私の大好きなお話なんだけど、
OSHO禅タロットの大アルカナXVI(16)、
Thunderbolt(稲妻)のカードについての解説から、
里誉流の、アレンジを加えて、引用するね
昔、馬祖という高名な禅の師匠がいました。
彼は、奇想天外で創造性豊かな方法で、多くの人々に光明を得させました。
こんな感じです。
彼のもとにある人がやってきて 、こうたずねました。
「瞑想するには、どうしたらいいでしょうか?」
彼は、何も言わず、二階の窓からその人を放り出しました。
さらに、馬祖は、放り出しただけでなく、その後を追って飛び降り、
その人の上に落ち、その胸の上に座り込んで、
「分かったか!?」と、言ったのです。
かわいそうなその人は、「はい」と言いました。
「いいえ」などと言おうものなら、殴られるか何かされるに違いないからです。
もう充分、からだの骨が折れているというのに、
馬祖は、胸の上に腰を下ろして、
「分かったか!?」と言っているのです。
でも、事実、その人は、分かっているのです。
あまりにも、突然で、青天の霹靂だから、
そんなこと(問題のこと)は、考えてもいなかったのです!
「問題と同じエネルギーではその問題は解決しない」(by アインシュタイン)
たとえば、
「××するにはどうしたらいいか?」 → 「○○したらいい。」
という答えでは、
根本的には解決しないってこと
急場はしのげるかも知れないけど、
それを実行していると、
また、違う問題が発生してくるんだ
そして、それに対応していると、
また、同じように、循環は続いていく
「痩せるにはどうしたらいいか?」
「恋人をつくるにはどうしたらいいか?」
「お金持ちになるにはどうしたらいいか?」
「幸せな人生を送るにはどうしたらいいか?」
「平和な社会をつくるにはどうしたらいいか?」
人類の歴史がこれだけ続いているのに、
なおまだ、私たちは、昔の人々と同じ悩みを抱えていたりする
それって、
その悩みとやらには、
絶対的な答えがないっていう、動かぬ証拠だと思うの
「××するには、どうしたらいいか?」という問いが、
頭の中に生まれたら、
解決策は、まず、
決してそれに対処しないこと
論理なく、
因果関係なく、
期待なく、
考えずに、
量子的に、別次元に跳ぶの
「××するために、量子的に跳ぼう!」じゃなく、
ただ、跳ぶんだ
理不尽で、非常識で、非合理で、無関係なエネルギーほど、
じつは、究極の正解なんだってこと、
みんな、もう、気づいている頃、だよね
(いま、「量子的に跳ぶにはどうしたらいいの?」って思った人は、
カウンセリングサロン「フォルテネージュ」にどうぞ
窓から放り出して差し上げますことよっ)