龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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時短のこと

2013年03月15日 06時09分27秒 | 大震災の中で

日経ビジネスのコラム

育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈
「働き方の多様化」では済まされない取得者たちの軽さ
河合 薫

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120229/229264/?P=1

という記事を読んで考えさせられてしまった。
今自分の職場でも同じようなことが起こっている。
ということはおそらく、いたるところで起こっているかもしれない。

こういうことを書くと各々大変な事情を抱えた人に申し訳ことになりかねないのだが、当然いいたいのはそういう個別的なことでは全くない。

ただ、現状では、時短、家庭の事情、あるいは他の職場からの引き抜き、病気休暇、介護などなど、様々な問題で、職場が今までのようには回らなくなっている。

繰り返すが、例えば育児のための勤務時間短縮を取得することや人、が問題なのではない。
仕事の量も質も方法も変わらないままその制度だけが運用されてしまうと、現場には「仕事」だけが残されることになることが問題なのだ。

ワークライフバランス、というのは、休暇が取れる人にとってだけのものではないはず。安心して休暇が取れる仕組みとは、そのまま誰かが仕事を増やす、ということであってはならないだろう。
無能なマネージメントの中で進んでいく単なる病気休暇や育児休暇、介護休暇の取得は、残されたものの負担増で終わる。

人を増やすか仕事を減らすか。

その二つが単純にできないのであれば、マネージャーが知恵を絞って仕事の質を変えていかねばなるまい。ことは休暇取得者、残された職場の者、管理職みんなの問題なのだから。
もし、「みんなの問題」でなくなってしまうと、立ち去り型のサボタージュが起こるか、もしくは休暇取得者への理不尽なルサンチマンが渦巻くことになりかねない。

権利は権力でもある。職場の人間関係の中でその権力行使がなされるとき、関係は否応無く変化していく。
それをどう、コントロールするのか。

それは実は仕事における「交換可能性」の問題でもある。

仕事ってなんだろう、と改めて考えさせられる。
家庭ってなんだろう、改めて考えさせられる。
ちと大げさにいえば、オレってなんだろう、とも。

新しい働き方、を考えねばなるまい。私にとっては老後への準備期間がそれに当たる。だとすれば、昔の仕事からは、みんなが少しづつ「立ち去る」ことが必要なもしれない。

仕事は、やることよりもやめることの方が怖い。

でも、そろそろそういう文脈から離れることも必要。

難しいな。


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