奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1002)

2019-05-23 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「歴史の余白~日本近現代こぼれ話(浅見雅男著・文春新書2018刊)」を読んだ。浅見雅男(あさみまさお1947生れ)氏は、慶應大学(経済学部)卒で、出版社にて編集に携わりながら、近現代史の研究/著述を行ってきた。日文研研究員、上智大学/学習院女子大学の非常勤講師も務めている。------

「歴史の余白」は、明治150年を期して、出版界で多数登場した書籍の1冊であり、浅見雅男氏の得意とする分野の“こぼれ話”を23節に亘って列挙されたものであり、読者としては知っている事もあるのだが、大部分は良く知らなかったことが書かれており、改めて事の真実を知るに及んで、考えを改めさせられる仕儀にもなるのである。-----

冒頭の“明治天皇と皇女と夫たち”、“貧乏華族と化け猫女優”を読むだけでも、明治以降の皇室のあり様が良く分かって、ある種の痛ましさを感じざるを得ないのである。結局、話しの内容は下世話な世間好きする話題を事細かに調べて、お上でも庶民と同様の悩みを持ち、家族の出来不出来で家庭は脅かされることを多くの事例を上げて教えてくれてもいる。-----

中程の、“海舟と諭吉の犬猿の仲の真相”では、ご当人が慶應大学出身であるせいか、矢張りというか、諭吉に軍配を上げている。まあ、海舟は幕府側であり、諭吉は豊前藩であったのだから、最初から海舟は諭吉など相手にしていなかったのだろうが、諭吉側からすれば、幕末明治の偉人の一人として肩を並べたくもなるのだろうが、身分は別にして、格が違うと思うのが普通であると思った。幕藩体制に親しみを感じていた諭吉としては海舟の幕府見殺しが気に食わなかったと云えるのかもしれないが。

コメント

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1001)

2019-05-22 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「わが山山(深田久彌著・中公文庫1980刊/1934年版の文庫化)」を読んだ。深田久彌(ふかだきゅうや1903~1971)氏は、東大(哲学科)在学中に文藝春秋掲載の“オロッコの娘(1930)”が好評を得て、東大を中退し作家生活を始めた。-----

“オロッコの娘”が同棲していた北畠八穂(きたばたけやお1903~1982)の作品の焼き直しであると、小林秀雄や川端康成に気付かれた(1932)後、落ち込んでいたようではあるが、純文学ではなくて、新聞や雑誌に載せてきた山岳紀行文や随筆を、「わが山山」と題して、勤めていた改造社から取り纏めて出版させてもらっている。後に夙(つと)に有名となる“日本百名山(1964)”を遡ること30年前の書きものであるが、純文学は不得意な深田久彌であったが、山岳紀行文は当時から味があったのだと分かるのである。ファン必読の書の一つとして、今も文庫の版は続いているようだ。-----

作家生活に難を覚えた時に、山行きを決行しているのでもなくて、一高生の時代から、山好きスキー好きであったと、「わが山山」を読むとその辺りが良く理解できる優れ物でもある。素直な深田久彌の人柄が偲ばれて、東大生の高慢ちきさは欠片もない処が、山岳会でも受け入れられたのではと思うし、挫折からの深田久彌の復活を知る意味でも「わが山山」は欠かせないのだろう。

コメント

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1000)

2019-05-21 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「大阪的~おもろい/おばはんは、こうしてつくられた(井上章一著・幻冬舎新書2018刊)」を読んだ。井上章一(いのうえしょういち1955生れ)氏は、京大(建築学科)卒で、京大人文科研助手を経て、現在は国際日本文化研究センター教授である。専門は建築史・意匠論の他、風俗史、美人論、関西文化論と巾広く活動している。-----

「大阪的」は、大阪の今に至る地盤沈下の原因を、スポーツ/芸能/衣食住とこれも考え得る限りの文化の端々から読み解こうとした労作である。-----

谷崎潤一郎の“細雪(1949全刊)”が上梓された頃と較べると、隔世の感があり、現在の大阪の文化レベルはお笑いにしかないようであり頗る寂しい限りである。-----

井上章一氏は京都から大阪を眺める立ち位置で論じておられるので、大阪に深く埋没し、自信喪失している人には、教えられることが多いのかも知れません。----

日本史の用語を、古墳時代ではなくて河内王朝時代にせよとか、安土桃山時代を安土大阪時代にせよとか、石山本願寺を大阪本願寺にせよとか、弥生時代は素焼式土器時代であるべきだとか、東大を取り巻く権威者が用語を恣意的に定めているのではないかと井上章一氏はお怒りでもある。大化の改新も奈良ではなくて大阪の難波宮で執り行われたことを知らない人も多過ぎると嘆いておられる。相当に大阪びいきになって「大阪的」は書かれているのだ。

コメント

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その999)

2019-05-20 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「歴史の影絵(吉村昭著・文春文庫2003刊/1981版の文庫化)」を読んだ。吉村昭(よしむらあきら1927~2006)氏は、学習院大学中退である。“戦艦武蔵(1966刊)”以降、綿密な取材に拠る記録文学・歴史文学を多数世に送り出した。-----

「歴史の影絵」は、中央公論社の“歴史と人物”に“歴史を歩く”と題して連載(1980年1~12月)した原稿を単行本化した後の2度目の文庫化に当たる。吉村昭氏の小説の取材ノートの開陳のような雰囲気であり、舞台裏を惜しげもなく披露している。と言っても誰でもが真似の出来る事ではないのであり、だからこそ舞台裏も面白い読み物として成立しているのだろう。吉村昭のファンならずとも、歴史上の人物の子孫やその関係者に史料を見せて貰ったり、尋ねたり、またその地の郷土史家に教えを請うたりもしている。兎に角、取材のためには労を厭わず頭も下げるのであるから、作家魂も見上げたものである。だから吉村昭独特の記録文学の境地を切り開いたとも云える。その種明かしになる本だから、後の時代にも通用するのであり、単なる流行作家や大衆小説家やSF作家や純文学作家ではないのである。-----

“イネと娘高子”は“ふぉんしいほるとの娘”のもの、“軍用機と牛馬”は“零式戦闘機”のそれぞれ取材ノートなのである。

コメント

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その998)

2019-05-19 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「幻の草薙剣と楊貴妃伝説(長谷川修著・ロッコウブックス1977刊)」を読んだ。長谷川修(はせがわおさむ1926~1979)氏は、京大(工学部)卒でありながら、映画監督を目指すが、親の反対もあり、化学薬品会社に就職する。肺浸潤を患い2年間療養する中で、著作を始める。その後、下関の水産大学化学科教官を務めながら、文壇活動にも精を出した。------

「幻の草薙剣と楊貴妃伝説」は、高松塚古墳(1972)と藤ノ木古墳(1985~)の発掘の時代の丁度真ん中頃であり、古代史ブームの熱が、各処に蠢いていたとも考えられる。その様な中で、被葬者を巡る議論があったりして、長谷川修氏も日本古代史に興味を惹かれたものと考えられ、記紀の解釈と山口県に残る楊貴妃伝説を1冊の本に仕上げられたものであるようだ。今となっては、記紀の解釈も当時よりは進んでいるので、長谷川修氏の説が今も耳目を引くとは思わないが、それでも可也熱心に書かれていて、面白いと感じた。-----

芥川賞に4回もノミネートされたそうだが、受賞には至らなかった。そのような作家としての活動の鬱憤が古代史の論及に至る著作の執筆に向かったものであるようだ。要するに、自己満足のための書籍として出版されているかのように見えた。“古代史推理(新潮社1974刊)”など同様の著書がある。

コメント