風月庵だより

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友ヨゼフの死

2019-10-26 22:51:09 | Weblog

10月26日(土)晴れ【友ヨゼフの死】

昨晩は、高校時代の友人の葬儀ミサがありました。友の洗礼名はヨゼフですので、ここではヨゼフと呼ばせてください。とても紳士的な方でした。
高校時代は全く交流の無い方でしたが、私が3年前に永平寺での高祖大師(道元禅師)献供諷経の焼香師をつとめさせていただいたとき、随行してくださったのです。なぜわざわざともに永平寺まで行ってくださったのか。いまでも不思議に思っています。

彼がクリスチャンであることは、後で知りました。そうしてこの度、彼がお亡くなりになり、ミサがあるという知らせを、高校時代の友人が、知らせてくれました。たしか永平寺に一緒に行ったと思うので、ということで教えてくれたのです。

その友人も列席すると思っていましたら、自分は高校時代全く接点がなかったから行かない、ということでした。それから私は急にヨゼフという名の友と、おそらく前世からの縁があったのではないか、という思いが強くなりました。

ヨゼフのミサに列席してさらにその思いを強くしました。彼が所属していた教会は、フランシスコ会でした。やはり彼は正真正銘のクリスチャンで、勿論洗礼も受けていましたし、ご家族も全員洗礼を受けていることを、パンを司祭様から頂きにでたのでわかりました。そのような彼が永平寺に共に行ってくださったのは、永平寺という禅寺自体に興味があったのかもしれませんが、都内のご自宅から、2時間ちかくかけて私が住職をしているお寺まで来てくださり、それから貸し切りバスで永平寺に伺ったのです。今でもどういう縁なのだろうかと不思議にさえ思っています。

たまたまフランシスコ会の教会員ということですが、私はイタリアのアッシジに聖フランチェスコを慕って、半月ほど滞在したことがあります。サン・ダミアノ教会もポルツィウンクラの小聖堂も、フランチェスコが祈りを捧げ続けた洞窟も鮮明に記憶にあります。

ヨゼフも私も前世において、共に道を求めていた修行者の灯が入っているのかもしれません。生まれ変わりという表現は安直にできませんが、来世もさらに学び続けようと共に誓ったエネルギーも入り込んだのではないかと感じました。ヨゼフさんは、キリスト教に。私は仏教に。私も中学時代はキリスト教の日曜学校に真剣に通っていました。

ミサではヨゼフのために多くの讃美歌を一同で歌い、司祭様の先導で、葬儀ミサでお唱えする聖書の一節一節を唱え、ヨゼフの死を讃えました。

仏教のご葬儀の式次第とは、全く違いますね。また、死に対しての受け取り方も違います。それぞれと思います。
友ヨゼフの冥福を祈ります。私もそのうちに天に帰ります。そしてまた来世生まれくるどなたかの新しい命の火に、再び道を求める願いを吹き込める炎になりましょう。


初めに歌った讃美歌の歌詞を、紹介しておきます。

讃美歌 445番 「世を去る友」

1、世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出(かどで)なりせば  

2、愛の みあるじよ かなしき わかれ   み旨と あおぎて 忍びて あらなん  

3、主に 賜わりては 主に 召さるるぞ 此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ     

4、とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて 逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる  

たまたま昨日は、御苑の隣にある高校の前にある建物に出かける用がありました。何十年ぶりかの学び舎は、木造の2階建てであったときの風貌はすっかり変わってしまっています。滅多に新宿には出かけませんが、たまたまこのように重なることは、縁を感じます。

お寺に帰って来てから、永平寺を参拝した時の集合写真を開いてみました。まことに温厚な紳士然としたお顔を改めて拝みました。また来世でお会いできますように。

#来世の縁

#前世の縁

#聖フランチェスコ

#ヨゼフ

#讃美歌「世を去る友」

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墓じまい お骨洗い

2019-10-22 09:58:24 | Weblog

10月22日(火)雨【墓じまい お骨洗い】

このところ台風や大雨の被害が各地にあり、多くの犠牲になられた方々や被災なさいました皆様に、お悔やみ申し上げます。

当寺は、今朝の大雨を見て回りましたが、駐車場と境内に池ができてしまっていたりしますが、今日のような大雨の時には、お参りの方もないと思いますので、被害はありませんでした。

さて、先日、お一人でお住まいの檀家さんが、将来のことをお考えになり、墓じまいをなさいました。60年前に土葬された人のお骨と、22年前にお亡くなりの方は骨壺で埋葬されているというので、石材店の人たちが5人がかりで、墓所を掘りました。この家の墓所はカロートがありませんでした。墓石の近くを掘りましたら、土の中からポリバケツがでてきました。蓋を開けて見ましたら、骨壺が入っていました。それも、非常にきれいな状態です。水も入っていません。とにかく22年も経っているというのに、骨壺の下も全く汚れていなくて、驚くほどでした。

土葬の方は、まずどのあたりか探し当てることからはじまりました。地アマ(どのような字をかくのかわかりませんが、職人さんたちはそのように表現しています)が出てくるところは、掘り起こしていない、と言います。また6尺掘っているはずだ、と言います。6尺と言いますと人一人立てる高さですからかなり深いです。

「あ、これかな」という声で覗いてみますと、茶色になった木の枝のようなものが出てきました。それからどんどん堀り出されまして、ついに頭骸骨が出てきました。

60年経っても、土に全くかえっていませんでした。着物の切れ端も残っていました。
出てきたお骨は泥だらけですから、このまま合同供養塔に収めるわけにはいきませんので、またもお骨洗いです。お骨を洗うのは、父のお骨、先代のお母さんのお骨、そして今回と、これで三度目です。しかし、さすがに頭骸骨を洗うのは、なかなかです。

こんなことをする住職は少ないかもしれませんね。しかしお蔭様で無事にお骨を掘りだすことができ墓じまいをきちんとなさることができ、檀家さんもほっとしたようです。

このような墓じまいをなさる檀家さんのためにも、合同供養塔は必ず必要であると思い、昨年建立することができよかったと思っています。しかし、このお骨は焼骨し直さなければ、と思っています。古いお墓の墓じまいは、なかなか大変ですね。

(きれいに保存されていた骨壺とポリバケツです。まさか土葬の方は、写真にもとりませんし、ブログには掲載できませんが、骨壺は許されるでしょう。)

#墓じまい

#お骨洗い

 

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母からの別れの言葉 百カ日

2019-10-07 17:16:03 | Weblog

10月7日(月)晴れ【母からの別れの言葉 百カ日】

今日はかなり涼しい朝でした。皆様この気候の変動にうまく対処なさっていますか。
私はこのところお寺の仕事も忙しく、ご葬儀や法事もつとめさせていただいています。
しかし、あっという間に百日がたちました。卒哭忌とは言いますが、これで泣き止むというのではなく、そろそろ泣くのは止めようか、というような優しい促しのような区切りかと思っています。

しかし、この間、母は夢にも全く訪れがありませんでしたが、昨日の早朝、はっきりと夢に出てきて「さようなら」と言って消えていきました。私はすぐに目を醒まし(母はついに天に帰った)と感じました。

「元気でね」でもなく、「頑張って生きなさい」でもなく「さようなら」という言葉が何とも言えません。四十九日の間は軒端に居るとよく言われますが、百日と五日間、母はまだ居てくれたようです。きっと私がなかなか思い切れないので、心配していてくれたのかもしれません。それとも長く生きましたから、この世に名残があったのかもしれません。

本師がご遷化なさったときも、泣き続けていましたが、「天に与した」という声を聴いて、泣き止んだ時と同じ感じを母の「さようなら」から感じました。

この百日の間も、つい一昨日は本師の娘さんがご弔問にお越しくださり、懐かしく母の思い出話をしてくださいました。私よりも母の一面をよく理解してくれていたことがわかりました。母はいつも一生懸命な人間であったと理解してくださっていたようです。

