浪漫飛行への誘(いざな)い

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「親鸞聖人物語」アニメの第2巻を鑑賞

2019年06月30日 16時28分49秒 | 宗教

 

アニメ上映会の案内があったので、29日に見に行ってきました。このアニメは、全6巻で親鸞聖人の90年の生涯が紹介されており、初心者向けの仏教入門としては最適であると思われる。第2巻は、29~34歳までの親鸞聖人の出来事を解説してくれている。


29歳の時に、20年に及ぶ比叡山での修行に絶望し下山し、京都・吉水で法然上人と巡り会い、法然の弟子となったが、31歳の時に法然上人の勧めに従い、肉食妻帯を断行。肉食とは魚や獣の肉を食べること、妻帯とは結婚することであるが、それまでの仏教では、固く禁じられていたことなので、「破戒僧」「色坊主」などの誹謗攻撃を受け、大問題となった。これまでは、煩悩を断ち切って修行を積み重ねた出家した人だけが救われるという仏教であったが、親鸞聖人は、煩悩は無くせないことが前提で、常識破りの結婚を断行し、すべての人が絶対の幸福になれるという考えで仏教の普及を図ったものである、


34歳の時に、法然門下の法友、380人との大論争を起こした。仏教を正しく伝えるために妥協をしなかったのが親鸞聖人で、相手が法然の元に集った法友でも例外ではなく、三度も大きな論争をやっており、これを「三大諍論(じょうろん)」という。


第一は、「体失、不体失往生の諍論」  相手:善慧房証空(後に浄土宗西山派の開祖)


阿弥陀仏の本願の救い(往生)は、生きている時(不体失)と主張する親鸞と「死んだ後(体失)」だけと主張する善慧房との論争で、法然の裁定では、「弥陀の本願は生きているただ今、助けてくださる不体失往生である」ということで、親鸞の勝利。


第二は、「信心同異の諍論」 相手: 聖信房、勢観房、念仏房の3人


親鸞聖人は「私の信心も、法然上人のご信心も、全く同一である」と述べ、法然の弟子3人から猛反発を受けたが、法然は「私の信心は、阿弥陀の本願により賜った信心なので、同じものだ」といって親鸞を支持。師匠の法然上人の信心と同じになれないと主張する3人に対しては、各自の智慧や学問で築き上げた信心だから、同一にならず、自力の信心にすぎないとされた。


第三は、「信行両座の諍論」 相手: 法然門下の法友380余人


「行不退の座」と「信不退の座」を設置し、不退(弥陀の救い)は、「行」(念仏)で助けるという誓いなのか、「信」(信心)」で救うという誓いなのか、どちらの座に入るかを380余人に問うたところ、 「信不退の座」に入ったのは3人だけで、他は皆「行不退の座」に入った。その後、親鸞は「信不退の座」に入り、最後に法然上人もそこに入ったのである。要するに、念仏だけ称えていればいいというものではないとの結論に、380余人の法友は、驚きと師匠の前で恥をかかされたという恨みの後悔をしたのである。


わかったようなよくわからないような論争であるが、親鸞聖人がいかに優秀であったかがよくわかる。先日、親鸞聖人のアニメ映画「歎異抄をひらく」も見てきたが、親鸞聖人の教えはなかなか面白そうである。仏教のことはまるで素人だが、シルバー学級のつもりでしばらく親鸞や仏教のことを勉強してみようと思う。

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アニメ映画「歎異抄をひらく」を見てきました 

2019年06月05日 20時50分49秒 | 宗教

 

6月4日に、シネマート新宿で、アニメ映画「歎異抄をひらく」を見てきました。最近、親鸞のことに興味を抱いて、講話なども聴きにいっていたが、いいタイミングで親鸞の教えを学ぶことができるアニメ映画が公開されたのである。親鸞聖人のキャスト(声)は、石坂浩二がやっていて、雰囲気がピタリであった。


「歎異抄」は鎌倉時代後期に書かれた仏教書で、作者は、親鸞の弟子の唯円(ゆいねん)といわれる。1~10条までは、親鸞の言葉を記し(口述筆記)、11~18条は、親鸞亡き後の異説の誤りを正している。親鸞の異説を嘆いた書という意味で、「歎異抄」と名付けられた。「歎異抄」は非常に誤解されやすい書物で、親鸞の教えをよく知らない者が読めば、誤読の危険性が大きいとのことで、8代目にあたる蓮如上人は室町時代、この本を封印し、江戸時代は世の中に出回っていなかったが、500年後の明治時代の末になって、やっと封印が解かれ、今になって広く知られるようになったとのことである。


この歎異抄を題材にしたアニメーション映画が今回の「歎異抄をひらく」である。


ストーリー展開はこうである。


「鎌倉時代、1200年代前半。貧しい農家に生まれながらも賢く利発な平次郎は、ある日、親鸞聖人と出会い、多くを学び成長していく。やがて京に戻った親鸞聖人を追って故郷を離れた平次郎は、「唯円」という名を授かり、仲間たちとともに親鸞聖人のもとで仏教を学ぶ。そんな中、かつての友人が苦境に立たされていると知った唯円は、なにもできない自分への無力感にとらわれ苦悩する。なぜ、善人よりも悪人が救われるのか? 人は、なぜ生きるのか? 「すべての人間が悪人であり、救われるために条件はない」という親鸞聖人の言葉の真意が、解き明かされていく――。」


