GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

本人でさえも、どうなる人生か分からんのやないか!?

2022-02-03 15:08:47 | 野球
 今更すぎますが、来季の日本ハムの一軍監督にプロ野球及び日ハムOBでもある新庄剛志 氏が、就任しました(驚)!!それこそまさにノーマークでしたよ!パフォーマンス先行やし、打撃は一流やなかったから、"不安視・疑問視する声"もありますが、結構期待します!ただ15年ぐらい現場から遠ざかってるのを懸念してるかたが、居ますが。本人はきっと"だから去年、トライアウトを受けたんやないか!"と言いそうですが。プロ野球は、エンターテインメントの要素も絶対必要!!特に人気が沸騰してるとはいえ、やっと通常になったパ・リーグでも、まだセ・リーグに後れをとってるから、パ・リーグやから余計にそういう要素は、要る!!指導者としては、逆にコーチ、特に外野守備(内野は経験はあるけど、就いた経験は少ない)コーチは、天才過ぎて向いてない(何故こうなるのか・何故こうするのかといった事を、説明出来ないから)!=コーチは、基本技術などを教えるから。一方で監督は、戦術や戦略(実際は、ヘッドコーチがする事が多いんやろうけど、最終決断をするのは、監督)やから、コーチ職とは別でまだこっちの(チームの方針・方向性を決める)方が、向いてる。奇襲戦法は禁止事項(偽投・スパイ伝達など)も多い今、尽きかけてますが、ひらめきの天才でもあるから、"何をしてくるか判らん"という意味では面白い!何よりもパ・リーグでもある訳やし、監督とは「広報マン」の役割もあるから、新庄氏はうってつけ!!奇襲はめったに出来ないし・成功しないし、データがこれだけ出る時代、偽投・スパイ・伝達禁止などのルールが厳しい中で「監督として考えられる作戦は底を突きつつある」とノムさんも生前言ってました(涙)ただそれでも"何をしてくるか判らん"、阪神時代に「山田(勝彦)さんのリードは、味方の僕から観ても、読めますよ、バレバレですよ。」と言って、1試合こっそりセンターの守備位置から投手をリードして打者を抑えた事があるらしいですから、何をしてくるか判らんという意味では、案外面白い人選やと思いますよ(笑)パ・リーグの救世主でしたしな。当時のパフォーマンス(=ハーレーや車や天井から吊り下げで登場・被り物で守備位置に就いたり)に近いものを再現しようとしてるし、"インスタなどのSNSを使用した企画も考えてる"ようやけど、後者はスパイとかに抵触するから無理やと思いますよ!あと"何試合か、スタメンをファンから募集"に関しても、OBや解説者から総スカンを受けてるようやけど、既に2000年の近鉄の梨田さんが、大阪ドームのホーム開幕戦でやってる前例が、ありますが(大笑)しかも梨田さんが考えてたオーダーと、一致してたから全く問題無かったと(ファンも玄人ばりの感覚で、よく観てたんですな)!!ただ吉岡雄二が離脱中で吉岡→山下勝己(勝充)に変更されましたが、それ以外は全て一致したっちゅうこっちゃ。まぁ新庄監督が実際にファンからのスタメン募集を実施したとして、初めてやないけどほどほどにした方が、ええと思うけど。
