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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#83-卒業記念写真撮影

2025-05-29 17:09:49 | 日記

   11月中旬、全学3年生(08級)の卒業アルバム用の集合写真の撮影会があった。中国では学年末は6月であり、経貿学院でも卒業証書授与式は6月だと聞いていた。つまり卒業写真は半年以上も前に撮るのだ。日本語科でもそうだったが、これから先3年生は実習生としてあるいは4年制大学進学の準備のため授業には出て来なくなるので、多くの学生が集合できるのはこのタイミングなのだろうと思った。
   日本語科では日本研修中の学生を除いてみんなが集合した。外教(外国人教師)の我々を含めて教師たちも勢揃いをした。 服装は自由でみんな普段着である。ただし、私は紋付きの着流しで参加。他の学部・学科の学生たちの目を引いたのか、「一緒に写真を」とリクエストされ面識のない学生たちとも写真に納まった。 
   後から振り返って思うに、この日を境に3年生たちは一気に卒業モードになり、授業出席者が少なくなって来た。

                 

 
 日本語科教師勢揃い   学生との記念写真     

  
他の学部生と写真に納まる/英語科のケント先生

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 [日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#82-ラストスパートでうどん&スキヤキ・パーティー

2025-05-27 16:58:11 | 日記

     宿舎で学生たちとの食事風景は日常的になっていたので再々掲載して来たが、グループを成さない者等まだ私の部屋で一緒に食事をしたことがない3年生も残っていた。そこで滞在期間も残りが少なくなった10月から11月にかけて、それらの学生を指名して部屋に来てもらうことにした。
   復習になるが、食事は学生が1人1品食堂から買って持ち寄り、私が煮込みうどんを作り、冷凍水餃子を茹でる。あと缶ビールとソフトドリンク(時にはワイン)を用意する。こうして研修生や実習生になって授業には来ていない学生を除き、3年生全員に私の手作りの「烏冬面(うどん)」を食べてもらうことが出来た。普段女子学生はお酒を遠慮しているが、お酒がイケる子もいると聞いたので、オウ・ショウヒにそういう子に呼びかけをしてもらって女子だけの飲み会を開いたこともあった。
                
                       
    

    教師仲間もお呼びしたかったが、「うどん」というわけにもいかないので「スキヤキ・パーティー」ということにした。家で私が作ったこともないのだが、これなら見よう見まねで出来る気がしたのだ。       先に牛肉を焼いてそれから具材を入れていく関西型ではなく、割り下に牛肉や具材を入れて煮込む方なら簡単である。材料はほとんどJASCOに揃っていた。牛肉、木綿豆腐、長ネギ、生シイタケ、しらたき、エノキ茸、春菊、締めのうどん・・・。  割り下は日本製の「だし酱油」をベースに微調整。
   テーブルや鍋の大きさなどから一堂には無理なので、日本語の教師以外でお世話になった方々を含め3回に分けて各3~4名来ていただくことにした。 
   各回、材料を買って来て適当な大きさに切って、美味しそうに器に盛って置く。電磁調理器の上に鍋を据え、予めすぐ食べられる分量だけ材料を入れておき、部屋に見えた時にはいい香りがしているという段取りにした。ここで「おおっ!」という顔をしてもらえばしめたものだ。初めてにしてはまず上々の出来だった。
   日本のようなスキヤキ用の霜降り肉などはないし、具材なども日本に比べてメチャメチャ安く、スキヤキ代は1回(4人)当り1500~1600円だったと記憶している。もっと早く気が付いていればよかったと思った次第である。

     ←この日は、左からチョウ先生、バオ先生、右端はソン事務主任

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#81-日本の模倣文化? 記念のプリクラ 

2025-05-25 16:49:32 | 日記

   中国では日本のマンガ(中国語でも漫画という)やアニメ(中国語では動漫)が大人気であることは既に紹介済みである。カラオケもすっかり人気娯楽に定着している。これらのことは中国に行ったことがなくても多くの人が知っているだろう。宿舎のテレビをつけると、言葉は分からないながら明らかに日本での人気番組の「新婚さんいらっしゃい」や「風雲たけし城」、「プロポーズ大作戦」などをパクった番組が放映されていた。よく中国のテレビでは日中戦争時代の「抗日戦線」ドラマのオンパレードだと言われるが、一方ではこんな面もあったのだ。
  
    ある時、女子学生が彼氏の写真を見せてくれた。それは日本でいう「プリクラ」であった。それまで知らなかったのだが、「大貼(ダーティエ)」といって日本からプリクラが導入されたようだ。私がしょっちゅう買い物に行っていたJASCOの建物内にそういう店があり、私の滞在期間も残り少なくなってから記念として3年生とその店に入って大貼を撮った。(下の写真)
   それらを日本の模倣文化と呼んでいいものかどうか分からない。けれど中国の街にもお馴染みになっている「吉野家」「味千ラーメン」や「ユニクロ」などは日本企業からの海外進出であって、それらとは性質が異なるだろう。

    写真左は6コマ撮りのものを1コマずつデータ・ファイルにて送ってくれたもの。データは複製されないよう左右が逆転させてある。面白いもので文字が左右逆になっているものの、意外と顔の方は左右の違いの見分けがつかない。写真右は9コマのプリントをこのブログに載せるためデジカメで写したもの。 
       

