喜べ

祈れ、感謝せよ! (by モーセ神父)

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

3/8

2014年03月07日 | キリスト教
キリスト教歳時記67  3月8日
B今日の福音
 マタ5:17-20【律法について】「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」


C今日の暦
1891年 日本正教会のニコライ堂が竣工(→2月16日C)
1869年 ベルリオーズ(1803年-)帰天。フランス、ロマン派音楽の作曲家。『幻想交響曲』『ロメオとジュリエット』『死者のための大ミサ曲』。


W今日の言葉  律法  トーラー(ヘブライ語)
 もともと「教え」を指す。狭義ではモーセが記したとする「モーセ五書」。広義では聖書全体。とにかくモーセの十戒を中心にした、ユダヤ人の生活と行為全般に関する神の命令のこと。
 神の義が中心にあって、律法に従って善をおこなう者には生命が、悪を行うものは死が与えられる。これを厳格に人々に当てはめ、細かい規則を守る守らないによって、人間が人間を裁いてしまう。この「律法主義」をイエスは批判した。
 ただモーセの十戒も、神様がエジプトの奴隷状態にあったユダヤ人を救いだして下さった。そういう体験をしている中で、与えられたものだった。
 まず神の人間への愛、救いの意思、そして救われた体験が先にある。だからそのような神の愛と救いの気持ちにさかのぼって、その精神に生きるときのみにこそ、律法は完全なものとなる。(2月22日 W 権威ある教え)。
 表面的に律法を守って、それで満足していては意味がない。神の愛に根ざした律法の精神に生きることこそが大切。キリスト者の義はだからファリサイ派らの義よりまさったものである。こうしてこそ律法は完成される。


Pワンポイント 律法や預言者
 狭義の「律法」である「モーセ五書」は前4世紀頃までに成立した。「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」
 ユダヤ人がいう預言書には、「ヨシュア記、士師記、サムエル記上下、列王記上下」も含まれる。
 「律法や預言者」で、ユダヤ人の使う聖書全般を表している。
・ユダヤ人の使う聖書に加え、キリスト者はイエスの言動(福音書)、その後の初代教会の成立を記した使徒の書(使徒言行録)、使徒の手紙、さらに黙示録を編集し、新約聖書を成立させた。その新しい契約の新しい約束を記した「新約聖書」と区別して、キリスト者は、ユダヤ人が使っていた「聖書」を「旧約聖書」と読ぶ。 まれに誤解されるが、カトリックが使うのが旧約聖書で、プロテスタントが使うのが新約聖書ではない。キリスト者独自の聖書が新約聖書で、キリスト者は「新約聖書」を基本に、イエスの到来を待ち望み、イエスのことを前もって暗示する「旧約聖書」も、どちらも大切にする。
・イスラム教は「モーセ五書」「詩編」「福音書」に「コーラン」(「クルアーン」最終預言者ムハンマドまたマホメットへの啓示書)を加え、大切にする。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 3/7 | トップ | 3/9の説教 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

キリスト教」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事