師走に入りましたが、先般、陸前高田市へ行く機会があり、こちらへ
神田葡萄園の北側方面の山中にあり
所謂、竹駒方面から陸前高田の平地にある市街地を通らず、R45号線へ抜ける道沿い
曹洞宗海岸山普門寺
永正3年(1506)浜田城主千葉中務太輔宗綱が
稗貫郡石鳥谷町にある大興寺の末寺として開基、現在に至る
大興寺は稗貫氏の菩提寺
沿岸部にあるお寺さんは、大規模なものが多いが、こちらもそのとおりで、
気仙大工の見事な彫刻を施した建物である
気になっていたもの・・・・三重塔
文久6年(1809)の建築
ここまでわかっていながら、棟梁の名がわからぬという建物
高さは12.5mと小ぶりながら、名の知られた三重塔
1階部分の屋根は繁垂木、2階が彫刻を施した軒裏、三階部分は扇垂木
また、木割が完成していた時代にそれを無視した造り
今回の震災で一部損傷があったようだが、見た目ではわからなかったが
既に補修済なのであろう
本堂の屋根にある三つ柏紋・・・・葛西氏に因んだものか?
震災当時、避難所となっていたお寺さんでもある
頑張ろう!陸前高田!
趣と重厚感に圧倒されますね。
叔父が工務店をしていて、なおかつ、欄間の彫刻などしていましたし、大昔(土葬)の霊柩車を作り、今でも、とある田んぼの中のお墓に叔父の作った霊柩車がお墓の小屋に残っていて・・
叔父は、その後、山の方に窯を作り陶芸をしてました。今は自宅介護されていますが・・・
彫刻は興味なかったのに、叔父の影響で観るのが好きになりました。
あと、私も時々陶芸をしています。陶芸と言ったら茶道もね。最初の作品が抹茶茶わんです。
寺の彫刻も、お茶も歴史あるものは好きです。
最近の社寺建築では、彫刻まで施す予算が確保できないか、たとえ彫刻を付けても職人は外国の方という例が多いと聞きます。
中央の檀家さんも予算もある程度確保できる地域とは違い、東北の小さな町に江戸時代のすばらしい建物が残っていることに驚きます。
草花さんの叔父さんのようにある程度の年齢に達したあと、陶芸などをやりながらゆっくりと過ごしたいという願望はありますが、私の場合、性格的にゆっくりすごすのは無理かもしれません。笑
それから、これでも私・・・・若かりし頃、茶道を数年習いました。汗
わが家の和室(8,6,3畳間の続き間)を茶室にしたいなあ、床の間に香炉や軸を置いてこだわりたいなあ、茶道具をそろえたいなあ、ガレージに電気がまを置いて陶芸をしたいなあ。って夢を抱いています。
ここだけの話(複数の人が見るかな)96さいの○○の数年後、1階を、花のアトリエと、近所の老人のための隠れ茶屋をやりたい。何故って、遠野に帰りたいけど、年金だけで生活していけるか自信がないのです。
やりたいとこがあるというのは大事なことなんだと思います。よく退職後やることがなくなって、痴呆症になったなんて話を聞くと、なんで?などと思いますが、やはり、その後の夢が描けなくなるからかもしれません。
1階を花のアトリエ、いいじゃないですか!
もうすぐ、子育て終了のご褒美に!笑
この彫刻も凄いですね^^初めてじっくり見させて頂きました。
陸前高田にも、親戚や知り合いがいます。
一人娘の、看護師の娘さんを亡くした叔父さんに、泣かれた時は、一緒に泣きました。
お婿さんと、一人娘さんがいました。
『俺は、たんだの醤油屋のオヤジだ!』と言う醤油屋の会長さん・・・
復興し始めて、少し安心しましたが・・・。
もう少しで、もう9ヶ月・・・今も余震が続いてる中、一緒に頑張ろう!(^^)!
見せて頂いて、ありがとうございました・・謝
彼の地での色々なこと。何度でも云いますが、同じ間違いは繰り返さないでと。
kaniさんの云うように最近地震の発生回数がまた増えているのが気がかりです。
振り向いてばかりでは、前へは進めません。
前へ、前へ!
ともに頑張りましょう!笑