書きそびれましたが、四十九日の後もW大学時代の友人たちが弔問に来てくれまして、母への感謝の言葉を述べてくれました。まだ二十代の若き日、我が家に友人たちが集まって、大声で校歌を歌ったり、騒いだそうですが、母がいろいろとご馳走を出してくれたようです。五十代になってから通ったK大学でもやはり母の手作りの料理をご馳走になった友人たちがいますので、母と私の生活の密着度はかなりなものだったと、弔問の皆様からあらためて教えてもらいました。また大変まめな人で、よく若者たちの世話をしてくれたのだとあらためて感心した次第です。そうして遠路にもかかわらず、多くの人たちが母の弔問にいらっしゃってくださったので、母もなかなかあの世に帰りきれなかったのかもしれません。

母がようやく天に帰ることができたと感じますので、私も切ない思いはありますが、私自身あの世に帰るまで、やるべきこと、やりたいことをしっかりと努めたいと思っています。

「母よ、あの世でお元気で」

ご訪問の皆様も、どうぞご健康にお気を付けいただき、この世の人間としての日々をお楽しみくださいますよう。

(お寺の猫たちのママです。)

 

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禅寺の一日

2019-09-18 09:17:15 | Weblog

9月17日(水)晴れ【禅寺の一日】

今日は爽やかな秋空です。一仕事してきましたので、ちょっと、ブログを久々に書こうと思います。
夏の間はあまりに暑く、草よりも命が大事と、言うことにして、草取りの方にも休んでいただき、私自身も草取りは控えていましたが、あまりに草が元気すぎてどうしようもないので、二日間あまりにひどいところを草取りをしました。応援の方が来てくれましたので、助かりました。

また、その後、応援してくれた人たちと、坐禅をさせてもらいました。小僧時代は草取り作務のあともよく坐禅をしていましたが、今回は草取り後の坐禅は久々でした。

お蔭様で腰の痛みは出ませんので、今朝も草取りをした成果を見て、満足してきました。しかし、またすぐに草は生えてくることでしょう。道元禅師様も、『正法眼蔵』「現成公案」巻に「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」とお書きになっています。「現成公案」が撰述されたのは、天福元年(1233)ですから、道元禅師様は京都の興聖寺にいらっしゃった頃です。34歳です。おそらくお寺の周りも草が生えていたのではないでしょうか。道元禅師様は、はたして草取りをなさったでしょうか。高貴なお方ですので、なさらなかったかもしれません。

私は草取りにいつも気を使っています。寺の住職の仕事です。またこれから、市役所の資産税課に行かねばなりません。外トイレを増築したのを航空写真から探し出したそうで、申請が出ていないから、申請するようにと連絡がありました。それこそお寺自体の登記書類やらいろいろな書類を添付して、非課税申告書類を作成しましたので、それを届けに行ってきます。

また母の後期高齢者医療保険の不足分や、高額医療費に対して少し支給してくれるというので、その手続きをしてきます。母に関しての役所関係の用事はこれで終わりです。つくづく昨日思いました。

これからは母のいない私の人生なのだということを。

お寺の仕事は、山積みです。けっして優雅な尼寺生活などではありません。頑張りましょう。

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遺影の作り替えと私の健康法

2019-09-07 18:58:44 | Weblog

9月7日(土)晴れ暑い【遺影の作り替えと私の健康法】

今日もあまりに暑かったですね。外にでると焼けるように感じました。
今週は若い方のご葬儀があり、まことに可哀そうでした。母のように長命でも、私のようにいまだ切ながっているのですから、若い奥様を見送ったご主人は、どんなにか、これからさらに辛くなるのではないでしょうか。私とは、うちとけていたご夫婦でしたから、これから少しでも話し相手になりたいと思っています。

さて、母の遺影ですが、数え102歳の時、私が撮影したのをご葬儀では飾りましたが、どうもこのお顔は楽しそうでないので、もっと楽しそうなのを飾ろうと思い、アルバムをめくりました。少し若いときの写真になりますが、このブログにも載せさせてもらいました90歳のとき、フランス旅行をしたときの嬉しそうに笑っている写真を葬儀屋さんに頼みまして、作り替えました。

