ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(7)10月12日ホーチミン市師範大学訪問、クチ観光

2009-11-14 | ホーチミン
  10月12日、旅の最終日。
  平田、宮本、松永、ルーンさんも4人はホーチミン市師範大学日本語学科を訪問、残りの者はベトナム戦争の激戦地、クチの観光に向かう。
  午後には全員が落ち合い土産物などの買い物をした後、ホテルをチェックアウト。ホーチミン市の中でも最も伝統あるマジェスティックホテルで夕食。夕食後、ホテル屋上にある“M バー”でサイゴン河の夜景を見ながら各自思いを巡らす。 (岩田・記)

←サイゴン河の夜景

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(6)10月11日カンゾー観光

2009-11-14 | ホーチミン
  奨学金授与の行事がすべて終わり、私たちはベトナム戦争の激戦地の一つ、カンゾーに向かう。カンゾーへの道はすごい悪路で、私たちは何度も左右に振られ、飛び上がった。
  ベンチェの「支援する会」の訪問などで、枯れ葉剤が人体に深刻な影響をもたらすことについては理解できたつもりだが、枯れ葉剤が自然にどのような影響を与えたか、車窓から見る風景だけではよく分からなかった。
  しかし、カンゾーに着いて、繁殖旺盛なマングローブ林がすべて大人の腕ほどの若い木々のみからなっているのを見て、やっと枯れ葉剤がこの一帯の自然を破壊しつくしたのだ、ということが実感できた。
  また、このあたりは現在の地球上で最大の爬虫類、イリエワニ(400-1500kg)の生息地で、ベトナム戦争当時、この付近でゲリラ戦を展開していた解放戦線部隊の総兵員数の実に3分の1に相当する850名もの兵士が、任務遂行中にこのワニに襲われ命を失った。このため、カンゾーの森林公園内に建てられている戦没者を追悼するモニュメントの裏側にはワニが彫られている。
  このような悲惨な死をもたらしたイリエワニも、枯れ葉剤の影響で、現在は絶滅の危機に瀕しているとのことである。この話をしてくれたガイドのハ・トンさんが、いつもは陽気で、私たちを笑わせてばかりいるのに、このときは真顔で、
  「植物はなんとか回復するが、動物は回復しない」と言った言葉が重い。 (岩田・記)

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(5)10月9・10日チャウドックの中・高校生へ奨学金授与

2009-11-14 | TKN(ツ・コア・ギア)高校

  10月9日、ベトナム・アンザン省の省都ロンスエンから、カンボジアとの国境の街チャウドックに向かう。バスの車窓から見る風景は一面の水である。稲作文化を共有するからだろうか、この風景は不思議と違和感がない。ちょうど代掻きが終わるころ、パッと一斉に広がる日本の水田を眺めているようで、どこか郷愁さえ感じる。

ビンミー幼稚園、ビンチャウ幼稚園、ビンチャウ中学校訪問
  チャウドック近郊で、FUJI教育基金会員が援助した幼稚園2園と中学校1校に立ち寄る。

  最初に訪れたビンミー幼稚園では、園児たちが教室でワイワイとにぎやか。日本から持ってきた牛乳パックで作った“ドラえもん”や“ピカチュウ”をわたすと、園児たちは大喜び。このおもちゃは、口をパクパクさせることができる。
←ビンミー幼稚園で
  “ごっこ”遊びでもするのかと想像していたところ、これを手に持つや否や、男の子も女の子も一斉に、お互いに噛み合いを始めた。その騒がしいこと。この反応は日本の子どもとまったく同じ。

  もう1つのビンチャウ幼稚園は、残念ながら午前の部が終わった直後に訪問したので、園児は不在であったが、7人の先生方が私たちを待っていてくれた。この幼稚園が建築された当初は、砂漠のような殺風景な所にぽつんと建っていたそうだが、現在は園長さんたちの努力で前庭一面に赤いマツバボタンが咲き、幼稚園にふさわしいかわいい園となっている。