 幼年期は、スポーツは何でも出来たが、本人曰く"一番苦手・下手やったんが野球だったから、あえて難しい事にチャレンジしたいという事もあり、野球をするようになった"よう(汗)選手時代は、内野手として阪神に入団。週刊ポストによると、"大洋以外の全球団のスカウトが、挨拶に来た"けど、本人は西武に入団したかったようやわ(→これは、初耳やった!経緯は"西武なら、直ぐに試合に出れそうだから"と→当時全盛期の西武のどこを見てそう思ったんや?本人は巨人ファンやし、メジャーから復帰後は、新庄氏の親父さんもファンである巨人や巨人では、好き勝手出来ずパフォーマンスも制限されるであろうからヤクルトに入団したかったという話も聞いた事があるし、1995年オフの引退宣言時も引退というよりも、当時の彼女が横浜に住んでたから、横浜へトレード志願をしたなど真意が判らん辺りも彼らしいですな・汗)・・・現役時代の初期は、平田勝男の衰えや和田豊の肩の弱さも考えられ、抜群の守備力で平田・和田のショートの後釜として構想に入ってたようやが、緊急時以外は基本外野手として見なされていた。OBの現役時代は"今牛若丸"と言われたヨッさんは、ショートとしてのセンスを感じていたらしく、外野にしとくのは残念に思ってたようやけど・・・1991年に当時のコーチのダンプ・辻から"プロ初打席は打者は、初球はほぼ間違いなくストレート狙いやろうから、僕なら投手にカーブを投げさせるな"と新庄氏からプロ初打席前に狙い球を相談された際に、助言をしたら、その通りカーブを狙い打って初打席が、香田勳男からレフト前タイムリーヒット!翌年(1992年)は一軍に内野手が込み合った・ラッキーゾーン撤廃により、外野が広くなった甲子園の事情により内野手登録ながら再び外野にコンバートされる。ただオマリーの軽度の故障により、緊急一軍昇格した際は、オマリーのポジション・サードでスタメン出場。シーズン初安打が、ホームラン。オマリー復帰後は、センターで出場するようになり、ブレイク!!翌年から背番号も63から5となり、飛躍が期待された!1993・1994年と打率は高くなかったものの、順調に成績を伸ばし、主に6番打者などで、勝負強さ・チャンスに強さを発揮する!!と同時にセンターの守備・脚は、球界屈指であった。ただ1995年途中に監督に就任した藤田平と折り合いが悪く、険悪の仲に・・・遅刻して1時間グランドに正座をさせられた、さらし者になりいたく傷ついた模様(後年ノムさんは、彼は繊細で傷つきやすいから、こういう事をさせてはイカン!と述懐していた)。オフには、"センスが無いから、引退する"という大騒動を巻き起こす(涙)ただ後年、どうもトレード志願したらしいけど、受け入れられんから、ちょっとした暴挙に出たという話も・・・数日で撤回(体調がすぐれない父親が、野球を続けて欲しいという話があったのは、嘘やったみたい)ですが・・・成績も山内一弘打撃コーチと合わず、大幅ダウンしてしまった・・・ただ翌年の1996年は藤田監督との確執もとれ、開幕当初は1番打者としてホームランを連発するも、元々唯一得意でない打撃は水もので、徐々に成績がダウンし、相変わらずの低打率であったが、19本塁打を記録。翌97年も同じ様な成績(ホームランは、20本)。しかしまた1998年は、不振に陥った・・・誰もが認める身体能力だけにこの頃、解説者の板東英二は、"いくら運動神経が良くっても、毎打席いや1球1球打撃フォームが変わるんやから、一定しないでこんなんでは打てないですよ・・・"と嘆いたりしてましたが、意外とそれは新庄が正しかったかも知れん!年単位やけどイチローでも毎年フォームは微調整してたし、「ベストスイングなんか無い、そんなんは体格・体調や筋肉の状態や状況によって変わってくる」と証言し常に理想の打撃フォームを探していた谷佳知でも、下手したら1球ごとにフォームが違ったんやから。"人間は体格・体調や筋肉状態が毎年違うんですから、毎年同じフォームで打って良い訳ないでしょ!"とイチローも言ってましたからね!さて同年オフにノムさんが、阪神の監督に就任した事で、新庄自身には風向きが変わった!かねてからヤクルト時代から新庄の才能を買っていた彼は、"うちの飯田(哲也)とトレードしてやってもいいぞ!俺が凄い選手にしてやるから"と時々証言していたほど!就任するなり、投手との二刀流を提唱。