミンさん、カーさんは各自のお仕事へ。高橋さんも急ぎの仕事が入って、今日はお休み。
 小倉さんとウットさんと3人でベトナム カンゾーへ出かける。お二人とも何度かこの地を訪れているので、ガイドさんが二人の贅沢なコースでした。

 都心を抜けて、フェリーに乗り、進むと林が見えてくる。以前はフェリーで二つ渡ったそうですが新しい橋のおかげで一つだけフェリーに乗り干潟に着いた。
 小さいえびやムツゴロウがぴくぴく出迎えてくれた。車を降りて泥んこ道に足をとられないように歩いて、船着場からモーターボートに乗る。
 かなりのスピードと爆音でマングローブ林を駆け抜ける。魚やえびを採っている人々の姿もみられた。
 マングローブ林の一角に船が停められ、少々歩く。
 小さな小船に乗り換えマングローブジャングルを巡る。
 途中、ここでもお休み中のこうもりを散見。
 戦争でマングローブ林も枯葉剤で大打撃を受けたのだが、植林の甲斐あって大分成長している。 私が初めて見たマングローブ林であった。

 その後、養殖中の蟹を釣る。良くかかる。
 育った卵のたくさんあるものを選んで、後で茹でてもらうことにした。
 案内人付きで、サギの棲息地を見たり、川にいるワニ釣りをする。 ワニに舟から餌をやり、太いテグスで釣り上げる。すぐ飛びついてくるが、釣れるわけは無い。ちょっと力比べを楽しむだけだ。
 鉄骨のスロープと階段でつくられた展望台に登るとマングローブの絨毯に囲まれる。アメリカが手を焼いたジャングルはこんなものではなかったのだろう。

 森のなかのコテッジで昼食、先ほど釣った蟹、そして海老、ムツゴロウ、そして鍋物。満腹の連続である。

 池のそばに猿小屋が二つ。 白と黒のギボンが人の気配を見て池の真ん中の遊び場まで来て、愛嬌をふりまいている。
 手足が長いせいか、なぜか動きがゆったりとしている。
 観光客は外国人ばかりでなく、ベトナム人のグループの姿もみられた。

 帰りのモーターボートは大変だった。
 小倉さんの「カメラに注意!」の予告がばっちりあたった。
 ものすごいスコールだ。
 急遽もらったビニール製の合羽もなんのその、びしょ濡れで対岸の船着場へ到着。
 しかし、モーターボートのドライバーさんがフォーの昼食をとって引き上げるころはもう青空になっていた。

 遊び疲れて、帰りの車中、頭痛がしてきた。後一日、元気で過ごしたいので、我慢はやめにして、ウットさんに頭痛薬をお願いした。
 即座にPanadol EXTRAと韓国製のBMg-B6という錠剤を買って下さった。
 フェリー乗り場で“頭痛にノーシン”みたいな感じでPanadolの広告を眺めていたが、まさかこれにお世話になるとは思わなかった。
 ちなみに、これですっきり回復したのはいうまでもありません。 

ホーチミンにて
 市内に戻り、ウットさんの案内で、枯葉剤の後遺症のある人々が働いているベトナム特産の漆塗りの工場Cong TY 27-7を見学。
 係員はそれぞれ、英、仏、日など客の言語で案内をしてくれる。
 韓国スターのコン・サンウやチェ・ ジュウのポスターが貼ってあったりする工場内は和やかな雰囲気だ。
 コースの最後は作品の展示即売場。それぞれ、お椀やお盆などを購入した。

 夕食はルーンさんに小倉さんといっしょにマジェスティックホテルのブッフェをご馳走になる。
 こういう豪華な雰囲気は何か独特の気分がするものだ。
 ロビーやレストランの壁にかかっていたベトナムの画家のものと思われる作品はなかなか良かった。 作家の名前をひかえてこなかったのが残念。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月20日(木)

2006-01-06 | ホーチミン
 10月20日(木) 

ホーチミン

 いよいよ今日が最終日。 市内観光はお買い物をしながらということで、歩きまわる。お仕事を終えた高橋さんもいろいろ薀蓄ある案内をしてくださった。

 日本の女性雑誌記事では雑貨ものブームが続いている。その中心地は今やベトナムである。
 ホーチミンの目抜き通りをそれらしき店が連なり客を呼んでいる。
 経営者が日本人とおぼしき店も多い。
 布製品、竹製品、陶器等々、それぞれ民族色豊かな技巧を凝らしてある。
 買い物が大好きな私は「また、来るから。」と財布の紐を引き締めたけれど結構買い込んだ。

