五島列島 極楽西海の島

長崎県五島列島は西方浄土、西の島です。遣唐使や倭寇が活躍した舞台でした。

水源を訪ねて1

2005-12-26 16:33:30 | 
五島には5~7キロメートルの小さい川がたくさんあります。
今日は、知人の農園がある
岐宿町浦川の水源まで
雪の合間をぬって行ってきました。
とても寒かったです。
写真は
浦川が海へ流れ込む
岐宿町の岐宿湾です。
このあたりは平野部です。
かつてこの湾には
遣唐使船が立ち寄っていました。
ここには風力発電があります。

堂崎天主堂その3

2005-12-25 08:14:42 | 教会
教会巡礼の際のご注意。
堂崎教会は文化財として、内部の撮影は禁止されております。今回は特別の許可を得まして撮影しております。

これらの資料は
「長崎の教会」http://www1.odn.ne.jp/tomas/
からお借りしました。

堂崎の海

2005-12-25 08:11:22 | 教会
天主堂は海のすぐそばです
このあたりは岩場です。
隣の島
久賀島・手前の島や
ユーミンの歌で有名な奈留島・その向こうの島が見えます
ひさしぶりの快晴です。

堂崎天主堂その2

2005-12-25 08:09:14 | 教会
五島堂崎は
島内各地に小教区制度が整うまで、五島キリシタン復活の拠点として、まさに五島における小ヴァチカン的な重責を果たしてさた。堂崎天主堂は長く厳しい弾圧を絶え抜いた五島キリシタン受難と勝利のシンボルである。また、宣教再開と同時に始まった児童福祉施設(現:奥浦慈恵院)とその事業母体となった女部屋(現:お告げのマリア会奥浦修道院)発祥の地となった。

堂崎天主堂

2005-12-25 08:07:59 | 教会
明治12年(1879)パリ外国宣教会マルマン師によって、堂崎に仮聖堂が建立され、ここを弾圧後の五島における宣教活動の拠点とした。後任のペルー師によって建て替え工事が行われ、明治41年(1908)5月10日、現在の赤レンガ、ゴシック様式の天主堂が完成し、日本二十六聖人に捧げられた。当時の建築技術を物語る証しとして昭和49年(1974)4月9日長崎県の文化財に指定れた。