格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

植草一秀氏著『日本の再生』(4) 投稿者:渡邉良明

2011-11-10 09:06:00 | 植草事件の真相掲示板

植草一秀氏著『日本の再生』(4) 投稿者:渡邉良明 投稿日:2011年11月 9日(水)20時40分50秒
 本著の中間にある(あるいは、中核を形づくる)第三章「市場原理主義の亡霊」の中で、著者は、ケインズ経済学の「功」と「罪」について、たいへん分かり易く論じている。
 もし、「植草経済学」というものがあるとするなら、正直、私は、それは、すでにケインズやフリードマンのそれを、はるかに超えていると感じる。

 確かに、ケインズの「有効需要」説は、不況の克服には効果的であろう。だが、彼の説く裁量的な政府支出は、下手をすると財政赤字を拡大させ、インフレの遠因ともなる。
 その盲点を批判したのが、「マネタリズム」で有名なミルトン・フリードマンである。彼の説く「マネタリズム」とは、植草氏によれば、「物価安定のための貨幣政策は一定にし、基本的には経済は自由な市場に委ねるべきだという考え方」である。

 植草氏の視点、あるいは論点は、常に公正、かつ無私である。彼は、このマネタリズムやサプライサイド重視の経済学が、1980年代以降、一定の成果を挙げた、と正当に評価する。
 だが、ものごとには、必ず光と影がある。
 「インフォメーションテクノロジー、すなわちITの飛躍的発展が企業のビジネスプロセスを根底から変質させた」(166頁)という現実こそあるが、行き過ぎたマネタリズムは、弱肉強食の市場原理として、日本国内の格差拡大を著しく激化させた。

 この第三章において、著者が力説したいことは、「セーフティネット強化が必要なときにセーフティネットを破壊する政策対応の倒錯」(173頁)という現実だと思う。
 私が植草氏の経済学が「王道の経済学だ」と感じる所以(ゆえん)の一つは、同氏が、「完全雇用こそ究極の経済政策目標」(177頁)としているからである。
 事実、「完全雇用」は、ケインズが心底望んでも、果たし得なかった理念(=理想)であるし、フリードマンなどは、それを、ハナから問題にしていなかった。

 だが、植草氏は、この「完全雇用」の大問題に真正面から取り組む。そのための一環として、彼は、「大規模な経済政策発動で、まずは経済活動水準を引き上げよ」(182頁)と訴える。
 同氏によれば、これこそが、「現在の最優先課題」(185頁)なのである。事実、彼のこのスタンスは一貫している。
 植草氏は、また、「成長を促進していく四つの産業分野」(190頁)として、環境関連ビジネス、高齢化関連ビジネス、観光関連ビジネス、そしてアジア関連産業を掲げる(同上)。
 これは、衆目の一致するところだ。

 ところで、同氏は、今世紀の最重要経済政策課題は、「分配問題」だと考える。つまり、彼は、”拡大する格差への対応”が重要だと見立てる。
 そのための施策の一環として、植草氏は、「所得税・住民税の最高税率引き上げを実施すべし」(197頁)と説き、「『同一価値労働・同一賃金制度』を早期に導入せよ」(198頁)と訴える。
 両者とも、それが実現できれば、どれ程、格差の是正につながるか知れない。後者の問題は、かなり困難とはいえ、すでにオランダなどでは、ある程度、実現している。

 それに加えて、「地方への人口分散が、国民に豊かさをもたらす」(203頁)も、非常に重要な指摘だと思う。
 この指摘を見ても分かるように、植草氏が求めているものは、常に「真実」「公正さ」「公平さ」、それに”調和”(あるいは、和の精神)であることが分かる。
 だが、今日、何にも増して重要な点は、「官僚利権の根絶なくして増税論議なし」(207頁)ということである。この同氏の視点は、常に一貫、かつ徹底している。
 とりわけ、同氏の”「隗より始めよ」ならぬ「官より始めよ」”という言葉は、単なるユーモアを超えて、実に深い真実を穿っていると思うのだ。

