龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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小説の面白さとは何だろう

2010年02月22日 23時05分55秒 | 評論
小説の面白さとは何だろう。

 日曜日、比較的高齢の方と一緒に本を読む機会があった。
 本は
 伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』
 森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』
 の二冊。まあ、当代を代表するエンタテインメントの書き手二人の作品だ。
 わざわざ読んでその「面白さ」をしゃべると、むしろ「面白さ」が逃げるってことはよくある話で、今回もそうなった(にが笑)。

 私にとっては、そして年若い友人たちにとっては間違いなく面白いのだが、50歳から70歳の人には概ね不評だった。

 どこが面白いのか?

 と素朴に問われると、こちらもだんだん不安になってくる。
 むしろ『フィッシュストーリー』や『アヒルと鴨のコインロッカー』の映画が面白かった、という50代の人は一人いたけれど、小説は二度と読む気がしない、とも。

 そんな話を聞いていて、「いや、でも面白かったんですよ」と繰り返し説明していったのだが、「面白さ」を説明するのは、これはもうかなりの難題なのだ、と改めてじわじわ感じずにはいられなかった。

伊坂幸太郎の面白さは、異なったレイヤーに生活していて、どうやっても互いに出会わないまますれちがいつつ、それでもなお、どこかで接点がかすかにあり得るのではないか、というフラットな「諦念」と「絶望」の中のまれな「ポイント」を探していく小さな書き手の、そして登場人物の、さらにはまた読者たちの身振りをそれぞれに(響き合わせて)楽しむことにある……と思うのだが、どうも、その「姿勢」に貫かれた努力の持続は、ほとんどそこに集まった読者にとって(そしてまた当然想定された作者にとっても)徒労に近く見えていたようだ。

こんなにも読みやすい文章なのに、「読みにくい」というのだから、どうにも不思議だ。
スカスカで読む価値がない、という感想ならば、まだ分かるのだが(苦笑)。

森見登美彦の作品はコアな妄想系小説だから、年配の人にもそのあたりはヒットするらしく(好みは別にして)、また、京都の街が持つさまざまな文化的地層の厚みを利用したエンタテインメントになっていることは年配の方にも感じられたようだった。
様式美だしね。

言葉の格子を縦横に張り巡らし、かつ、実体的な疑似的存在を作品中からほとんど排除した希薄な相貌を見せつつ、それでもなおそれが人間によって読まれ得るとしたら、というエンタテイメント的チャレンジの興奮は、「主体」を過剰に求める年配読者の姿勢とは、なかなか相容れないものなのかもしれない。

難しいなあ。
別に好きだと思わない人に、単なるエンタテインメント小説を啓蒙してまで読ませたいと思っているわけではないのだけれど。偉いエンタテインメントだ、といいたいわけでもないしねぇ。でも、非常に「倫理的」な小説でもあると思うんです。だから敢えて奨めてみたいのだが(いろんな意味で間違ってるか)。






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