龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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ガンジーの言葉

2013年07月12日 20時41分31秒 | 大震災の中で
ガンジーのこの言葉を白井聡氏が『永続敗戦論』で引用している。

そのことを書いた3月のブログに、藤本ひろ子さんがコメントを寄せてくださった。



>藤本ひろ子 : ガンジーの言葉を私も論文に引用しています。
>白井氏のように若い方の存在が、絶望的な風潮の中での灯です。
>もっと灯を高く!ヘレンケラー

ちなみにガンジーの言葉はこちら。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
ガンジー


大震災と原発事故から2年以上過ぎた今行われようとする選挙で、このガンジーの言葉を自分に言い聞かせなければならないことは、とても「幸福」だとはいえない。
だが、自分自身でこの身体を伴った思考を続けなければ、という思いはいっそう強い。
そのことは幸不幸の別ではなく、生きることの感触を自分に与えてくれる。
あきらめないよ。

「悪いことは言わないから、原発は止めておけ」
再稼働を願う立地自治体周辺の人たちに、簡単には届かないかもしれないけれど、伝えておきたい。


週末はデカルトを読もう。

2013年07月06日 02時12分11秒 | 大震災の中で
大学入試の国語評論を読んでいると、もうここ20年ぐらい(小林秀雄が主役でなくなってから、といってもいい。今年センターでカムバックしましたけどね)、
「近代の見直し」
が定番だった。

(何を今更、と言われてしまうだろうか。でも、福島の原発事故とその後の経過は、本当に日本の「近代」ってなんだったんだろう、と考えさせられるのですよ。)

まあ、それは別としても、いわゆる「デカルト=ニュートン」的近代合理主義・科学主義の「限界」みたいな話は当然の前提になってきた。

でも、17世紀のスピノザ哲学に関心を持ち、その視点からデカルト・ホッブズを考え直そうとすると、これはこれでなかなか興味深いところがある。

まず、デカルトについて言えば、私の最大の関心事の一つである「神様問題」をもう一度ゆっくり考えてみるには、とりあえずデカルトを読み直してみる必要があるということだ。

次に、国家と権力の問題について考えるとき、ホッブズを抜きには考えられない、のだが、これはもう少し後の宿題。

いずれもスピノザが影響を受けた哲学者だ、ということが一番なんですが。

で、『方法序説』を先日手に取ってみたら、これが本当に読みやすい。
一般(当時のフランス語が読める女性まで対象として考えていたらしい)向けに書かれているため、「へー、そうなんだあ」と自習監督の1時間でおおかた読了してしまった。

これ、基本教養なんでしょうが、もちろん「基本教養書」なんてものを若い時に系統立てて読んだだりした経験、あるわけがないので、55歳にしてやっとぼちぼちそんなことをやり直しています。

老後の準備ですね(笑)。

調子にのって今晩は『省察』と『哲学原理』を。

もちろん、補助線は一年間講義を受けた國分功一郎氏の「スピノザ入門」。
この講座は、実のところデカルト入門でもあったのだと、改めてデカルトを読んでいて感じます。

福島大学の倫理の小野原先生が「スピノザって結局デカルトでしょ。どこが違うの?」と言っていた意味も分かってくる。

そういえば「近いから『違う!』ってなるんですよ」と國分せんせも言っていた。

デカルトのコギト論は「明晰判明」なモノを求めるという近代哲学の祖としてすばらしい成果だったが、それはまだ「途中だ」と國分せんせは言うのですね。

無限遡及を続けていくのではなく、「発生」を問うこと。
結果から原因を遡及して求める方法では、たどりつかないことがある。
そういうところからスピノザは自分の哲学を離陸させていった、と國分せんせは『知性改善論』を論じ、『デカルトの哲学原理』(スピノザ)を論じながら、あたかも『ドゥルーズの哲学原理』の中で、ドゥルーズが哲学者たちの思考=問いを限界まで押し広げていく(と國分センセが語る)ように、先生自身がスピノザのテキストの中を分け入っていくんですが、私はそこまではまだよく分かってはいません。

ここは、『スピノザの方法』の続編、國分功一郎の『エチカ』論を俟たねばなりませんね。
神様問題の扱い方です。
まあ、「神の存在証明なんてできっこないさ、いないんだからね」っていう、いわゆる我々の現代における常識からすれば、スコラもデカルトもライプニッツもスピノザも、まだ「進化」しておらず、神様なんてものにかかずらわっていた「時代の制約」の中にいた、とも言っていえないことはないけれど、それじゃたぶん端的につまらない。むしろ、なぜ1000年も1500年もそれをやり続けられたか、ってことの方が面白そうだ。

とにかくただ、デカルトが何と向き合っていたのか、どんな「問い」を問うていたのかを読んでみよう、という姿勢で読んでみると、意外に面白くなってきたのです。

(この、哲学は答えではなく問いを読むのだ、って感じは、『ドゥルーズの哲学原理』(國分功一郎)前半の肝、なんですが、とっても便利な「構え」だと思います。けっこう流用可能のような気がしますよ。)

できれば、デカルトの向き合っていた「問い」の対象を幾分かでも理解しつつ、それをずらしながら二元論から一元論へ「脱構築」していく、というスピノザ像を改めて考えてみたいって話なんです。

他方、ちくま学芸文庫の『省察』『哲学原理』の訳者である山田弘明先生が書いているように、中世スコラ哲学との距離というか関係というか、デカルトのスコラ哲学に対するスタンス、というところも興味深い。