歎異抄は、「どう生きるか」「なぜ生きるか」という身近なテーマに答えているが、意表を突く言葉が多いのが特徴である。その中で、最も有名なのが、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」である。 解釈をつければ、「善人でさえ幸せになれるのだから、悪人はなおさら幸せになれる」ということである。なぜ、善人よりも、悪人が救われるのか。逆に思えるが、この謎を解くには、「自分とは、いったい何者なのか」「何が善で、何が悪なのか」と、見つめていく必要があるとのことである。恐らく誰しもよくわからないと思われるので、映画を見て生きるヒントを得てみてはいかがですか?絶対お薦めというか、シニア世代必見の映画です。

映画の予告編:  https://www.youtube.com/watch?v=MYGCRTtLpw4

 

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江戸六地蔵参りと北斎展 

2019年05月18日 21時10分01秒 | 宗教

 

5月18日、江戸六地蔵の内、まだお参りしたことがない奥州街道の東禅寺、水戸街道の霊厳寺を訪ね、2年半前に両国にオープンした「すみだ北斎美術館」にも行ってきました。


江戸六地蔵とは、江戸時代に、江戸市中から広く寄進者を得て、旅の安全と病気平癒を祈願して、江戸の出入口6か所の街道沿いに銅像の地蔵菩薩坐像を造立したものである。6つの内、千葉街道の永代寺は、廃仏毀釈によりお寺が廃寺となり、地蔵像も取り壊され、現存しないので、今は5つの地蔵のみ残っている。


六地蔵の第1番は、我が家から歩いて2~3分のところにある旧東海道沿いの品川寺(ほんせんじ)で1708年に造立された。馴染み深い地蔵様だが、唯一笠をかぶっていない。巣鴨の旧中山道沿いにある第4番(1714年造立)の真性寺にも数回行ったことがある。


水戸街道の霊厳寺にあるお地蔵さんは第5番(1717年造立)で、都営地下鉄の清澄白河から歩いて5分位のところにあるが、想像していたものより小振りな印象を持った。笠はしっかりかぶっていた。このお寺には、日本史でも習ったが、18世紀後半の寛政の改革で有名な老中松平定信の立派なお墓もあった。


その後、浅草に移動し、奥州街道の東禅寺まで足を運んだ。浅草は三社祭の真っ最中で、沢山のお神輿が出ていて、お祭り見物の人出もすごかった。初めての三社祭で、雰囲気だけは味わうことができた。今回のお目当ての東禅寺は、浅草寺・神社の中心街からはかなり離れたところにあり、徒歩で約30分もかかった。浅草のはずれにあるので、お祭りとはいえ、参拝者は自分一人であった。


ここのお地蔵さんは第2番(1710年造立)で、想像より大きく、やはり笠をかぶっているが、雰囲気は、品川寺のお地蔵さんに似ている印象を持った。元は旧奥州街道沿いにあったが、1928年に都市計画のためここに移転されたようである。今は、街道沿いにないので、江戸六地蔵という雰囲気にはちょっと欠ける。このお地蔵さんの横には、「あんパン」の考案者として有名な木村屋総本店の創業者夫妻の像があった。夫妻のお墓がここにあるようだ。最寄りの駅から相当離れているため、わざわざ訪れることになるが、皆があまり行かない隠家的なお寺かもしれない。これで、江戸六地蔵で現存する5つのお地蔵さんの内4つにお参りすることができた。


「すみだ北斎美術館」は、葛飾北斎の生まれ故郷に近い両国に、2年半前に新しくオープンした美術館で、今、「北斎なりわい大図鑑」という企画展が開催されているが、その招待券を新聞屋さんからもらったので、ついでに初めて足を運んできたものである。建物は、超近代的な外観だが、中は北斎の浮世絵関連資料が多数展示されている。浮世絵には興味があるので、見応えはあるが、今回は、時間の都合で若干駆け足見学になってしまったのは残念であった。北斎が浮世絵を描いているシーンの蝋人形が置いてあって、臨場感があった。北斎に興味のある方は是非一度立ち寄ってみてください。

写真は、霊厳寺のお地蔵さん

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品川宿の神社・仏閣めぐり

2019年04月19日 08時04分18秒 | 宗教

東海道五十三次の最初の宿である品川宿に居を構えているが、周辺には神社・仏閣が多い。ここ数日、トリップアドバイザーのクチコミを書くために、周辺のお寺や神社を改めて訪れている。いざ、訪れてみるとお寺や神社がいかに沢山あるか、また、いかにいろいろな宗派のお寺があるかを目の当たりにしてビックリする。数えてみたら、狭い地域なのに北品川と南品川(一部東品川を含む)の住所にあるお寺が27か所、神社が7か所もある。

