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武蔵国分寺薬師堂(1335)

735年頃からの疫病(天然痘)の流行の終息を祈って737年に国ごとに釈迦三尊像と大般若経の造写を命ずる詔が出された。740年には七重塔と法華経の造写を命ずる詔が、さらに741年に国分寺建立の詔が出された。これら一連の詔を受けて武蔵の国でも国分寺が造営された。その規模は諸国の国分寺の3倍という突出した大きさであった。七重塔は835年に雷を受けて焼失したが845年に再建され、1333年に分倍河原の合戦で焼失するまで堂塔は健在であったとされる。現在は1335年に新田義貞が寄進した薬師堂(重要文化財 18世紀後半に、国分寺崖線上の高台に移築)に平安末期から鎌倉初期と推定される木造薬師如来坐像を残すだけで礎石を残すのみ。なお現地では白鳳期(7世紀後半)製作と推定され関東最古とされる銅造観音菩薩立像が1982年3月に出土している。これは奇跡的な発見で人々を驚かせた。交通 中央線国分寺駅より徒歩15分。東京都国分寺市西元町。

国分寺かあるいは西国分寺から徒歩圏。近くの「お鷹の道」と「国分寺跡」を組み合わせると変化に富んだ徒歩コースになる。
お鷹の道

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