拡大しましたら、目も生き生きとしていて、とても母が嬉しそうで、楽しそうで、なにより私が救われました。

私自身、心身ともにかなり疲れ切っていることをこの頃感じています。今頃疲れが出てきたということでしょうか。それとも疲れを感じる余裕が出てきた、ということかもしれません。

それで友人が通っている経絡治療に通い始めました。あちこちのツボがつまっていると実感していましたが、先生はつまっているどころではなく塞がっていると仰いました。たしかにそうかもしれません。自分でもこのままでは健康を損なうだろうとさえ感じています。

この先生も玄米菜食をなさっていますが、私もあらためて食養について1から学び直しています。玄米を炊くにも圧力釜ではなく土鍋を使うことにしました。土鍋のほうがとても消化がよい感じですし、味もよいです。一口50回は噛んで食べています。母もよく噛んでいましたから記憶がしっかりしていたし、最期まで意識もしっかりしていたと思います。噛むことは消化だけではなく、脳にも良い影響があると確信しています。私は東城百合子先生の教えを受けましたので、本当に有難いご縁をいただいたと思っています。

また、若杉友子先生という方の書かれた本も参考にしています。『これを食べれば医者はいらない』(祥伝社)や、『若杉ばあちゃんの伝えたい食養料理』(パルコ出版)などの本を改めて読み返して、自分の健康をしっかりとしたいと思います。とにかく住職というお役は責任のある役ですから、倒れるわけにはいかない、と、強く思っています。

また朝ごはんは食べません。一日に食事をする時間はお昼から夜の八時ころまでと決めています。
朝はデトックスタイムですから、夜の八時から翌日の正午までは、食べません。朝ご飯を食べなければ病気にかからない、という説をとっています。なにがよいか、悪いか、いろいろな説がありますから、どれを採用するかは、それぞれの自由ですが、これが私の健康法です。

西洋医学の薬で助かることもあるでしょうが、私は全く頼っていません。母の最後のとどめはやはり西洋的医学の施術であったことを、残念に思っています。ほんの2か月前までは、元気にしていられたのに、この2か月の西洋的施術のせいで、旅立ちを早まらせられてしまった、と痛感しています。

天から頂いたこの命を、私は人任せにしないで、導かれつつ、自分の命の最期まで噛みしめて生きていきたいと願っています。

皆様もどうぞそれぞれの健康法を考えつつ、お大事に生きてくださいますようにと願っています。

 

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ごきぶり生け捕り術

2019-09-03 21:27:17 | Weblog

9月3日(火)曇り夜雨【ゴキブリ生け捕り術】

仏壇上にゴキブリを発見。しばらく食べ物をあげておくので、ゴキブリをよんでしまったのです。
下に下したら、こちらに向かって突進してきました。どうしよう、ハエたたきでバシッとしましょうか。
ゴキブリといえども生き物。母の月命日でもありました、27日のことです。生け捕りにしよう、と思い、傍にあったお菓子の箱の下の方に入ったら、すぐに蓋をしたらどうだろうか、と考えて、やってみました。成功です!!

その次の日も、もう一匹他のお菓子箱で、やってみました。成功です。
今日も、台所で発見しましたので、急いで空き箱を見つけ、下の方にすくい入れてすぐに蓋をしめました。成功です。
三回も成功しています。箱ごと山林に持って行って、蓋をあけて逃がしました。「あんたもゴキブリの命を全うしてね」と話しかけました。アホでしょうか。

しかし、これほど室内にゴキブリがいるとは思いませんでした。お掃除はきちんとしていますが、母に食べ物を長く上げておいた方がよいかと思い、それがどうもゴキブリを誘い込んでしまったのかもしれません。これからは、見張っていて、早めにおろさなくては、と思います。

