ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

FUJI教育基金・奨学金への感謝のことば

2007-12-13 | アンザン大学
 FUJI教育基金の皆様

 私は、光栄にも、FUJI教育基金の奨学金を受けている学生の一人で、アンザン大学生物工学科、アン・テュと申します。

 皆様がベトナムへ来て奨学金を渡してくれる日(2007年10月11日)の前に、奨学金をもらえるのがわかって、心から喜び、とっても幸せでした。私が母に電話したところ、母はとっても感激し、喜びました。母は“皆様が遠い所で、苦労して働いているのに、あなたたちのことを考えてくれているという、その気持ちをとてもありがたく思います”と言いました。私の家族は皆様に心から感謝の気持ちを送らせていただきます。

 皆様がベトナムへ来て奨学金を渡してくれた日、私は、初めて、尊厳でありながらとっても親密な式典に参加することができました。
 皆様の心、笑顔、厚い手の輪の握手が、言語の距離をなくさせて、人情が小さい部屋にいっぱい広がり、私はとっても暖かくて幸せでした。
 私は光栄にも、FUJI教育基金の学生の代表として、感想の言葉を発表しました。
 私はいつも皆様の親愛、分け合いの心、心が通じ合う視線、を忘れることはありません。

 私の家族は6人です。おじいさんは81歳で、両親と3人兄弟です。私の家族は田圃がありません。公務員の少ない給料で、父は苦労して私と高校2年の弟を育成しています。
 兄は19年前から精神病にかかって、毎月150万-200万ドンの治療費が必要です。もし病気がなければ兄は26歳で、働いて、両親の厳しい生活を助けることができるでしょう。兄は怒りやすくて、石を人に投げます。父も彼に石を投げられて、針で6箇所を縫いました。
 兄の興奮状態でどんなに家族が心配しているか、じゅうぶん話し切れません。彼の行動をコントロールできないことを両親が苦しみ、涙していることををじゅうぶんお伝えすることができません。
 あいにく、2年前に母は卵巣病にかかって、今もまだ手術しておらず、南方薬でしか治療していません。
 私は、母の治療費がないのを心配しながらも、父の働く所が遠くて家を守る人がいないこと、おじいさんが高齢で体が弱いこと、私が勉強で家を離れていること、あるいは兄がそのような病気にかかっていることを、父が心配していることがわかります。
 私は家族をとても愛しており、両親の子供であること、先生方々に見守られていること、友達の親愛で幸せです。

 私は、作家グエン・カイ (Nguyen Khai)の次の言葉がとっても好きです。
 “生きることは死ぬことから生み出すのです。苦労、犠牲から幸せが現れます。世の中、終わる道はなく、境界線しかありません。大切なのは、私たちは力が足りるかどうか、その境界線を越えることができるのかどうかです”。
 それで、私は大勢の人々より幸せを感じています:私は健康で、日常生活、勉強ができ、周りの方々から助けていただいています。
 現在、私は勉強しながら3人の5年生の家庭教師をやっています。その他、学校の活動にも参加しています。
 仕事通しての喜びが苦悩を忘れさせて、私は、人生がとっても価値のあることを感じています。

 皆様
 不幸の後ろは喜びです。もしそうでなければ、信じることと人生の高貴な価値は存続することはできません。FUJI教育基金の奨学金をもらうことは、私にとって大きい激励なのです。
 皆様の真情は大きな動機で、私の厳しい環境を越えるのを助けてくれます。もらった奨学金で、私はいままで実現できなかった夢の専門英語辞書を買うことができ、私の専門の勉強にとっても役に立っています。残りは勉強のための分で、家族の負担をある程度減らすことができます。

 いくら厳しくて、苦労しても、私はいつもすべての面で頑張って越えていきます。その理由は、私は孤独ではないからです。私の将来に向けて、両親、先生方々の恩情、特に皆様の真情と期待があります。私は勉強をよく頑張って、役に立つ公民に成り、自分の力で社会に貢献します。

 最後に、皆様に私と私の家族の心からの感謝の言葉を送りさせていただきます。
 皆様が健康で、幸運と幸せでありますようにお祈りいたします。

 まことに感謝します: アン・テュ (女性)