 さて、第四章の「エネルギーと日本経済の未来」の中で、植草氏が最も力説したいことは、「核廃絶こそ日本が追求すべきテーマ」(227頁)であるということだと思う。
 植草氏の視点は深いだけでなく、広く、かつ長い(=長期的な展望も優れている)。
それも、単に経済の在り方だけでなく、日本の国家としての理想的な在り方が、同氏の追究対象となる。まさに、そこには、超一流の政治経済学者としての彼の面目躍如たるものがある。
 それゆえ、その大所高所から見る学者の一人として、今日の日本と日本の将来を心から憂うる同氏は、「法治国家の根本原則をゆがめた東電救済」(241頁)や「強欲ボケたちが運営する日本」(245頁)という悪しき現実を、全く許すことができないのである。

 その点、本章の最後にある文章は、実に重要だ。同氏は、記す。
 ≪次期総選挙の際に、明確に脱原発、反原発を掲げる勢力が登場し、国民の審判を仰ぐ必要がある。
 国民も、目先の金に惑わされずに、強欲資本主義の下僕に成り下がらず、人類とかけがえのない地球の未来を見据えて誤りのない判定を下さなければならない≫(246頁)と。

 今回も、かなり長くなって、まことに恐縮だが、最終章(=第五章)の「対米隷属の経済政策の脱却」も、実に真摯で強力な主張と深い含蓄にあふれている。
 まず、「母屋でおかゆを食っているときに、放蕩息子が賭場で巨大損失」(254頁)という言葉に注目したい。
 確かに、今日の日本には、傲慢で強欲なくせに、何と無能で無責任な放蕩息子(=売国的な財務省官僚)たちが多いことか!
 このような国家・国民にとって有害な人々が、財務省の主流をなすゆえに、「外貨準備は米国に対する『上納金』」(260頁)となるのである。

 とりわけ、「小泉竹中政治は、外貨準備増加、米ドル国債購入という形で米国金融資本に資金を供給し、その資金が暴落している日本市場に逆流して巨大利益を生んだ可能性が高い」(261頁)という同氏の指摘は、われわれも、決して忘れてはならないと思うのだ。
 正直、小泉や竹中が正当に断罪され、植草氏が真に復活しない限り、日本国は、間違いなく没落するであろう。

 さて、すでに述べたことだが、著者が記す「TPPは現代版マッハンタン計画における核爆弾級の経済兵器だ」(263頁)を、私は、決して大袈裟だとは思わない。
 ユダヤ・アメリカのエゴイスティックな”狂気”は、本物だ。
 事実、植草氏の警鐘にもあるように、「TPPによって農林水産業と金融が狙い撃ちされる」(267頁)のだ。
 つまり、「日本の美しい田園風景と相互信頼の共同社会が破壊される」(274頁)のである。
 そうならないためにも、TPP参加・超緊縮庶民大増税政策を断固阻止し、「米国の隷属国である現状を修正せよ」(275頁)と、植草氏は力強く訴える。
 そのための長期的展望の一環として、彼によれば、「一○○年の計をもって必要不可欠なインフラを集中整備すべし」(277頁)なのである。
 そして、拙稿の冒頭でも論じたように、何よりも、「日本には、再生できる力がある」のだ。われわれは、このことを、心底信じるべきだと思う。

 TPP参加の問題で、国論が二分される今日、野田首相は、「政治主導」を強弁する。だが、実質は、単なる「政治(家)主導」ではなく、あくまで「アメリカによる政治主導」なのである。
 それに、心有る方々が感じておられるように、TPPは、「アメリカ大資本家の、アメリカ大資本家による、アメリカ大資本家のための一方的な差別協定」に過ぎない。
 植草氏は、彼のメルマガ・第39号「野田佳彦氏は自身の暴走を止められるか」の中で、次のように記した。
「日本は米国のために存在する国ではない。日本のために存在する国である」と。

 私は、この『日本の再生』という希望の書を、是非とも、皆さんの座右の書にして戴きたいと思う。
 今後の日本、および日本人の進むべき道を指し示す”指針”として、私は、これ以上の名著は無いと思うのだ。 【了】






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« TPP=貿易自由化の、正体 | トップ | 警察と右翼が「経産省前テン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

植草事件の真相掲示板」カテゴリの最新記事