フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

寺院の広告(その2:深大寺)/年賀状投函で思い色々

2021-12-26 09:33:13 | 日記

1週間前に新聞と折り込みチラシで寺院の初詣の広告を見て「今どきは寺院も広告を打つ時代なのか」と驚いて記事にしたが、今朝も購読紙(朝日)に深大寺の全面広告が載った。先週の西新井大師は私の少年期にその縁日を何よりも楽しみしていた思い出深いお寺だが、今日の深大寺は今住んでいる三鷹市民には身近で親しみのある寺社であり、正月三が日は山門から100m以上の初詣客の列ができる。
建立は奈良時代の733年という古刹、名刹である。安置されている白鳳時代に造られた釈迦如来像は数年前に国宝に指定され、それまでは無料公開であったが現在は心ばかりの”御奉納”をして拝観する。寺の名に由来する名物「深大寺そば」は参道界隈に二十数店で暖簾を掲げており、味などは一様ではない。
すぐ近くに神代植物園があって私は季節の花を観に年中行っているので、深大寺は我が家の庭とまで言わないが、大変身近な寺院なのである。

なんとか年賀状を投函した。つい先日も書いたが、肉親等の訃報に交じり今年の喪中はがきでは長年賀状を交換している同級生本人や連れ合いの方の訃報に触れて心中複雑なものがあった。

大学の同級生では2人の訃報。20人のクラス中の2人である。1人は闘病中にあり、恒例化していた井の頭公園での花見の集まりを今年は見送っていたが、薬石効功なく鬼籍に入ってしまった。2月に逝ったもう1人は療養の床にあったことを彼の高校時代の同級から後になって聞いた。亡くなる少し前に届いた年賀状がいつもとは変わったものだったので、そういうことだったのかと思った。
大学も高校もクラス名簿から既に2割を越え3割ほどの名前が消えており、身につまされる思いがする。

そのほか、60年近く年賀のやり取りをしていた小学校時代からの友人の訃報もあった。夫婦交えて食事をしたことがあり、妻君から涙の出るような報せをいただいた。
小学校時代の友人との賀状交換としては残り1名になった。その彼とは家が近くて母親同士も親しく、一家が引っ越し後も泊りに行くほど仲が良かった。その後学校が一緒のことはなかったが、縁が繋がっている。

中学校時代の友人との賀状交換は現在2名。もう60年にもなる。1人は男子、もう1人が女性で、2人とも1年生の時に同じクラスだったが、その時3人はそれぞれ特に仲良かったわけではない。彼の方とは同じ高校、大学に進学し、クラスや学部は全く別であったが、互いにリスペクトしていて今日までの繋がりになっている。
女性の方は2年生の時も同じクラスになってクラス委員を一緒に務めた。担任が母との面談で「理想の二人」と言ったほどの仲は、3年のクラス分け後もそのまま続き、同学年の間では評判になっていた。彼女は美形であったが、同年代の異性観とは異なっていて、我々2人は大っぴらに廊下や図書室で長話をし、彼女の家に上げてもらったこともある。大学卒業後はエンジニアの道を進み、よく海外旅行などをしていたが、独身を貫きいまだに賀状交換が続いているという次第なのである。

あと1週間足らずで年賀状が届く。皆さんの無事・健勝の便りを寿ぎたい。

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