北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由(西部邁著・幻戯書房2013刊)」を読んだ。西部邁(にしべすすむ1939~2018)氏は、東大(経済学部)卒で、1988年東大教養学部教授を辞した。以後評論家として活動した。骨のある保守論客として年齢層を問わず多くのファンを獲得していた。-----
「どんな左翼にもいささかも同意できない」は、西部邁氏自身が60年安保で東大生の共産党/細胞として闘争に加わり挫折した経験を持つ処から、左翼の心情は手に取るように分かるが故に苦言の数々を対極にある保守陣営から撃ち続けてきた文言を一挙に総まとめにして書き出された本である。-----
腐儒は左翼的良心とか左翼の愚かしさとか革命という妄語とか天皇への瀆神とか平和とは強者による平定とか実存が無い伝統もない活力はさらにないとか偏差値は左翼が考え出した差別の隠蔽手段だなどの“18のくどくどしい左翼嫌いの理由”を述べた後で、次のように述懐している。“近代文明はすでに貨幣と情報によって動かされるテクノカルトの支配する季節、つまりシュペングラーの言う文明の冬期に入ったのだ、とみるしかありますまい。この列島についていえば歴史の相貌を持つ日本人の姿がみえなくなりました。そのかわりに社会の(政治経済のみならず文化社会の)全権力が歴史忘却の顔相をしたニッポンジンによって掌握されたのです。“、”人間性の抱える黒々もしくは赤々とした矛盾/二律背反/逆理が具体的に何であるかについて、それゆえ平衡感覚として伝統が具体的に何であるかについても、その詳しいところは何もわかっちゃいない、こんな戦後に生きてわかるはずもない。否何時の世でもわかったらめでたく成仏だ、と認めておくしかありますまい“