810年に空海が開基し、東海道の江戸の入口に建てられた江戸六地蔵もある品川寺(ほんせんじ)をはじめ、1200年位から1700年位までの間に創建された神社・仏閣が多いが、長い歴史の中で建物の多くが焼失し、再建されたものが多いのは仕方がないところである。かつては五重塔が聳え立っていたという天妙国寺や三代将軍徳川家光が沢庵和尚(たくわんで有名)ために建立した東海寺のような有名なお寺もこの地域にある。板垣退助や岩倉具視や沢庵和尚や賀茂真淵(国学者)のような有名人もこの地域に眠っている。

今回、神社・仏閣にはカメラを片手に訪れたので、写真を整理し、YouTubeのスライドショーにアップすることにした。サウンドトラックは、好きな曲の一つであるチェリッシュの「古いお寺にただひとり」とした。品川宿には東海道五十三次の最初の宿として、参勤交代の大名行列で人が行き交い、品川宿周辺の御殿山の桜や海晏寺の紅葉を見に時の将軍も多数訪れており、大きな遊郭もあったので、江戸時代は大変な賑わいであったものと思われる。

画像は、1833年頃の品川宿を描いた歌川広重の浮世絵

品川宿の神社仏閣めぐり:https://youtu.be/KSYZ023NGUs

 
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煩悩具足の凡夫(煩悩のかたまりの人間)

2019年03月23日 19時40分32秒 | 宗教

前回に次いで親鸞聖人にまつわる仏教教室を覗いてみた。今回は歴史の教科書にも出てきた「歎異抄」の一節の解説である。「歎異抄」とは、鎌倉後期に唯円という親鸞の弟子によって書かれた仏教書である。1~10条までは、親鸞の言葉を記し(口述筆記)、11~18条は、親鸞亡き後の異説の誤りを正している。親鸞の異説を嘆いた書という意味で、「歎異抄」と名付けられたとのことである。「歎異抄」は非常に誤解されやすい書物なので、「カミソリ聖教」ともいわれた。カミソリは、大人が使えば重宝でも、幼児が使えば、危険な道具になるように、親鸞の教えをよく知らない者が読めば、誤読の危険性が大きいとのことで、8代目にあたる蓮如上人は室町時代、この本を封印し、江戸時代は世の中に出回っていなかったが、500年後の明治時代の末になって、やっと封印が解かれ、今になって広く知られるようになったとのことである。

今回の仏教教室では、歎異抄にある「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。」という言葉を引用して、煩悩についていろいろ解説してくれた。「火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ」という意味で、親鸞聖人の教えは、要するに人間は煩悩のかたまりであり、その煩悩は 減らすことも、なくすこともできないという前提に立つ。

煩悩とは、「自分を苦しめる心」でウィキペディアでは「身心を乱し悩ませ智慧を「妨げる心の働き(汚れ)」説明されていた。全部で108個あり、その内、次の三毒の煩悩が最も悪いものとされる。

① 貪欲(とんよく)
② 瞋恚(しんに)(怒り)
③ 愚痴(ぐち)

貪欲には、五欲といって、①食欲 ②財欲 ③色欲 ④名誉欲 ⑤睡眠欲 の五つの欲があって、無くそうと思っても無くせないし、きりがないし、次から次へと増えるのである。瞋恚とは、怒りの心で赤色の鬼に例えられる。欲が妨げられると怒りがこみ上げる。愚痴とは、妬み、嫉み、恨みのことで、人の不幸を喜ぶようなことである。ある毒舌家は、「幸福とは、他人の不幸をみてよろこぶ快感」とも言っている。親鸞は、「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蠍のごとくなり」(悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。)とも言っている。

まさに、煩悩は、我々を悩まし、止めたくても止められないものである。親鸞は9歳から20年間、比叡山にこもって、修行を行ったが、どうしても煩悩をなくすことはできず、諦めて下山したのである。除夜の鐘は、煩悩が108個あるため、108回鳴らして煩悩を一つ一つ消し去り、安らかな気持ちで正月を迎えようとする儀式であるが、煩悩をなくすなんてそれは所詮不可能というのが親鸞の結論であり、彼の仏教は、それを前提としているのである。出家して修行を積んだ人だけが救われるというのは仏教の目指すところではないと確信しての布教活動であったのである。

「歎異抄」の一節に、「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。」という言葉がある。まさに、誰もが「煩悩具足の凡夫(煩悩のかたまりである人間)」であることを前提に、幸福を求める。「煩悩即菩提」といって、悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩はやがて悟りの縁となることである。

我々の生活に仏教用語がいっぱい入りこんでいるが、その意味を知らないことが多いのに愕然とする。講師の話を聞いていて、なるほどということばかりである。チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われないように、少し仏教教室にも通ってみようかと思っている。また、「歎異抄をひらく」というアニメーション映画が5月24日に封切りになるとの情報を得た。勉強にもなるが、面白そうなので、是非とも見に行きたいと思っている。


画像は、アニメ映画「歎異抄をひらく」
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