皆様もこのゴキブリ生け捕り術をお試しになってみませんか。面白いように簡単に箱の中に入ってきます。上蓋はすぐに被せなくてはなりません。少しでも隙間があれば入り込んでくるゴキブリですが、箱の中からは、自分では出られないようです。一回一晩放置して試してみました。

まじめにこんなことをやっています。母は笑っているでしょうか。

(これは蟻たちが、力を合わせて、虫の死骸を運んでいるところです。感心してみている4人です。)

#ゴキブリ生け捕り術

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追悼 オルレアンの少女とオルレアンの老女

2019-08-27 22:15:18 | Weblog

8月27日(火)晴れ後夜より雨【追悼 オルレアンの少女とオルレアンの老女】

この写真は、2006年9月25日にフランスのオルレアンで撮影した写真です。母は、この時、90歳と1か月でした。
あらためて考えましたらかなり高齢です。しかし、私は、いつもあまり母の年齢に縛られず、中国にも韓国にもヨーロッパの友人たちのところに連れて行っていました。オルレアンには、日本人の友人と、母と仲の良いドイツ人の奥さんの夫婦が住んでいて、その家に10日ほど滞在させていただきました。

母の後ろの銅像は、オルレアンの少女と謳われた・ジャンヌ・ダルク(1412~1431)です。
その前に立つ母は、とても90歳とは見えない老女です。なかなか元気な姿です。
このころは、足は達者で、私よりも元気に歩いていました。母があまりよく歩けなくなったのは、同じ姿勢で、近所の家のカウチに長時間横になっていたことによるエコノミー症候群のようになってからです。それでも93歳の時には、韓国にも旅しています。

さて、今日は、母の月命日でした。二か月前の27日の朝、旅立ったのです。つい先日、長年来の友人から花籠が送られてきまして次のようなメッセージがつけられていました。
「お見事な旅立ちを、お祝い申し上げます」と。

その通りであると、私もこのメッセージに同感します。この写真はオルレアンに旅した時の写真ですが、これと同じく元気な姿のまま、母はあの世に旅立ったのです。

もう少し、親孝行の時間をもらいたかったと残念がるのは、私の問題であって、母の問題ではないのです。
見事な旅立ちを祝福すべきなのです。「お母ちゃん、お見事な旅立ちでした。」

#オルレアンの少女

#ジャンヌ・ダルク

 

 

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母の七七日忌

2019-08-20 17:39:49 | Weblog

8月20日(火)曇り後夕方雷と雨【母の七七日忌】

16日は母のこの世における103回目の誕生日でした。14日が四十九日目でしたが、二日後の16日に見送らせてもらいました。

道元禅師様は『正法眼蔵』「道心」巻では、「たといこの生をすてて、いまだのちの生にうまれざらんそのあいだ、中有ということあり。そのいのち七日なるそのあいだも、つねにこえもやまず三宝をとなえたてまつらんとおもうべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといえども七七日をばすぎず」と、お書きになっています。

キリスト教ではFifty-daysという儀式があるそうですが、海外の友人から聞いた話ですから、書かれたもので確認はしていません。神道では五十日斎(いとかさい)という区切りが、やはりあるそうです。

49日の間、母とともに食事をしたり、お茶を飲みして、話をしたり、思い出しては涙したり、写真好きの母でしたので、あちこちに旅行した時の写真がきちんとタイトルが書かれたアルバムに整理されていますので、それを見ては、懐かしんでいました。

写真は日付を入れておくのが、後の者には、よいということがよくわかりました。母、何歳の時、と書き入れることができました。海外に一緒に旅行した写真がかなりありました。母が70歳の時、私とともに香港にも行っています。73歳の時にはオーストリアの友人のところに旅していますし、母はひとりでもストックホルムに住んでいる息子のところに毎年、出かけてもいました。かならずトランジットがありますが、航空券を見せて、親切な青年に助けてもらったこともあったそうです。

