それが、
認めるのに勇気がいるような経験であれば、
なおさらのことなんだけど、
真正面から、その経験を認めて、
思うことそのままを誰かと共有すると、
「経験の尊さ」にフォーカスが集まって、
祝福が起きるんだと思うの。
私は、少し前に、このブログにて、
「私は友達が少ない」と公表したわけだけど、
その直後くらいから、
あらゆる人とのご縁がいっぺんに浮かび上がってきて、
今となっては、
私は何を持って、
友達が少ないなどと言っていたのだろう?という状態になっている。
友達100人いるのも羨ましいけど、
私自身が、「この人になら本音を話したい!」と思える人が、
日替わりで一週間ローテーションできるくらいいるってのも、悪くない!
エネルギーは確実に双方向に流れてて、
フランクで嘘のない親密さ。
このブログでも、パブリックな、仕事の宣伝とか行事の報告とか、ほとんどせずに、
こんなふうに自分の内面を書き連ねてるのは、
このスタイルが好きだから。
見守ってくれてる人がいるから。
ネガティブを言いまくってもOK、
SOSを出したら、すぐに「どした?話聞くよ」と返ってくるし、
逆に、SOSをもらって、すぐに会うシチュエーションが整ったり、
タイプや興味関心が全く違うのに、お互いしっかり認め合え、
孤独に作業している間、
じつはエネルギー界でずっと一緒にいてくれていたりとか、
「あなたの話は、たとえ、愚痴であっても、癒される」と言ってもらったり、
役割関係があっても、仲間として想いをシェアし合ったり、
お茶しているだけで、スーパーヴィジョンを受けたように、行きたい方向性が見える・・・
そんな人たちに恵まれてることに、
気づいてしまった。
それもこれも、
きっと、自分の経験を、見据えて共有したからだと思っている。
逃げずに、認めて、アウトプットしたことで、
どこかで受けとめられて、
その経験が成就し、祝福されたんだ。
陰陽反転が起こるのに、
必ずしも、言葉は必要じゃないの。
ああ、私はこれでいい、幸せだなあって思いながら、
至福のお散歩をした、月夜の晩、だったよ
Things will be only better