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#80-外派労務社といくさん

2025-05-22 17:44:41 | 日記

    研修生として日本に行きたいという学生のため、私は独自のチャンネルを開拓してその機会を広げるべく模索していた。その一つが以前取り上げた金江労務社であった。同社にはケイ・ショウロとヨウ・ハイジエの2人を研修希望者にエントリーしていたが、まだ実績が豊富ではなく、招請が来ている研修生募集案件に適当なものがなかなか無かった。
 
   一方、一時中国語の家庭教師をお願いしたハク・シュウエイさんと話をする中で、彼女は叔父が社長をしている会社の世話で研修生になったと聞いた。山東省外派労務社という人材派遣の会社で、早速その叔父であるソン社長の所に連れて行ってもらった。その時に応対し通訳をしてくれたのが女性のオウ部長であった。実にきれいな日本語を話し、上司(社長)に対する物腰もしっかりしていて聡明なキャリアウーマンという感じだった。もらった会社案内のパンフレットやCDによるとかなり研修生派遣の実績があるようだった。

    以後会社を訪ねてご馳走になったり、社長と同行する日本出張の旅程作成を頼まれたりしてオウ部長とよく話を交わすようになった。それによるとオウさんは大学4年の後期に半年だけ日本語を学び、その後3年間愛知県の会社で研修したという。日本では「いくちゃん」と呼ばれていたというので私は以降「いくさん」と呼ばせてもらうことにした。前述したようにきれいな日本語だったが、帰国後は日本人と生きた会話をしていないので日本語が下手になったと本人は言う。
    ある日のこと、歳は27でまだ結婚はしたくないのだが、24歳の妹の結婚の妨げになるので自分が先に結婚することにしたとの話があり、結婚式に招かれることになった。 結婚式では他の来客とは別の、ソン社長以下会社の幹部の皆さんと一緒の部屋(個室)であり、祝宴を見ることもなく「乾杯!乾杯!」の祝杯を上げた。式終了後にやっと新郎新婦に祝辞を言い、新婦のいくさんと記念のツーショットの写真に納まった。
  
   外派労務社に対して私が滞在中に学生を紹介して日本研修の申請手続きをしたのは2人だけだったが、私の帰国後08級(当時2年生)・09級(同1年生)合わせて5人が外派労務社の世話で研修にやって来た。いずれも私のお気に入りの学生で、経貿学院での交流の続きに力を貸してもらう形になった。
   その後、一昨年7月にいくさんが出張で日本に来た際には宿泊の予約や東京見物などのお世話をさせてもらい、さらにその2ケ月後に私が中国を訪ねた時は濰坊市でご馳走になるなどした。 

  
結婚式では 外派社幹部の皆さんと/新婦とツーショット/来日時2日間東京を案内する   

 

 

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#79-大学の厚い配慮に感謝

2025-05-20 16:00:54 | 日記

    前号では三男の”魯の国”(山東省)旅行に大学の業務出張扱いでトー先生が同行してくれたことを書いた。尖閣諸島問題で中国国内に反日運動が起きているさ中のことだったので、私と三男の日本人2人で旅行するのは危険という大学の判断と配慮によるものだった。私の全くの私的なことであったがこの配慮には深く感謝した。
   すでに話題に取り上げて来たが、大学の配慮はこれにとどまらない。濰坊から高速で2時間かかる青島空港までは常に車での送迎。私が赴任の時に出迎えていただいたのは教師を迎える側の礼儀の範囲であろうから特筆するに値しないが、私的な用件でも全て同空港への送迎をしていただいた。しかも通訳として学生を同乗させ、同乗の学生は私からの指名も受け入れてくれた。冬休みと夏休みに一時帰国したことは私用であったがそれらの時の空港往復や家内と長男が遊びに来た時もそして今回三男がやって来た時もそうであった。
  
    話変わって、応用外語学部では日・米・韓の外人教師を招いての食事会がよくあった。新学年を迎えて、あるいは何かの祝日、教師の誕生祝いも開かれた。毎度美味しいご馳走が堪能できたが、初めての食事会の時には私の”必需品”ビールが常温だったのに面食らった。私は遠慮なく日本人はビールを冷やして飲むことを伝えた。中国ではビールを常温で飲むのが普通である。その時分冷めたいビールを飲むこともなくはなかったが、その時は「ビンダ(冷たいのを)」と言わなくてはならない。学校の食事会ではその習慣がなかった。私の前任者が女性であったことも理由にはなっていそうだ。急遽氷を持って来てくれたので、ビアグラスに入れて冷やしたのだが、何となく甘い。後で分かったのだが氷には(サービスとして?)砂糖が入っているようだ。全く想像外のことに出くわした。その後は冷えたビールも用意してくれたが、逆に私は中国の白酒を主体にするようになった。
   第三ステージの始まりとなる新学年の食事会では学部長から「また続けていただいてありがとうございます。学生たちが喜んでいると聞いています」(バオ先生の通訳による)と名指しで挨拶を受けた。3年後に旅行で経貿学院に遊びに寄った時も、晩の食事が用意され、学部長が公務の合間を縫って挨拶にみえた。丁重な扱いに頭が下がったが、私は中国語で話せないことにもどかしい思いをした。
   
     
 写真左:家内と長男を空港出迎えに同乗したタケシ君(左から2人目)と一緒に食事をする  中:三男を出迎えに青島空港にてケイさん&ヨウさんと  右:モリキさん(左から4人目)の誕生祝いの外人教師食事会

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