オーストリアの私の友人の家に、一人で一か月以上いたこともあり、皆さんに大切にされたそうでした。外国語は全くできませんのに、随分勇気も度胸もあったと思います。

中国にも韓国にも連れて行きましたし、90歳の時にはフランスのオルレアンにすんでいる友人のところにも連れて行きました。93歳の時には韓国の本覚スニムという友人のお寺にも連れて行きました。この度の七七日忌にも本覚スニムもいらっしゃる予定でしたが、台風で取りやめになりましたが、皆さんにとって、母は印象深く、忘れがたい人間として思われていたのではないでしょうか。

私は相変わらず、もっと孝行したかったのに、申し訳なかった、という思いを捨てきれませんが、母はさっさとあの世への旅路に向かい、道元禅師様のおっしゃるように生まれ変わっているか、もしくはしかるべき場所で修行生活を始めているかもしれません。

私の願いは、来世はお坊さんになって生まれ変わってきてね、という勝手な願いですが、果たしていかがでしょうか。しかし、私があの世に帰るときには、迎えに来てほしいとも思っていますので、生まれ変わってしまっていては、それはできないでしょう。

この世の死後は、はたしてどのようになっているのでしょう。知りたいですね。母はどうしているのでしょう。

この世の私は、中陰明けの志の品を弔問にお越しくださった方々にお送りしたり、四十九日の僧侶もつとめ、喪主としての役目は一区切りです。

身近な家族を失って、悲しいというより、「切ない」という感情を味わっています。皆さんの中で、身近なご家族を見送られた方は、お辛いでしょうが、特にお体お大切になさってくださいませ。

*

90歳の時;フランスたぶんオルレアン

 

#七七日忌

 

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五七日忌

2019-07-31 20:44:06 | Weblog

7月31日(水)晴れ猛暑【五七日忌】

母が旅立ってより、はや三十五日も経ってしまいました。毎日母の不在に泣いています。喪主としてご葬儀の準備やら、その当日や、懸念の仙台講演が終わりましたら、どっと自分の親不孝であったことが自覚されてきて、ほとんど毎日母に詫びていました。そうして泣いていました。亡くなられて、いかに母が大事な存在であったか、その思いが募っています。

もっと母のことを思いやればよかった、と、後悔をしています。特にこの数カ月、母のことを第一に考えなくてはならなかったのに、他の問題があり、そちらに意識が行き過ぎていました。弟子の人を大事と思うあまり、母のことを二の次にしてしまっていました。母がまだまだ生きていてくれるような甘い考えでいたのです。

母が骨折する前のこの数カ月が、母の最晩年の日々になるとは思いもよらず、油断をしてしまったと悔いています。母にもっと心を傾けていれば、もっと楽しい日々を送らせてあげることができたのに、残念です。申し訳なくて、申し訳なくて、泣いて悔やんでいたのです。

しかし、七七日忌までもう僅かの日々です。私が嘆き悲しんでいては、母が安心して帰り切れないでしょう。「うまく帰れるかな」と、母は亡くなる数日前に心配していたのですから、なんとかうまく帰ってもらいたいと思い直しています。自分の親不孝はしばらく置いておいて、楽しかったことを母と語ろうと思います。このような気持ちになれたのは、実は先週の木、金、土と三人の方々に弔問していただいたお蔭です。

木曜日には、台湾の尼僧様が朝から来てくださり、一日中、いろいろと話してくれました。この方は大学院に留学していた時、母がよく精進料理を作ってご馳走したそうで、それをとても有難がってくれていて、日本で博士号を取得して台湾に帰ってからも、よくお手紙を母にくださっていました。今回は、半年も前に日本に来る飛行機の切符を予約してあったそうですが、それは奇しくも母のお通夜の日でした。ですからお通夜、ご葬儀と参列してくださることができたのです。この方は、本当によく修行のできた僧侶で、私は本当の出家者と尊敬しています。この方は、『阿含経』に書かれた教えを深く参究し、そして実践しています。学ぶことが多いです。

金曜日には、中学時代、母によく食事を作って食べさせてもらったり、成長してからも母からいろいろと教えていただいた、と、言って有難いと思ってくれている女性です。私が寺子屋をやっていたころの教え子ですが、この女性とは長く縁が続いているのです。また一日いてくれて、私を慰めてくれました。「お母さんは、先生に感謝していますよ」と真実込めて言ってくれました。この女性はとても感心するほど親を大事に一生懸命生きているのですが、プライバシーに関わりますので、詳細は控えます。