 ホーおじさん記念館は休館中、市民劇場は「ベトナム女性の日」の催物の看板が見える。
 ホーチミン市庁舎、統一会堂などを遠く外から眺めて、刺繍専門店のギャラリーを見物。
 書店では、小倉さんは今、話題を集めているベトナム戦争に関する体験記ものの一つ“ギャムの日記”のオリジナルを購入。
 私は残念ながらベトナム語がわからないので高橋さんお薦めの写真集を2冊購入。Bikes of Burden, by Hans Kempはバイクで様々な荷物を工夫して運ぶ姿が逞しい生活力をうかがわせ傑作だ。
 表へ出るとバイクの主が新聞を読み、荷台にサングラスをかけたワンちゃんがすわっている。
 彼or 彼女は荷物じゃないので、優雅に一匹だけで荷台に鎮座していた。

 昼食はベンタイン市場でコーヒー、茶などの買い物のあと、ウットさんのなじみの店でおいしくいただいた。
 食後は有名な喫茶店ケム・バクダンに入る。
 隣の席では優雅にベトナムコーヒーをテーブルで点てていたが、われわれはそれぞれ、山盛りのアイスクリームを注文。大きなココナッツをくりぬいてその中にいっぱいのアイスクリームはさすがに完食するのは至難の業であった。

 出発前の小休止の後、最後の晩餐となった。
 ルーンさん、カーさんも一緒に日本人が経営するというサイゴンホテルの近くの店でフォーをいただく。みんなで今回の旅の総括の後、小倉さんと私はお別れだ。ルーンさんと高橋さんが空港まで送って下さった。
 搭乗まで時間と若干のドルやドンがあったのでチョコやゴマのお菓子を買ったりしてのんびり過ごす。 往路は後部にかなりの空席があり、横になれたが、今回はほぼ満席。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月21日(金)&感想

2006-01-06 | ベトナム
10月21日(金)

 早朝、無事成田へ到着。小倉さんは京成線へ私はバスへとそれぞれ乗り込んだ。お疲れさまでした。

感想  

 約30年前、2度目の海外旅行だった。
 羽田から、バンコック、ビエンチャンを経由してたどり着いたハノイ。
 戦後そのものの状況の中で、ベトナムの人々は私たちを歓迎してくれた。
 ホアビン、ハロン湾などもちろん北部のみだった。

 その後、心の隅に「今頃ベトナムは。」と思いながら、私の関心は南アジアが中心になっていた。

 今回、お誘いをいただき、ベトナム南部を訪れることができた。
 FUJI奨学基金のことは知っていたが、もう15年も継続しているその活動の一部に参加させていただいた。
 ベテラン揃いの中で素人は私だけで、緊張と安心を半分半分にして出かけたが、結果、多いに楽しませていただいた。

  途上国における教育の重要は誰もが論ずるところだ。
 義務教育が小学校5年と聞くと戦前自分の母親が高等小学校へ行けなかったという時代を思い出す。
 中学一年生の幼顔を見ながら、親もかなりの苦労と努力をしていることが察せられる。
 奨学金を寄付している中学校、高校そして大学の生徒、学生たちも戦後30年経って、親の経験をどれほど理解しているかは別に、みんな明るく、まじめな印象を受けた。
 いずれ、このうちの何人かは、エリートとして国の指導者になっていくのだろうか。
 ベトナムは努力がまだまだ通用する国なのだ。
 つい、先行きのつまってしまった日本の状況と比較してしまう。奨学金のプレゼンターをしながら、諸々感じた。

 今回、訪れた南部ベトナムは、10月という良い季節のせいか、暑さもちょうど良い加減で過ごしやすかった。
 移動中の車から眺める町々も賑わい、畑や田んぼも緑豊かであった。
 市場には、様々な野菜、果物、肉、魚、日用品がいっぱいで、自然に恵まれていることが察せられた。
 今後も、オートバイから車へ、そして、家にもエアコンを付けて・・・と生活も変化していくのだろう。

 チャウドクのカム山に登り、途中、行き交う人々を見ながら国境を接する地域にいるという実感をもった。
 まず、生活ありきということが人間にとって何と重要なことか。
 国境とは政治なのだ。
 いろいろな国の国境地帯を訪れる度に感じることである。
 そして、紛争時には一番厳しい場所になる。

 島国の日本人とは違う国際感覚の敏感さも育まれているのだとも思う。
 つい先日、靖国神社遊就館へ「見学」に行って、50分位のビデオを見た。「日本はやむを得ず戦争にのりだした」とか「愛する人のために戦った人たち」などと、歴史や過去の戦争を説明していた。
 話には聞いていたのだが、改めてぞっとし、なぜか、南ベトナム民族解放戦線の作戦会議を行ったトゥック・ドゥップの岩山の要塞やポルポトによる大量虐殺の行われたバーチェック村の寺を訪れた場面を思い出し、頭の中がザラザラになった。

 旅行中に、ウットさんが読んでくれたベトナム紙に載った日本関連の記事と重なったのかもしれない。
 最近の日本の外交姿勢に対し、アジア諸国をはじめ、各国の良識ある人々からも憂慮の声があがっている。

 侵略に反対することの重要性を再び学んだ旅でもあった。