どこまで本気やったかは解らんけど、"投手心理を解らせる・学ぶ・勉強する為や普段と違う動きをする事によって、バランスの良い体作りをしてもらう為・何より本人がやりたいポジションである・野球をやってて楽しいと思う・楽しんでもらう為"の二刀流の実施であった。結局オープン戦1試合に登板しただけで、投手・新庄剛志は公式戦では実現しなかった・・・育成方法は、おだて・褒めちぎり。前述した様に"ああ見えて実に繊細で傷つきやすいタイプ。だから監督在任中に怒ったり・けなしたりは、絶対しなかった!こういう選手は、おだてるのが一番"!加えて"(打撃以外は)天才だから、野球を舐めていた所があったから、監督在任中に新庄に全ポジションを守らせて、その各ポジションの苦労を味あわせたかったし、彼にも「器用やから出来るやろう」と言ってたし、実際出来たと思う"と!!ただ"運動神経が抜群やったから、歴代の首脳陣(コーチ)・監督が、新庄に難しい事も色々教えたがるんですよ!それは彼には合ってない、感性や勘や反応で野球をするタイプだからと。ミーティングが2時間は長すぎる、50分にしてくださいというぐらいに色々言ったら、頭に入りきらんタイプやから、新庄には難しい事は言わんかった"と(汗)1999年は、故障もありそこそこの成績を残しただけであったから、"本当は彼の素質を買ってないんやないか?本当は、起用する気が無いんやないか?"という疑念も拭えなかった(汗)ただ敬遠球をサヨナラヒットした際は、"あの目立ちたがり屋が!と言いながらも、柏原純一打撃コーチやノムさん自身も「打てるんなら、打って来てみぃ。やって構わん」と許可した"ようです(笑)翌2000年は、助っ人の不振や本人の希望やチャンスに強いという事もあり、シーズン途中から4番に定着!!選手生活のキャリアハイの.278 28本85打点を記録する!!なおこの年に延長に入ってセカンドを使い切った阪神ベンチは、新庄をセカンドの守備に就かせてるし、こなせてたという事もありましたね。本人も「一番良い成績を残せたし、意外とノムさんが、一番自分と合う監督やった」と回顧してます。ノムさん自身も"当時の阪神には、新庄を一人前にするのがチーム強化の大きな1つと考えていた"が、"一人前にした途端に、メジャーに行かれるとは、予想外"でしたでしょうなぁ(困)
 高額オファーの阪神や横浜を蹴って、最安値のメジャーへ2001年に移籍!当時は、無謀と言われた。ただ彼の凄い所は、ブレなかったというかメジャーに行ってもあまり日本時代と成績が、変わらなかった所やわ(笑)ただそれも出場機会をある程度得られた1年目のみでしたが(汗)メッツ時代は守備と足とチャンスの強さで活躍出来たが、ジャイアンツではほとんど守備固めや代走要員・・・ただ日本人初の4番に座ったり、日本人初のワールドシリーズに出場するなど、何か持ってましたね!ただ出場機会を失ってた為、日本復帰を決意(汗)ヤクルトを希望していたらしいけど、"一番早く最初にオファーが来た誠意に感銘・恩義を感じ"、2004年に日本ハムに入団!登録名を"SHINJO"に。2番打者構想も、殆ど実現せんかったんやないかな(汗)?やはりチャンスに強いから、6番辺りが多かった気がする(たまに1番)。同年は球界再編問題があり、陰鬱とした雰囲気が球界・特にパ・リーグにあったが、結果も出ていた事もありファン投票でオールスターに選出!球宴第2戦では1番打者として出場し、ホームラン予告の後にセーフティーバントや球宴史上初のホームスチールを敢行!!MVP狙いも、狙い通りにゲット!!オールスター終了後も、プロ野球選手会に入ってなかった事もあり、自費でのカエルの被り物や他の選手も共同でゴレンジャーの格好で試合前ノックを受けたりと、パ・リーグを失くしてはならん!