龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『怪物はささやく』パトリック・ネス(あすなろ書房)を読むべし。

2015年04月30日 06時30分00秒 | メディア日記
 『怪物はささやく』原案:シヴォーン・ダウド 著者:パトリック・ネス 訳者:池田真紀子 出版:あすなろ書房

を読んだ。

本の形式からいえば、ヤングアダルト向け(小6~大人向け)の「絵本」ということになるのだろうか。

昨夜、ちょうど夜中の12時過ぎに読み始めたら、途中で止めることができず、読み終えると2時半を回っていた。

物語は、

毎晩真夜中の12:07になるといちいの木の怪物が13歳の少年コナーのところにやってくる

というところから始まる。

なぜか少年は少しもその怪物が怖ろしくはない。
そして怪物は少年に3つの物語を語っていく。

日常の学校生活の中でいじめられることも、幼なじみのリリーとうまくいかないことも、母親が病気がちなことも、父親が新しい妻とアメリカで暮らしていることも、気むずかしい祖母が時折少年の家にくることも、さまざまなことが少年を取り巻いているのだがコナーはそれらの中で次第に孤立を深めていく……。

怪物の語る物語は、普通の物語とはどこか違う。怪物はなんのために少年コナーに物語を語り続けるのか。そして怪物は、3つの物語を怪物が語り終えたとき、少年コナーは怪物に自分の物語を語らねばならない、と言うのだ。

怖ろしい怪物に襲われる悪夢でもなければ、勧善懲悪のファンタジーでもない、意外なしかし同時にきわめて身近な「怖ろしさ」にコナーはしだいに誘われていく。
何か「物語」的な「普通」の展開を想像していると、その予想は微妙にずれていく。主人公にとってもそうだし、それは読者にとっても同様だろう。


そして私は、その怪物がイチイの木であるということの意味に気づいたとき、瞬間、読者」としての役割を瞬間的に止めて、「私自身」として思わず泣いてしまった。

私にもそういう体験があったことに気づかされたからだ。
「物語」の力とは、こういうところにもあるのか、と思った。ストーリーの魅力だけではない。物語に瞬間、突き放され、あらためて抱擁されなおす。そんな読み方(読まれ方)もあったことを思い出させられた一冊。

愛しい人を愛しいと思いつつそれを表現できずにいる全ての人に、好適な作品かと。

お薦めです。

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