龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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「死」という言葉

2010年01月11日 10時27分17秒 | インポート
正月、実家の本棚で『向田邦子の恋文』という本が目に止まった。

何気なく読み返すと、向田邦子の亡くなったのが51歳9ヶ月だとある。
才能あふれた脚本家・随筆家の飛行機事故と、のんべんだらりと生き延びている自分と、むろん何の関わりもないのだが、ちょうど自分の年とまるきり同じでちょっとどきりとした。

そう思っていたら、実家の向かいに住んでいる息子の幼なじみの母親(私と同世代のお隣さん)が亡くなったと昨夜電話があって、たまげた。
肺炎で入院していたのだという。

肺炎をこじらせて、というのは幼児か老齢者のことだとばかり思っていたが。
これにはかなり参った。

自分の寿命など分からないが、「死」という言説と事件が重なると、改めて考えさせられてしまう。遠いところで起こる「死」の報道や、フィクションの中での「死」は、数え切れないほど経験しているというのに、年齢が近い、場所が近く、身近な人の死を目の前にすると、とたんに自分の心臓の裏、背中あたりに「死」が張り付いてくるように感じる。
まことに「死」は特権的なものなのだ。
さて、もちろんそれが自分にすぐやってくるとは思わないが、今できることは何か、とは考えずにいられない。

風邪っぴきの休日、快晴の冬の日に。