  ビンチャウ中学校は高床式の校舎である。以前、増水期には校庭が水没して、登下校時に親が生徒たちを船で送迎したそうであるが、堤防がかさ上げされてからは、水没することはまれだとのこと。しかし、私たちが訪問したとき、中学校のすぐ近くを流れる川は堤防から50cmほどの下を流れ、その水位は校庭より2mほども高かった。
←ビンチャウ中学校
  ベトナムでは幼稚園を含めてほぼすべて2部制だそうだが、この中学校も2部制で生徒数は340名、教員数は35名とのこと。私たちが訪問した時には教室でピタゴラスの定理の授業中であった。(岩田・記)

ツ・コア・ギヤ高校、ボー・ティ・サウ高校、グエン・デイン・チュー中学校奨学生への奨学金授与
  午後4時、ツ・コア・ギア高校で私たちは、廊下に並ぶ真っ白なアオザイ(制服)の女子高生たちに出迎えられる。
←制服の女子高生による出迎え
  大きな教室には「歓迎!」「FUJI教育基金2009-2010年度奨学金授与式」と書かれ、すでに3校の奨学生(ツ・コア・ギア高校20名、ボー・ティ・サウ高校20名、グエン・デイン・チュー中学校40名)が勢ぞろいして待っていた。
  最初に FUJI教育基金の協力者・世話役フーンさんが挨拶され、続いてツ・コア・ギア高校代表キエットさんが、
  「子どもは国の将来を担う重要な力だが、すべての子どもはいろいろな困難を抱えている。 こうして遠く日本から来られ、援助して下さることはそれを乗り越える大きな力と励みとなっている。 FUJI教育基金の奨学金は1996年から受けている。 最初の奨学生はもう社会に出て働いているが、皆さんの気持に答えるようがんばっている」と挨拶された。 
  また、ボー・ティ・サウ高校のホア副校長も、
  「毎年入学して来る1200-1300人の生徒の15%は、親がなかったり、孤児であったりして勉学が困難である。 育英会も奨学金を出しているが、FUJI教育基金の奨学金は成績が優秀でないと受けられないので、とても励ましになる。 これは大変ありがたいことで、これからも続けてほしい」と述べられた。
  つづいて、壇上に上がった生徒たちに交代で1人ずつ奨学金を渡して握手し、記念撮影をした後、ノートと筆記具を贈る。
←奨学生(中学生)
←奨学生(高校生)
  これに対し、奨学生を代表してボー・ティ・サウ高校2年生トウアンさんから、
  「奨学金をいただき、とても感動している。 チャウドックは、最近の調査によると300年前からの歴史を持つ町で、最近は年間100万人の観光客を迎えている。 ふるさとに誇りと責任を持ち、もっと発展させるよう頑張りたい。 この奨学金は幸せいっぱいの中でいただく。あらためて厚くお礼を申し上げる」 との立派なお礼の言葉があった。
  その後、「FUJI教育基金とはどういう会か」「日本の高校生はどんな生活をしているか」「どうしてチャウドックを選んだのか」などなど生徒たちからのさまざまな質問に対して、私たちは交代で答える。
  最後にFUJI教育基金(宮本)から、「ここに遠くても来たのは、皆さんに会いたい、皆さんの元気な顔が見たいと思ったから。また、チャウドックはルーンさんの故郷であり、信頼できる人たちが、私達の奨学金を有効に使って下さるから」と挨拶して締めくくった。(宮本・記)

