龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

國分功一郎論なんてものまで書いてたり(笑)

2013年03月18日 23時00分15秒 | 大震災の中で
「スピノザ入門」の講座が終了して、私の中の國分功一郎ブームも一段落、でしょうか。

というわけで、ちょっとまとめ的にメモしておきます。
震災以後、「スピノザ」を巡って、どれだけ國分先生にお世話になったか、を実感します。

以下の國分功一郎論のための覚え書きシリーズは、むしろ教育論ですね。
でも、これがまた微妙に「スピノザ」とも関係しているし、今年の6月岩波書店から出版され、朝日カルチャーセンターでも6月から開講される
『ドゥルーズの哲学原理』
とも重なってくるものがあります。

でも、ここで考えたことは、30年教師をやってきてのひとまずの結論。それが、「スピノザ」=「國分」=「ドゥルーズ」の一連の哲学シーケンスに触発され、「投影し/された」もの、でもあります。


國分功一郎論のための覚え書き(1)
國分功一郎論のための覚え書き(2)
http://pub.ne.jp/foxydog/?daily_id=20111229


國分功一郎論のための覚え書き(3)
國分功一郎論のための覚え書き(4)
http://pub.ne.jp/foxydog/?daily_id=20120102


國分効果という教育(國分功一郎論のための覚え書き5)
http://pub.ne.jp/foxydog/?daily_id=20120109


「スピノザ入門」講座終了記念(笑)

2013年03月18日 22時48分30秒 | 大震災の中で
メディア日記「竜の尾」亭にアップした、国分功一郎氏関係のURL一覧です。

後半の「スピノザ入門」講座の12回は、ざっとご覧いただくと、スピノザ的な薫りが多少はしているかもしれません。

ドゥルーズの方はむしろ國分さんの立ち位置にぐっと近い印象。

この二人の哲学者が國分功一郎という哲学者の中で、どういう関係になっているのかは興味深いところ。
ドゥルーズもまた、スピノザ・ライプニッツにはこだわり続けていた人ですし、國分さんもライプニッツ→スピノザ(でも両方とも17世紀であり、ドゥルーズの研究対象でもある)と研究していった人です。

というわけで、ご笑覧あれ。

2011年2月7日
國分功一郎『スピノザの方法』みすず書房を読んで
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110207


2011年2月10日
國分功一郎『スピノザの方法』みすず書房刊を読みおえて。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110210

2011年2月21日
國分功一郎『スピノザの方法』みすず書房刊の出版記念トークイベントに参加して
スピノザ『知性改善論』岩波文庫を読んで
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110221


2011年6月19日
國分功一郎と萱野稔人の対談「スピノザの哲学」(その1) 朝日カルチャーセンター6/18
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110619

2011年6月29日
國分功一郎と萱野稔人の対談「スピノザの哲学」(2)
國分功一郎・萱野稔人対談「スピノザの哲学」(3)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110629


2011年7月
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(連載中) を読んで
http://blog.foxydog.pepper.jp/?month=201107

2011年8月10日
スピノザ『神学?政治論』岩波文庫を読み始めた。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20110810


2011年10月21日
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版社を読む
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20111021


2011年11月3日
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理(1)自由間接話法的ヴィジョン』を読んで
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20111103

2011年11月15日
國分功一郎+千葉雅也『暇と退屈の倫理学』刊行記念トーク(11/5)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20111115

2011年11月21日
『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント第2弾<國分功一郎×白井聡>
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20111121

2012年2月14日
國分功一郎+中沢新一巻頭対談、読むべし! at プラス11
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120214


2012年3月22日
『様々なドゥルーズ 國分功一郎×千葉雅也』(1)~(4)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120322

2012年4月10日
國分功一郎スピノザ入門第1回
 その1スピノザの名前
 その2 破門された思想家たち
 その3 スピノザの著作
 その4 スピノザ哲学の難解さ
 その5 『知性改善論』の方法論
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120410


2012年5月20日
スピノザ入門第2回スピノザの方法『知性改善論』をめぐって
その1
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120520
その2
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120522

2012年6月3日
スピノザ入門第3回
その1前回の復習
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120603
その2創出された方法(methode inventee)と創出的方法(methode inventive)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120604
その3スピノザ哲学の射程
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120605

2012年7月14日
「スピノザ入門」第4回 『デカルトの哲学原理』を読む(その1~その3)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120714

2012年7月29日
國分功一郎のスピノザ入門第5回
その1『知性改善論』と『デカルトの哲学原理』との関係、
、「私は思惟する、故に私は存在する(cogito,ergo sum.)」から
「私は思惟しつつ存在する(ego sum cogitans)」へ
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120729


2012年9月17日
國分功一郎『スピノザ入門』第6回
スピノザの方法についてのまとめ
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120917


