どうしても、これでなけりゃイヤってことがあったのね
「私はこれが欲しい!これを追い求めることが心からの望み!」って思ってた
ものすごく強い衝動だし、
子どもの頃からの自分が示してくれている方向性だったから、
それはそれは「こだわり」があったわけ
もちろん、
なかなかゲットできなくてね、
時間がかかるってのも、達成の喜びが大きくなる要素だわって言い聞かせて、頑張ってた
でも、何だか、向かい風が強くなっていって、
そのうち、槍なんかも飛んできている感じで、
満身創痍になっていったんだ
進むことは、かなり、<努力>と<根性>を要することだった、
私の意欲を、超効果的にそぐ、これらふたつの魔法の言葉
とうとう、
見えない何かが作動して、
私は「自分で自分に外科手術を施す」ような荒療治でもって、
それを手放さざるを得なくなったの
言いようのない衝撃に、喪失感とせつなさの時限爆弾を、パスされたような気がした・・
でもね、なかなか、爆発しないどころか、
なんだか、穏やかな気分になってきたんだ
私のカラダはちゃんと分かってた、
何も悪いことは起こっていない、ちゃんと収まるところに収まり、出かけていたものが戻ってくるってことが
明らかに、それまでの慢性的なカラダの凝りがなくなっていって、
おまけに、予想したほど、悲しくならなかったんだ
そして、アレレ?って思ったのは、そのあと
ボイジャータロットで「失望」ってカードがあるんだけど、
「今まで見つめ続けてきたひとつの可能性の扉が、なかなか開かないときは、
一旦、見つめるのをやめてみると、別の扉が開くんだよ」って意味なんだ
まさに、そのことが起こったの
今まで見てなかった可能性が、パタパタと開いていくのが分かって、
おもしろいアイデアなんかも、次々に、私の頭を訪れてくれて、
いやん
「あれ」じゃなくても、おもしろそうなことがたくさんあるじゃない
最初の扉は、後回しにしたよ
いつか、時が来たら、きっと、開いてくれることを信じている
でも、いまは、別の部屋に入ってみようって思うんだ
そのほうが、シンプルに、流れに沿うことになる
すぐそこにある喜びのエクスタシーに、ちゃんと向き合っている私がいる
求めることが苦しかったのは、
ものごとを「明らかに見てみて!」って、宇宙からのアドバイスだったんだね
「明らかに見る」
それが、「あきらめる」の語源なんだって