◆犬の散歩◆

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朝日叩きはイデオロギーの対立に非ず

2005年05月31日 15時27分37秒 | 政治・世相・スポーツ等
某掲示板を見ていて思うのだけど、朝日などの日本にとって自虐的で朝鮮や中国にとって都合の良い言動をする者を左翼などといって揶揄しているけど、左翼だの右翼だのって一体なんだろう。(多くの某掲示板住人は、反中朝親台である)


語源や言葉としての意味はおいておくとして、最近は朝日のようなものを左翼、これに反するものを右翼というようだ。

たとえば、日本人はもっと愛国心を持てとかいうと「右翼」といって揶揄される。いや、愛国心くらいどこの国の国民だって持ってるはずなんだが、日本でそれをいうとどうやら批判の対象となってしまうようだ。

というか、こういう主張を揶揄する人というのは、だいたい国旗や君が代がきらいなものだ。ここでわかるのが、右翼だの左翼だのという言葉は、単なる形容詞や代名詞ではなく、侮蔑語であるということだ。

つまり、相手を「左翼」と罵る人がいた場合、実際に相手が左翼というよりも、彼が右翼なのだ。自分と意見を異にする(というか、根本的な思想、陣営かな)場合、相手を「右翼」だの「左翼」だのというようだ。

基本的に、右翼だろうが左翼だろうが、自分の意見を持つことは良いも悪いもない。まあ、限度はあるが。しかし、なにかしらの意見について、自分と正反対の思想を持つ相手を左右に分類するようにして罵り合う。奇妙なものである。
その意見を持つやつは右翼だからダメとかいうわけだ。その意見の正当性、有益性を議論しようとしない。頭からレッテルを貼って決めつけてしまうわけだ。


私はといえば、愛国心は持つべきだと思うし、天皇は尊重すべきだと思うし、国歌は君が代で良いと思うし、共産党や社民党が嫌いだし、自虐史観はやめるべきだと思うわけなので、いっぱしの「右翼」ということになろうかと思う(笑)。そう呼ばれても別になんとも思わないが(左右に分類されて怒る人は、「極」が頭につくと思われる)、でも、「思想」があってそうすべしといってるつもりはない。他人に押しつけるつもりも、あまりない。

2千年ものあいだ日本に君主として、象徴として君臨してきた天皇。子供の頃は「なくてもいいんじゃないの」と思ったけど、今は当然あるべきだと思う。立憲君主というほどのものじゃないけど、やはり国事行為は天皇の名前で行われるのだから、やっぱり天皇を中心とした国なんだなあと思うわけで。

皇族に様づけで呼ぶのも、昔は違和感があったけど、いまとなってはそう呼ぶのが当たり前だとなぜか理解している。なんでだろうなあ。よくわかんないけど。
やっぱり、国の象徴だからとか、歴史の重みを理解したからとか、そんなのだろうとは思う。

それで思うのが、自分が生まれた国を誇りに思えないというのは、やっぱり世界的に見てもかなり異質なことだろう。愛国心を持つのは人に右翼だのと揶揄されるものじゃないと思う。

外交なんかも、河野や宮沢の時代は「土下座外交」だったのが、最近の小泉や町村、安倍なんかはもう言うべきことはちゃんと言うようになってる。なんだかんだいって拉致を認めさせた小泉は凄い。いままでの日本の政治家と比べたら、ということだけども、こういう政治家が出てきて、その支持率が高く、また国民もネットなどで発言力を持つようになり、言いたいことが言えるようになってくると、中国や朝鮮の無茶な言い分にNOと言えるようになってきている。

日本が嫌いな日本人は、これを右傾化右傾化というが、日本人が日本人としての自我というか、アイデンティティに目覚め始めているだけのよう思える。それは、国民として「あたりまえ」なことで、これを「右」といって批判するのは、ちょっと違うように思える。それこそが「真ん中」なんじゃないか。
まあ、真ん中より左にいる人から見れば「右」に見えるんだろうけど(笑)

自分は右翼であるとは思わない。客観を大事にしようと思っているから。法律を学べば、客観的に物事の善悪を見極める力がつくと思う。その法的な目から見て、朝日のような活動方針、イデオロギーを持つ人間は「悪」だと思う。

国民が自国ではなく、朝鮮や中国に利をもたらし、自国をこれでもかと叩く姿は異様そのものだ。思想は自由かもしれないが、ゆがんでいる。自由とはいえ、よくないと言い切っていいんじゃないか。道徳、正義、いろんな言葉があるが、それらにもとる行為じゃないかと思う。

で、朝日などはそれにくわえて、その自虐行為のためなら手段を選ばない。「こういう記事を書きたい」という前提が先にあり、それを肯定する材料を探しにいく。そういう証言を強要する。証言しなければ証言したことにしてしまう。

これはまさに「鳴かぬなら 鳴いたと書こう ホトトギス」。

これは左右とは別に、許されない重大な行為だ。もし、北朝鮮みたいに自国の利益のために、嘘で塗り固めた報道をするようになったとしたら、それは断罪されるべきだ。自虐だからいけないのではない。うそ、捏造が一番いけないのだ。自虐行為なんかかわいいものだ。彼らの行為は情報テロそのものだ。決して許されるものではない。自虐的だからよけいに邪悪に見えるが、本質はテロ、工作行為を批判すべきだ。

個人的にも朝日的な思想は嫌いだ。でも、彼らは好き嫌いで済まされない領域に達している。イデオロギーの対立ほど醜く、不毛な闘いはない。それはしばしば悲劇を生むことを我々は知っている。しかし、原理主義者によるテロもまた、悲劇を生むことも明らかなことだ。その両方を行おうとしているのが、朝日なのだ。これ以上危険なことはない。

だからこそ、朝日の「反日情報テロ工作」を許すわけにはいかないし、朝日を叩くということは日本の国益や平和のために必要なことだと言える。

何がテロかって?

従軍慰安婦なんていう嘘っぱちを捏造して報道し、
それが嘘だとばれてもいっさいの訂正をせず、
朝日の元社員が北朝鮮の工作員と結託してそれを喧伝する情報テロ活動をし、
そのテロ活動を行ってる人物がNHKの下請けに潜り込み、
そのテロ活動をそのままNHKで放映しようと画策し、
失敗したらそれを反朝鮮な政治家の圧力のせいにしようと記事をでっちあげる。

これら、すべて「朝日新聞による工作」なのである。北朝鮮の工作員がやっていても不思議ではない行為なのである。それを日本人がやっているのである。北朝鮮とつながりがあると言われても仕方のないことなのである。

日本人が北朝鮮の工作に荷担している。これがどれだけ危険なことか、国民はもっと知るべきである。

オウムの危険を、サリン事件が起きてから知っても遅いのと同じだ。国民が気づいたときには、取り返しのつかないことになってるかもしれない。というと大げさかもしれない。朝日は捏造はするが人は殺さない、というかもしれない。しかし、この先もそうだとは、だれも言い切れないし、そこまでいかずとも、国益に反する、日本の権威を下げる、許されない行為を行っていることにかわりはない。

そういうわけで、私は朝日を叩くことは「正義」だと信じる。

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