2012年10月21日
國分功一郎『スピノザ入門』第7回
いよいよ『エチカ』に入ります!
『エチカ』における「倫理」の意味。倫理は「ガイドライン」ってことじゃない!
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20121021

國分功一郎『スピノザ入門』第7回(その2)
スピノザの考え方は能動態でも受動態でもない。中動態である。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20121022

2012年11月18日
國分功一郎『スピノザ入門』第7回(その3)
スピノザの認識3区分(想像知・理性知・直観知)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20121118

2012年12月11日
國分功一郎『スピノザ入門』第8回(その1)
いよいよ『エチカ』冒頭部の分析です。例の神の証明。核心部分の一つですね。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?month=201211


國分功一郎「スピノザ入門」第8回(その2)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?month=201211


2013年1月
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』1~4を読もう!
http://blog.foxydog.pepper.jp/?month=201301

2013年1月4日
國分功一郎「スピノザ入門」第9回まとめ
スピノザの平行論について
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20130104

2013年2月7日
國分功一郎氏と東浩紀氏の対談 ニコ生思想地図 07
「震災以後、哲学とは何か」 を視聴して。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20130207


2013年2月13日
國分功一郎「スピノザ入門」第10回の講義メモ
エチカの第三部(5部立てのうちの3部目)
「感情の起源及び本性について」
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20130213


2013年2月18日
國分功一郎「スピノザ入門」」第11回講義メモ
『エチカ』の第4部
「人間の隷属あるいは感情の力について」
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20130218

2013年3月18日
國分功一郎「スピノザ入門」第12回講義メモ(最終回)
『エチカ』の第5部「直観知」について」
通年のまとめ
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20130318


國分功一郎「スピノザ入門」第12回(まとめ)

2013年03月18日 13時17分15秒 | 大震災の中で

國分功一郎センセの「スピノザ入門」いよいよ最終回となりました。

メディア日記に最終回の講義メモをアップしました(日時指定したけれど、もう公開されてるかな?)

國分功一郎「スピノザ入門」第12回講義メモ

メディア日記「龍の尾亭」にアップしました。

http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980421
http://blog.foxydog.pepper.jp/


最終回はスピノザの『エチカ』第5部。
スピノザが最も重視した

第3種認識「直観知」

についてです。

併せて國分さんの読みの現在(課題も含めて)についても聞かせてもらいました。

ドゥルーズがいうように、スピノザの息遣いのぐっと身近に感じられる第5部ですが、最終回の講義は、國分功一郎というスピノザの読み手自身の息遣いもぐっと身近に感じられる「速度」に満ちた講義になりました。

最後に、有限な人間性の側からみると、スピノザはある意味マッチョとも誤解されかねない側面を含んでいる、この哲学はだから、強制されたりするものではない、という指摘に、「教育的」と私が個人的に呼んでいる國分功一郎氏の「スタイル」がしっかり刻印されていました。

有限性を抱えた人間と「永遠の相の下に」考えるというスピノザのスタンスは、確かに埋め難いギャップを抱えています。

確かに「幾何学的様式」で書かれた第2種認識(理性知)がスピノザの基本スタンスだと考えれば、第5部の結論は神秘主義とも東洋的悟り、とも読めてしまいます。

しかし、私は大震災と原発以後、むしろその人間の「人為」の有限性を痛切に感じたからこそ、スピノザの哲学が要請されなければならない、とずっと考えています。

いっけん神秘主義や「悟り」、あるいは逆に「マッチョ」とも見えかねないスピノザの哲学はしかし、彼の哲学の「文体」を國分功一郎氏と共に一年間味わったあとでは、そういう見方ではないスピノザ像がそこにあり得ることを「直観」しました。

大震災以後、なぜ自分がスピノザの哲学を必要としているのかも。

この世界以外に世界がないということ(外部参照不可能性)を認識しつつ、なおこの世界の悲惨さと向き合いながら生きることを選択するとき、むしろ有限性とのギャップにもかかわらず永遠の相の下に「認識」の価値を、それだけを称揚するスピノザの哲学は、「知性」を唯一の私たちに平等に与えられた力能として十全に発揮することの「善さ」を示してくれている、と感じられるのです。

もちろん、それは「ならぬものはならぬものです」という会津的定言命法でもなく、ある種の現状追認的ロマン主義とも違います。
マッチョなゴリ押し合理主義でもなく、ましてや神秘主義とは無縁の営為でしょう。

私が繰り返し語ってきた
「人為の裂け目」から顔を覗かせる「自然」


は認識の閾値を上げて行った結果到達するスピノザの「神=この世=自然」と響き合うものだと「直観」しました。
これからこの「直観」を、誰に強制することもなく、「懸命に語る」こと、が私にとっての
「棲家のことわり」=エチカになっていくのだ、とも。

よろしかったらご覧ください。