Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

歩く目線から見た新宿の熱画像

2010年07月17日 12時01分56秒 | Journal
 新都市ハウジング協会(ANUHT)の調査研究発表会というのが14日、品川の大林組のホールであって、取材してきた。次から次の研究発表に挿入されるかたちで、東工大の梅干野晁教授が「環境負荷の少ない快適な街づくり」として講演した。写真は、ヒートアイランド現象の新宿、歩く目線から見た快適ならざる街の熱画像である。なんでも今の使われているコンクリートを東京に敷き詰めると厚さ20㌢になるのだとか。こんな太陽の照り返しに激しく熱した街をビールを楽しみに平気で歩いていると思うと、人間という生物もぞっと大したものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五大堂からの代表的な眺め(立石寺)

2010年07月17日 11時35分09秒 | Journal
 立石寺の五大堂から撮ったものとしては非常にポピュラーなアングルの写真である。こうしか撮りようがないからしょうがない。写真の枠の中に、ここは山寺だぞと堂の欄干を写し、向こうの山の景色を入れると、所詮、こうなるのだ。しかして、これは山寺の代表的な写真上の眺めである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五大堂の人々(立石寺)

2010年07月17日 11時19分03秒 | Journal
 平日とあって、観光バスで乗り付ける観光客は少なく、立石寺も大体が若い男女の東北旅の寄り道らしかった。背広のズボンとシャツだけの姿で、小生のような出張ついで型の参拝客も見かけた。五大堂に登ってきた多くは日頃、芭蕉の俳諧世界とは無縁な人々と思われた。そう言う自分も芭蕉の縁者というわけではないが、芭蕉の句は格別だと思ってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山寺の五大堂を支える構造

2010年07月17日 11時00分13秒 | Journal
 山寺の展望台として有名な五大堂の下側で、写真のような「構造」を眺めた。怖い構造である。現代的な補強もあるが、地震が来たらまずもつまい。しかし、こんなものを鉄骨やコンクリートで耐震補強して地震に強くしたら、ありがたみがなくなる。地震があって命が危うくなっても仏様と一緒ならば怖くないのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」を立石寺に撮る

2010年07月17日 10時37分57秒 | Journal
 芭蕉の句が、並みの俳人の句を大きく凌駕している理由はどこにあるのか。まず口調がはっきりしている。読み上げて響きのよい句である。それから感じた思いが十分にこもっている。これが案外、着想に有頂天となる凡人の句作では難しい。さらに、芭蕉には天然の原理をマクロとミクロに詠み込んだ物理句がある。芭蕉が立石寺で詠んだ「閑さら岩にしみ入蝉の声」はまさに、この条件3つを具備している。額の汗を拭いながら、小生は、緑濃い初夏の岩山を見上げた。蝉の声は、まだ先の夏にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山寺の地蔵さん

2010年07月17日 10時12分42秒 | Journal
 山寺を登っていく途中、たくさんの地蔵さんを見かける。地蔵菩薩、サンスクリット語クシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言うのだとか。こうした古い地蔵さんをどういう人が祀(まつ)り、どういう人が新しい前垂れを着せて守っているのかを不思議と感じながら、息を切らせて山頂を目指した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山寺駅にて山寺を撮る

2010年07月17日 09時57分24秒 | Journal
 5月18日という日付が写真データに残っている。だからその日に、この山寺駅のプラットフォームから山寺を撮ったのであろう。今日も夏本番と暑いが、この5月の山形も暑かった。前日に青森で取材し、仙台経由で山形に出る途中で下車した。この山寺駅を通過したことは何度かあったが、次に用件が控えていて、おりて山寺を参拝する時間がなかった。いつも車窓からこの山寺の景色を仰ぎ見て、芭蕉の句を思い、歯ぎしりしてきたのだ。この日も次の取材の用件が控えていたが、時間に少々余裕があった。時刻表をチェックして2時間以内で駅に戻れば間に合うと踏んだ。私は、駅のコインロッカーに荷物と背広の上着を押し込み、カメラをぶらさげて駅舎を足早にあとにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする