奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1356)

2020-05-10 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「養老孟司ガクモンの壁(日経ビジネス人文庫2003刊/初出1997.12)」の“第11章「自我はどのように生まれたか(澤口俊之との対談)」”を読んだ。養老孟司(1937~)氏は言わずもがな、“バカの壁(2003)”をヒットさせる直前の唯脳論学者である。澤口俊之(さわぐちとしゆき1959生れ)氏は、北大(理学部生物学科)卒、1987京大大学院(理学研究科)博士課程修了。イェール大学ポスドク、京大霊長類研究所助手、北大(文学部)助教授を経て、北大(医学研究科)教授/2006退職。専門は認知神経科学/脳進化学/脳内メカニズムの研究とのこと。現在は武蔵野学院大学(社会心理学)教授である。------

澤口俊之氏は、自我の問題を解くために、前頭連合野を15年間研究してきた。前頭連合野の中でもある働きが重要で、それが“ワーキングメモリー”という機能で、意思決定や思考さらには自我/意識とも密接に関係しているという。-----

養老孟司氏の自我の解釈は次のようである。“私たちが受けてきた教育は民主的なものです。私は小学2年で終戦だから、若干封建的なものが残っている。この封建制度って大変でしょうと云われるが案外そうでもない。なぜかと云えば封建制度って士農工商で他人が自分のことを見る、そうした自我を保証することなのです。自分が何者であるか、他人にどう見られているか初めから社会の約束事として決められているから、すごく楽なんです”、“士農工商がなくなって発明したのが名刺であり、肩書をつくって名刺に刷り込み、自分をこのように見てほしいと。それが我々の社会的自我なのでしょう”、“一方、自分が考えている自分を西洋的自我と呼んでいるが、私小説とはそれを諄々(くどくど)と説明するものなのです”------

日本的自我が生んだ名刺と私小説の話を養老孟司氏から聞いた後の澤口俊之氏は論法の鋭さが消えて、自らの研究は暗中模索であると白状してしまっている。最後は若手に研究費をつけよとの話で終わっている。

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