Zooey's Diary

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54年8カ月6日5時間32分の記録

2012年06月19日 | 社会
昨日の朝日の天声人語で金栗四三のことが紹介されていました。
”スウェーデンのストックホルムで開かれた100年前の五輪に日本は初参加した。
マラソンの金栗四三は疲労困憊して途中で倒れ、民家で介抱されるうちに
行方不明扱いになった。時は流れて、当地の五輪委は55年目の祝賀行事に金栗を招く。
スタジアムでテープを切ると、「日本の金栗、ただいまゴールイン、タイムは54年と
54年8カ月6日5時間32分20秒3。これをもって大会の全日程を終了します」と
アナウンスが流れたそうだ。”
天声人語(6月18日分) http://www.asahi.com/paper/column.html

検索してみたら、金栗四三という人は、日本におけるマラソンの父と呼ばれているのですね。
1891年(明治24年)生まれ、熊本県出身。
Wikiなどによると、1912年のストックホルム五輪のこの日、40℃という記録的な暑さで
参加者68名中およそ半分が途中棄権し、亡くなった選手もいたのだそうです。
当時はスウェーデンまで船と列車で20日間の旅。
食事は合わず、夜は白夜で眠れない。
しかもマラソンの当日、金栗を迎えに来る筈の車が来ず、彼は走って競技場に行ったと。
当日、金栗選手も日射病で倒れ、近くの農家で介抱されるが、目を覚ましたのは翌日であった。
金栗選手は途中棄権と見なされる。
踏んだり蹴ったりですねえ…

”1967年(昭和42年)3月、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典で
当時のことを調べていた委員がこのことに気付き、金栗選手を招待。
75歳の金栗は競技場をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った。
この時「日本の金栗ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」と
アナウンスが流れた。
金栗はゴール後のスピーチで
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントした。”と。


金栗選手の画像も出てきました。
なんと足袋を履いている。
短足なのは仕方ないか…



54年8カ月6日5時間32分20秒3でゴールした瞬間
写真は金栗四三展図録より
http://sakura1.higo.ed.jp/sh/tamanash/kanakuri/kanakuri-zuroku.htm

こんなドラマがあったなんて知りませんでした。
金栗氏は1983年(昭和58年)11月13日、92歳で死去したされたのだそうです。
コメント (8)
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