いつだったか、
病院の待合室で、
ふと見ていたテレビなんだけど、
報道番組のひとつのコーナーで、
あるお寺に祀られている、“カラス天狗のミイラ”(ご神体)を、
X線で分析するという、試みをしていたの
住職は、「“カラス天狗”の存在を信じている。」と、
緊張の面もちで結果を待っていたけど、
最終的には、
その物体の正体は、
とんびのような鳥に、
何か別の鳥のくちばしをとりつけたもの だった
その仕事に携わった人々は、
科学的な視点から、
物体を特定しようとし、
“カラス天狗”なるものの正体が何か、
理解・追究しようとしたんだよね
だから、
結果も、
物理的に理解可能なものが、出たんだと思うの
だから、もし、
動機が違ったものであったなら、
違う結果になっていたはず
“カラス天狗”は、その中身を開けられた途端、
ひとの意識に対応して、
サッと分子配列を変えるんだと思う
“カラス天狗”なんていないと思っている人に、
“カラス天狗”は、見えないんだ
だから、実際、その人が見える何かになったんだ
何でも見てやろうと、思っている人なら、
何が、出てきただろう
安心や安定や、保証や確認が不要な人なら、
何を、見ただろう
今日遭遇したあるシーン
女性が犬をつれて散歩していて、
小道の角に来たとき、
脇道から若い男性の乗った自転車が、
その女性の方向に曲がってきた
男性は、犬に気づいていなかったし、
女性は、自転車に気づいていなかった
正面から見ていた私が見たのは、
ほんの一瞬の時間差で、
犬が、女性のほうに走り寄った直後に、
自転車がそこを通り過ぎる、
という、奇跡だったよ
そして、当事者たちは、最後まで何も気づかなかった
彼らは、私にだけ、見せてくれたんだ
日常は奇跡からできていて、
それに気づいていないのは、自分だけだってこと!!
ハートサポートサロン「フォルテネージュ」