10月10日:奨学金を授与された高校生たちとの交流
  朝、ツ・コア・ギヤ高校とボー・テイ・サウ高校の生徒(各8名)およびそれぞれの高校の先生たちとホテル前で合流し、2台の車に乗って、まずチャウドクの市場の見学。
  そのあと、サム山とバー・チュアスー廟の観光に向かう。車中では、日本から作って持ってきたサイコロキュービックなどで交流。
←サイコロキュービックで交流
  サム山の頂上では、功徳を積むために売られているツバメを買って、奨学生と共に祈りを込めて空に放す。ツバメは手のひらにほのかな温かみを残しながら、瞬く間に視界から消えて行く。ツバメが飛び去った向こうには、空とも水とも区別がつかない茫漠たる氾濫原が広がる。
←高校生たちとサム山で
  観光後、奨学生たちと昼食会。やはり、みんな礼儀正しい。ほぼ、食事がほぼ終了するころ、高校生たちに「何か歌を」と所望すると、一斉にベトナムの歌を歌い出した。歌詞の内容は分からないが、みんな大きな声で歌っているところをみると、ポピュラーな歌らしい。その返礼として私たちが何を歌うべきか思案していると、向野さんがタイムリーに“今日の日はさよなら”を歌い出したので、みんなそれにつられて歌い、一同、拍手の中、交流昼食会はお開きとなった。 (岩田・記)

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(4)10月8日アンザン大学での奨学金授与

2009-11-14 | アンザン大学
アンザン大学


  授与式はルク副学長の挨拶から始まる。インフルエンザの影響で学内を消毒している最中に訪問したので、猛烈な噴霧器のエンジン音と消毒液の臭いの中で式が進行する。アンザン大学での奨学金授与は今回4回目、授与するのは農学部の学生20名である。
  私たちは交互に奨学生(男性16名、女性4名)に奨学金を授与する。そして、返礼としてアンザン大学の標章の入ったピンバッジを奨学生たちから胸に付けてもらう。
←アンザン大学の奨学生と授与者たち
  奨学金の授与が終わったあと、奨学生を代表して、ゴク・ユンさんがお礼の挨拶を述べる。
←奨学生代表ゴク・ユンさん
  彼女の話は長く複雑で、日本語に訳すと時間が相当かかりそうなので、ルク副学長が手短にと促した。そのために中間をとばして挨拶は終わった。
  そのあと、彼女を代表に選んだ教官の1人から、
  「彼女から、父親が勤め先をリストラされ、それによって生じた家庭の窮状を綴った手紙を受け取り、その内容に感動したので、奨学生代表に選んだ。そして、手紙の内容を挨拶の中で話すよう彼女に勧めた」との説明があった。
  「今回は残念ながら、時間が押しているので手紙の全容を紹介できないが、後日、日本語に翻訳し、何らかの方法で皆さんに知らせる」ことで一同、納得。
  最後に、アンザン大学からお礼として、アンザン大学の標章入りの盾と花束がFUJI教育基金に贈呈される。
←副学長から盾と花束が授与される

  夕食はロンスエンのレストランで、ネップ・モイで乾杯しながら、奨学生たちと楽しく交流。奨学生たちは私たち高齢者に対して非常に礼儀正しく振る舞い、日本の若者に彼らの爪の垢を煎じて飲ませたいとの思いを強くいだいた。
  会も終わりに近づき、一同のアルコール度も上がった頃、奨学生の1人が地元の民謡を歌ってくれた。その返礼に私たちは“北国の春”を歌おうと、立ち上がったのは良いが、それぞれが歌詞をうろ覚えで、断水後に蛇口をひねったような歌となる。
  すると、奨学生のみんなが立ち上がり、一斉に威勢よく歌い出す。歌詞の詳細は不明だが、どうやらホーチミンを賛美する歌らしい。まるで母校の応援歌を歌う団員のような彼らの歌声に、ただ脱帽!
  私たちが訪れた時、ロンスエンに長期滞在する日本人は2人だけとのことだが、どのような伝をたどってか、その2人とも今宵の交流パーティに出席された。1人はJICA(青年海外協力隊)から妊婦の栄養指導のために派遣された遠藤さん、もう1人はコシヒカリの栽培を指導されている江森さんである。江森さんはベトナムから日本に帰化された方なので、ロンスエンに長期滞在する元々の日本人は遠藤さん1人であるらしい。彼女はベトナムに滞在してまだ3ヶ月なのにベトナム語で奨学生たちと楽しく会話している。 (岩田・記)