Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

時空を超えた「歩み」のキセキ!

2009-12-22 | フォルテネージュ

小学生の頃、

その頃の一般的な家庭同様、我が家にはテレビが一台しかなくて、

当然、

チャンネル争奪戦が繰り広げられていた

百恵ちゃんのドラマや歌番組が大好きだった私


でも、

父は、野球やプロレスが好きで、

私の見たい番組は「くだらない!」と蔑んでいて、

父の機嫌次第では、私が見ていても途中で消された

父はワンマンだったので、私は別の部屋に行って突っ伏して泣くしかなかった












私はその頃から、現在に至るまで、ずっと泣き虫だ

今も、このブログを書きながら、かなり泣いている

びっくりするくらい、尽きることない、私の涙腺パラダイス

でも、

たいてい、人前では、モードを切り替えて、涙を止めるテクニックがある

それが、いいのか、悪いのか、分からないけど・・













その日、

半身浴しながら、Greeeenを聴いて、やっぱり泣いていたのだ

「歩み」

歌詞を見るだけで、ジンとくる人生の応援ソング


泣きながら、

「ああ、子どもの頃から、よく泣いていたなあ」って、テレビを見せてもらえなかったことを思い出していた













そして、

つながった

26年前の、父の言動に込められた、父の気持ち














私が、大学に入学するとき、

初めての一人暮らしをするので、父が一緒に上京してくれた

そして、

まず、彼は、私を秋葉原に連れて行き、

テレビを買ったのだ













当時の私は、

「一人暮らしで、退屈しないようにとの親心だなあ」なんて、考えていた

 

 

 

 

 

あのとき、

父はきっと、

幼い頃に、私に見たいテレビ番組を見せてあげなかったことを覚えていたのだ

当時は、

幼い私がどれだけ泣いても、

「泣けば良いと思うな!」と、絶対に私の思いが通ることはなくて、

父から優しい言葉のひとつもなくて、

私の好きなものは価値のないものなのかって、思ったけど・・

 

 

 

 



あの頃、若かった父、

親元を遠く離れて、周囲に頼る人もなくて、

職場ではきっと嫌なこととか、たくさんあって、

人生、うまくいかなくて、

それでも家族を養わなくてはいけなくて、

頑張っていたんだろう

思い通りにいくのは、家庭でのテレビ番組の選択くらいだったのかも知れない

幼い私は、そんな父の痛みに気づかず、

父はいつも横暴で、頑固で、好きではなかった












26年前、

父が私に、何よりも先に、テレビを買ってくれたのは、

幼い頃の私を忘れていなかった証だ

そして、償いのように、

「これで、好きなの、いくらでも、見ろ」って、言っていたのだ


父は、このとき、

泣いていた小さい私に、やっと、優しい言葉をかけることができたのだ

その行為は、父にとっても、感動的だったらしく、

そのとき、大金の入った封筒を、

家電屋のレジに置き忘れるって失態をした













そんなことを思い出したりして、

気づくと、涙が、止まらなくなっていた














よく、世間的には、

「子どもを愛していない親なんていない」って、言われるけど、

確かにそれは事実でも、

実際に、子どもは、「自分は本当に親から愛されているのだろうか」って思う経験があって、

それが、

ずっと気持ちの中に残っていて、

何年も経って、親の世代になって、ふと気づくことがあったり、

何となく分かることがあったりして、

自分が傷ついた経験を乗り越えていくんだろうなあって、思った













父はこのことを覚えているだろうか














それにしても、

M-1のオープニングから、泣いてしまう、この感激屋ぶりは、

かなりユニークだと自分でも思う

でも、

泣くことで思い通りになった経験がないので、

涙を武器に使ったことは、一度もない









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