これはとうてい手に負えないから、せめて匂いだけでもかいでおこうという話。
中世スコラ哲学って、なんか現代から観るととても不思議で、魅力的なんですよねえ。

さて、久しぶりに腰を痛めて家に籠もる週末、軽いミステリーと交互にデカルトを読むのが楽しみです。
感想は後刻。

腰を痛めた。

2013年07月03日 00時23分30秒 | 大震災の中で
先週は親戚のお葬式があって、少し忙しかった。
一段落ついて、二日ぐらいしたら、今度は腰が痛くなってきた。

まだ寝込むほどではないが、「あの前兆」といえば経験した方は「あああれね」と納得してくださるかもしれない。

あの腰のあたりに「ざわざわ」というか「びりっ」というか、嫌な感触がわだかまってきている。

昔、一生分の怒りを一度に放出したとおぼしき瞬間があって、そのときは背骨から腰にかけて電気がビリビリと走ったような感触があり、腰が痛くなった。

今日TV(クローズアップ現代)で腰痛の主因はストレス、みたいな番組をやっていたが、うなずける。
もちろん、腰をかがめたまま重いモノを持っていわゆる「ぎっくり腰」になることはある。
しかし、重いモノなど持っていないのに、腰が痛くなることは確かにあって、老化といえばなるほど小学生の時は腰痛など無縁だったのだから、老化なのかもしれないが、どうもストレスが大きく関係しているというのは実感として納得できる。

しばらくはおとなしくしていなければいけない、とも思うが、周囲の筋力が弱ると今度はそれがいけない、とも言われそうだ。

結局、年が関係してくるのはこのあたりからだ。
若い時は無理も利いたし、回復する幅も広い。
年をとると、無理はできないし、普通に無事な運動ができる範囲が狭まってくる。

多少やり過ぎても若者なら大丈夫なのに、年寄りはそれが自らの身を壊す遠因になりかねない。
かといって、刺激を与えなくては体も心も確実に衰えていく。

年をとるに従って、やれることの下限と上限が狭くなって、バランスをとり続けるためには、身体の精緻なコントロールが必要になってくるのだ。
自分の自覚で足りなければ薬を飲む必要も出てくる。

そして、その、運動・体力・精神の間で取り得る幅が狭まって一点に収斂すると、それが「お迎え」ということになるのだろう。

体力の低空飛行が始まったら、できる範囲で無理なく続けることが以前以上に重要になる。

コントロールされた振る舞いこそが、年寄りの美学=必然性ということか。
やれやれ。
今まで「多動児」として生きてきた直球勝負から、コントロールされた変化球勝負に、常に打席に立ち、ぶんぶん振り回していたレギュラーから、
たまに代打で打席に立つ助っ人に、と勝負の場所の幅が狭くなっていくのだ。

それを自覚した上で、何ができるか。
とりあえず、一度に眠れる時間が短くなったことは間違いない。休憩さえ、休み休み取らなくてはならないとは(笑)!

しかし、これが笑い事ではないんだなあ。





エチカ福島第2回セミナーが無事終わりました。

2013年07月03日 00時09分36秒 | 大震災の中で

6月22日(土)、福島県立美術館で開催された
エチカ福島第2回セミナーに参加されたみなさん、ありがとうございました。

アートと倫理という、一見遠く離れて見えるものを結びつけるアイディアに賛成してくれ、発表を快く引き受けてくださった丹治先生にも感謝です。

丹治先生は「限界集落」と呼ばれる新潟県の山村で継続しているアートプロジェクトの発表をしてくださいました。
なんでもないことのように語っておられましたが、
最初は議員の方にも、村の古老にも
「そんなことをやって何になる?」

という厳しい拒絶と批判、非難がある中で一つ一つ持続的な活動を積み重ねた結果として、報告されたようなプロジェクトが成立・継続している、という点は、あまり触れてはおられませんでした。
でも、会場の方々の

「そんなことをやっても限界集落は変わりはしないよ」
「福島でアートなんてあり得ると思いますか?」
「田舎なんて最悪だよ」

という声たちは、丹治先生のアートプロジェクトの否定になるのではなく、結果として、

むしろ丹治さんが語らなかったそのプロジェクトを成立させるまでの「人と人との出会い方」その紆余曲折を、エチカ福島の場で、

「人と人との間にもやもや?モクモク?ボワボワ?と立ち上がるもの」

という丹治先生が言っておられたその、「間を満たし」、「間に響き合うもの」の感触に繋がる

「それ」

として再=現出させてくれていたのかもしれません。

発言されていた方々の意図はもちろん、単純にアートプロジェクトの否定を目的としていたのではなく、それが「いかにして可能か」という「エチカ」を共有する基盤への呼びかけにあったのだと、勝手に理解しています。

うまく通じることだけが、物事を動かすわけではない。

そう、エチカ福島は、「強い説得」から身を引きはがしつつ、なおもそこに共有基盤を探そうとする営みであったのでした。

丹治先生の発表と、それに続く会場の方々の議論を聞いていて、これはやっていかねば、と改めて思いました。

次回の計画は、今相談中です。

秋口になりそうですが、またぜひ、ご参加くださいますよう。
今回おいでになれなかった方々も、ぜひ。

すぐには役に立たない営みでしょうが、積み重ねていこうと思います。