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親鸞聖人講演会を聴講

2020年08月10日 08時39分25秒 | 宗教

8月9日、親鸞聖人降誕会として、富山で「歎異抄をひらく」で有名な高森顕徹先生の講演会が行われたが、コロナ禍の関係で、全国各地へ生配信の形式が取られ、近くの会場に足を運んだ。歎異抄とは、司馬遼太郎が「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」と言ったことでも有名な書籍で、高森先生は、現在の日本の第一人者である。演題は、歎異抄の第5章から「真の先祖供養とは?」で、午前、午後に分けて行われた。御年91歳とご高齢であるが、年を感じさせない講演ぶりであった。

歎異抄第5章には、「親鸞は亡き父母の追善供養のために、念仏一遍、いまだかって称えたことはない。(現代語訳)」とある。4歳で父親、8歳で母親を亡くしているので、不思議な感もあるが、わざわざ「親鸞は」として、そのことを強調している。先祖とは一体どこまでをさすのかを考えると、1代前は両親、2代前は、両親の両親で4人、その前の代は8人、さらにその前の代は16人と数えていくと31代遡る(約800年)と対象者は、42億人にもなるというから驚きである。親鸞は、先祖供養の意味をこめて称える念仏をきっぱり否定しているが、その理由は下記の通りである。

①自分が悪人であることがハッキリし、自分のやった善で死んだ親を助けるということは到底できないこと。

②葬式や法事は親の喜ぶことではないこと。

親鸞自身、「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」と常に言っていたようである。近年、自分の死後の段取りをつける「終活」なるものが流行っているが、親鸞に言わせれば何かおかしいと映るであろう。「皆、肉体の葬式ばかり考え、それを教えているのが仏教だと思っているが、そうではない。仏法の信心を最も重く見るのが仏教である」という。

親の喜ぶこととは、①子供が正しく生きる ②子供が幸せになることである。

正しく生き抜き、真実の幸福になることが、親に対しての一番の恩返しになるのであり、葬式や法事やお墓参りや念仏は、親の喜ぶことではないのである。真の仏法を聞き、阿弥陀如来の本願に救われ、絶対の幸福を得ることが一番の先祖供養である。

今、ちょうどお盆の時期であるが、お盆とは、亡き先祖を救う日ではなく、今、現に、逆さに吊られて、飢え、渇き、苦しみ続けている自分自身を救うための日である。何十憶人もの先祖が皆お盆に帰ってきたらとんでもないことになる。お盆は、先祖が帰って来る日ではなく、先祖の御恩に感謝し、苦しみ続ける自分自身を救ってもらう日であることを肝に銘じるべきである。

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