Zooey's Diary

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「バベットの晩餐会」

2021年05月06日 | 映画

30年ほど前に観たこの映画、有名ではありますが、私はうっすらとしか覚えていないのです。
同じ頃に観た、例えば「ソフィーの選択」などは、今も苦しいほどにくっきりと覚えているのに。
デンマークの貧しい村につつましく住む老姉妹、そこへやってきたバベットが一夜限りの豪華な晩餐を振舞う。
という大筋は覚えているのですが、それだけの単純な話なのに何故名作と言われるのか?
若い頃はそれほど感動しなかったけれど今観たら、違うものが見えてくるかもしれない。
という期待の元に、見直してみました。

19世紀後半、ユトランド半島の寒村に住むプロテスタント牧師の父親と、二人の姉妹。
若い頃の姉妹は花のように美しく、姉は精悍な士官から、妹は有名オペラ歌手から求愛されるも、二人は父の信仰を手伝うために独身を貫き、父亡きあとも村の信者たちの拠り所となっていた。
老姉妹の貧しい家に、フランスから亡命してきた女性バベットが逃げ込み、一緒に住むことになる。
そして14年が経ち、バベットは牧師生誕100周年祝いの晩餐としてフランス料理を作らせてほしいと申し出る。
貧しい家、食べていくのがやっとの質素な人々の前に、一夜限りの絢爛豪華な晩餐が出現します。



それだけの話です。
色彩のない寒村、貧しい老姉妹の家で、その晩餐会は夢の世界のように輝いている。
バベットは宝くじで当たった1万フランをすべてその晩餐会に次ぎこんだのです。
何かといがみ合っていた村人たち、食べることなんかに夢中になっては神に申し訳ないと言っていた村人たちが、段々と表情が緩み、和やかになってくる。
バベットが実は、パリの有名レストランのシェフであったことも明らかになる(晩餐が終わってから)。
しかし、だからといってその場でバベットが皆に賞賛された訳ではない(彼女はキッチンから出てこない)。
バベットの腕が認められたからといって、その後の活躍の場が約束された訳でもない。
何しろ彼女が活躍するには、その村はあまりに小さく貧しく、料理の味も知らない人たちばかりなのです(将軍を除いては)。

そうだ、若い頃も私はそこに腹を立てたのでした。
バベットがせっかく全財産をはたいて夢のような晩餐を実現させたのに、どうしてもっと陽の目を浴びさせないの?と。
一人だけ味を知っている将軍は、どうして一言、素晴らしい料理だったと彼女をねぎらわないの?と。
晩餐の後、バベットは暗い台所で放心したように一人ただ座り込んでいる。
料理を賞賛し、感謝の言葉を彼女にかけるのは、老姉妹だけ。



自分の持てるすべてを差し出して、バベットは満足したのだと今は思います。
贅沢も美食も知らない貧しい人々をもてなして、職人の心意気を示したのだと。
「私は芸術家です。自分のためにやったのです」
正直、今も物足りない思いがありますが、そこが名作と言われる所以かしらん?

それにしても、バベットが姉妹の家にやってきた当初、こんなものを作ってくれと見せられた食事。
干し鱈を水に戻して、固いパンを入れ、ドロドロに煮込んだ茶色のお粥のような代物。
バベットは一瞬微妙な顔をしますが、素直に従ってそれを作るのです。
後から思うと、一流店のシェフであった彼女がよく14年間、毎日あんな食生活に我慢したものだと。
晩餐会のメニューは、「ウミガメのコンソメスープ」に始まり、メインは「ウズラとフォアグラのパイ詰め石棺風 黒トリュフのソース」。
お酒はアモンティリャードから、ヴーヴ・クリコ、クロ・ヴージョ、フィーヌ・シャンパーニュ等々。
1800年代後半の1万フランは今の幾ら位になるのかとネットで調べてみたら、どうも450万円くらいであるらしいです。


コメント (4)
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