この二人には、母に何が食べたいか、と聞いたところ、「かんぴょうの海苔巻き」と言っていましたので、インターネットのレシピを見ながら、沢山作って、母と一緒に食べてもらいました。今は毎食、母の遺影の前で食べています。あの世にいよいよ旅立つまで、一緒に食べたいと思います。

土曜日には、中国の友人のご家族です。大学院時代、たぶん三年間くらい、ほとんど毎日、母の作ったお弁当を彼に届けました。それを彼は大変に有難いことと思っていてくれて、何くれとなく母と私に義理をはたしていてくれているのです。今では教授になっています。学識豊かであり、出家はなさっていませんが釈尊の教えを道心を持って、学生に説いてくれています。私にとっては、母のお蔭でさらに深い友情の縁を頂いている人です。母と中国旅行に行った時にも、奥さんとも会っていますし、縁の深い家族です。やはり私が孝行が足りなかったことを嘆きますと、「十分なさいました」と真実込めて言ってくださいました。

この三組の友人たちのお蔭で、私はなんとか立ち直ることができました。しかし、三日続けてこのような弔問を受けることができたのも、不思議とさえ思います。お蔭様だと思っています。

長々と私個人のことを書き並べましたが、お読みくださいます皆様、お付き合い有難うございます。

あまりの暑さですから、お気を付けくださいますよう。

(くちばしの赤い子ガラスは、親が与えてくれる食べ物しかまだ食べないようです。頂戴、頂戴と鳴いています。)

 

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『仏遺教経』に学ぶ

2019-07-11 23:23:58 | Weblog

7月11日(木)雨【『仏遺教経』に学ぶ】

先週の金曜日に、現職教育講師として、仙台に行ってきました。母のご葬儀が3日でしたので、なんとか一日だけ学び直す時間をとれまして、翌日は講演を勤めさせていただきました。

内容は、『曹洞禅グラフ』に連載させていただいた『仏遺教経』の解説でした。この講演のために改めて学び直して、つくづく考え至ったことは、『阿含経典』を学び直す必要性です。あまりに学ぶことが多すぎて、『阿含経典』まで手が出ないと、思っていましたが、釈尊が説かれた修行を怠らないようにという『仏遺教経』の中の大事な文言ですが、はたしてどのような修行だったのか、また初転法輪で、アヌルッダを度し、とありますが、どのように度されたのか、そこを私は知りたいと思いました。

道元禅師も『正法眼蔵』の中に「三十七品菩提分法」巻をお説きです。「只管打坐」にあまりに重点を置くあまり、釈尊が説かれた、道元禅師も説かれている三十七の修行方法を改めて見ていなかったということに、我がことながら、気が付きました。

釈尊の教えは、どこまでも、一人一人、お前のことだよ、ほかの人のことではないよ、自分自身を観なさい、ということであると、改めて気が付いた次第です。

仏弟子の修行方法について書かれているのは、『阿含経典』だけのようです。これを見落としていたと気が付きました。

講演の機会を頂いたお蔭で、考えの足りなかったことを学ぶことができました。母の介護で全く時間は取れませんでしたが、一日だけ時間を与えられて、まことに有難いことでした。母の御葬儀に関しましては喪主をはじめて勤めましたので、喪主の仕事はかなりこまごまとありました。それでも母が一日の時間を与えてくれたのだと思っています。

釈尊が、涅槃に入られようという最期の最期まで、弟子のことを思い、説法をしてくださった場面が目に浮かびます。他人ごとではなく、仏弟子である私にも、説き続けてくださっていることに感謝し、もっとしっかりと修行しなければと思った次第です。ここに書ききれませんが、来年までには一冊にまとめさせてもらいたいと思っています。学ぶことが山ほどありますね。来世も僧侶として生まれたいと願っています。

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