Zooey's Diary

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100歳の…

2019年02月17日 | 社会
先日、渋谷の東急百貨店本店で「飯田深雪アートフラワー展」を開催していました。
随分と懐かしい名前を聞いたような気がして、思わず寄ってみました。
会場いっぱいを埋め尽くす、人の手で造られた美しい花々。



飯田深雪という人の姿は、テレビの料理番組などで何度か見かけたことがありました。
彼女の著作「100歳のいきいき食卓術」という本を、随分前に読みました。
アートフワラーを生み出した女性がどんな人生を辿られたのか、興味があったからです。
展覧会を見て、久しぶりに本棚から引っ張り出して来ました。

1903年(明治36年)医師の家に生まれ、食道楽の父の影響で洋式のライフスタイルで育つ。
外交官の夫と結婚後、シカゴ、インド、ロンドンなどで過ごし、
戦後、その体験を元に料理と、自ら創作したアートフラワーを教え始める。
何もかもを失くした焼け跡の借り住まいの中で、真っ赤なガウンの生地からひなげしの花を生み出し、
その美しさに感動し、おおいに慰められたのだそうです。



新潟の旧家であったという彼女の家はかなり裕福だったようで、
明治の終わり頃に洋装で学校に通い、髪には大きな青いリボンをつけていたと言います。
その頃から、朝食には母親が焼いたパンと生ハムを使ったハムエッグ、
タンシチューやカツレツやパウンドケーキが食卓によく登場していたというから凄いですね。
そんな恵まれた環境で著者の舌は鍛えられ、料理にも積極的に取り組み、
結婚後は外交官夫人として海外で暮らして、またその腕を磨かれたようです。

戦前の、日本人がろくにおらず、当然日本食の材料など全くないシカゴで
和食を三十人分を領事館に頼まれて必死になって作ったとか、
インド駐在時代に戦争が始まって、ヒマラヤの中腹の町で収容生活を送らされたとか
まあ面白いエピソードもない訳ではないのですが、全体に淡々とした本です。
彼女の季節ごとの毎日の朝昼晩の献立とか、お気に入りのメニューのレシピが
写真入りでいくつか紹介してあって、それが楽しい。



その本を書かれた2003年時点で100歳、でも現役の料理研究家。
子どもの頃から虚弱体質だったのに、こんなに長く元気で生きられるとは
誰よりも自分が驚いていると。
「人さまに喜んでいただくのが私の使命、求められる限り自分は生きて行ける」と
と言い切っておられるのがすがすがしい。
その後、2007年に亡くなられたようです。

「100歳のいきいき食卓術」 http://tinyurl.com/y6qqqlpv

#welovegoo #artflower
コメント (8)
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