脚下照顧

いつかあの空の彼方へ

小出裕章批判について

2011年06月24日 | Weblog



東京の過剰消費を請け負わされていた福島。
その犠牲の果てに汚染した農業漁業を切り捨て見捨てることが、
差別と暴力。
傲慢の押しつけ。
汚れた田舎を切り捨てて知らん顔をする様、
都会は難を逃れたつもりでいること、
賠償金を払わない原子力ムラの厚顔さと同じ。

遠方であれ騙されていたのであれ、
原子力=核を推進する国策に加担した責任がこの国の全ての大人にはある。
際限のない貪婪さを煽情され、
隠蔽捏造によって作られた安全神話を信仰し、
合理性、妥当性を自ら判断することを放棄し、
その結果突きつけられている報いに対する責任が。

子供を守ることを最優先にしない社会は人間が暮らすに値する社会か。

小出裕章批判にあるのは、
現実を直視することへの怖れ。
事実を受け入れられない弱さから来る逆恨み。
過剰消費を続けたい強欲さを否定されたことへの八つ当たり。
既得権益侵害へ反撃。
弱者を虐げ続けたい傲慢さ。
責任追及から逃れたい狡さ。

常識、
「信仰」している優秀さ、
アカデミズムはチェック機能を果たしていた、
と言い張るつもりか?






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福島の子供を疎開させる。
汚染水をタンカーに移す。

直ちにすべきことが等閑にされているのに、
隠蔽捏造、そのうえ歪曲するデマが蔓延。
再び定着して事実を覆い尽くしている。


決して反省することがないゾンビ。
原子力ムラの巻き返し。

許す果てにあるのは、
放射能に塗れた屍。
過ちの繰り返し。
悶え苦しみ。
4度目の被曝。