と意思表示を示したのは、賛同を得られた(燃)同じ日プレーオフ進出争いを繰り広げる中での試合では、9回裏には二死満塁の場面で、満塁ホームランを放ったが、一塁走者の田中幸雄と歓喜のあまりに新庄を二塁の手前で迎え、二人は抱き合ってその場で一回転。この動作により新庄は前位の走者を追い越したことになりアウト(後述)となった。しかし安全進塁権のある三塁走者が本塁へ到達したのでサヨナラ勝利は成立した(先行走者の進塁権は確保されるが、本件は記録上本塁打とはならないため、決勝点の得点時において試合終了となる。)。追い越し行為よりもサヨナラゲームが優先・成立しているため、記録の上でこの回の攻撃における第3アウトは記録されていなく、新庄の打撃記録は、追い越しによりサヨナラ本塁打ではなくなったので、公認野球規則9.06(f)「打者には勝ち越し点をあげた走者がその安打で進んだ塁と同じ数だけの塁打しか記録されない」に基づきシングルヒット(単打)となった。というオチが付くのも彼らしいですが、このケースは新庄というよりも抱きついて来たコユキに非があった(どちらかというと来ちゃダメと新庄は、止めている仕草をしていた)と本人も試合終了後に新庄に謝罪している(苦笑)ヒーローインタビューでは「今日のヒーローは僕じゃありません、みんなです!」と発言、ほんまにファン想いですなぁ!同年は、24本79打点の好成績を残す。同僚の奈良原浩が、"彼は正直才能だけでプレーしてると思ってた、でもある日球場に行ったら、午前中から室内練習場でピッチングマシーン相手に打ち込み練習をしていたから、見えない所で努力してんだなと思いました"と証言している。2年後も前述したパフォーマンスに加えてハーレーや車で試合前に札幌ドームに登場するなどをしていた。シーズン序盤での引退宣言で多方面から批判を浴びるも、効果があったのか小笠原道大、フェルナンド・セギノール、田中賢介、森本稀哲、ダルビッシュ有、岡島秀樹、武田久、マイケル・中村らの台頭もあり、下馬評をひっくり返す札幌移転後初のリーグ優勝・日本一を果たし、有終の美を飾る!!トレイ・ヒルマン(日本ハム)監督よりも先に胴上げされる(笑)!引退理由は、足の衰え(それでもまだ動けてる方やったけど、本人の中では本調子ではなく不本意やったんでしょう、あと長嶋茂雄に通ずるものがあり、良い状態で引退したかったんでしょう)やったそうやわ。一昨年のトライアウトで現役復帰を画策するも、オファーは無く(独立リーグからは、あったものの)。日本だけの成績を見たら(1309安打)、やや平凡に見えるけど、メジャーの成績を入れたら、通算1500安打を越えてるもんな(1524安打)、やっぱり並やないし凄いわ!ホームランも、2本損してる訳やし・・・1本目は、ハマスタで阪神応援団に旗で叩き落とされ(それも大魔神から打った貴重なホームランを・・・)、2本目は前述した通り。これで多少は盛ってるやろうけど、"試合後に合コンに行きたいときは、わざと手を抜いてプレーしていた"とか・・・根は真面目やろうけど、さすがに全試合入魂ではなかったか、でもそこをちゃんとしてたら、もっと成績が残ったんでは!?とも思います・・・「ジーパンが履けなくなるから(似合わなくなるから)」といったエピソードの真相は、「走る時の足の回転スピードが遅くなるのではないかと考えていたから」という理由やったらしいけど、下半身が太りにくい体質やと判ったから、鍛えるようになったらしいけど(汗)
 ともあれ、暴れる・球界を変えていくつもりらしいから、コロナがあって制限がある(僕でコロナがなくなるどころか、広がる一方や)けど、まだ不安のある野球、パ・リーグを活性化して行ってください!
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