耽美者ドメスティック!

「生きること? んなこた下僕に任せておけ」と言ってみたい、貧乏耽美主義者の日々茫々録。

耽美主義者の花に嵐の喩えもある…

2008-03-31 21:07:59 | 日々茫々録
桜が満開に咲ききると、待っていたように冷たい雨が打ちつける、季節の巡り。
そんな週明け。
朝の通勤ウォーキン、小豆沢のうねうねした小道を傘をさして歩く。鴉も寒そうである。鴉と言えばだが、去年の五月頃やはりこの沢の道を歩いていた朝まだき、飛来した二羽の鴉に思い切り後ろ頭を(交互に、二度に亘って)蹴りつけられたことがあり、まったくフツーに歩いていただけであったので、鴉にまでわがヴァルネラルビリティは有効なのかと、自らの苛められっ子性に思いを馳せ思わずダークになってしまった耽美者なんであった。古川日出男の『サウンドトラック』を読んで以来、この存在に親和の気持ちすら抱いていたのに、このよーなふやけた愛は報われないのであろーかと哀しんだのである。しかし、本日配布の“さ*たま市便り”なんぞ読んでいたらば、「繁殖期の鴉の攻撃に気をつけましょう」なる告知があって、どーもコレは単に繁殖期に鴉の家の近くを無防備に通ったから、というだけのことで耽美者が標準装備している攻撃誘発性とは全く関係ナッスィングらしい。自然界の理を知らずして自らの感情を語るなという話ですね、ははは。お馬鹿さんな耽美者もひとつ学びました。

ところで、週明けの昼休みには会社で読むことにしている読売新聞の週末からのぶんを一気に読む。日曜日の紙面には書評欄があるので、まー仕事柄そこのところを重点的に読む(出版広告もチェックする)。読売の面白いところは、朝日なんかだと別カテゴリになっているコミックの書評が、書評欄に普通に取り上げられているところである。で、そんな書評。益田ミリの『結婚しなくていいですか。』(幻冬舎)…まあちょっとらしくなく(て、どういうのがらしいのか分からんが)昼休みのデスクでじーんとしてしまった。買ってしまいそう(書評のトラップに嵌っている)…。
うん、そうだな。そうだよねえ。なるべく夾雑物なく、加齢してゆきたいもんだけれど、と当年44になった耽美者も思う。今年35の同僚なんかはもっとクるだろう。抜けたかな、と思ったんだけれどちょっと春鬱の名残を引き摺る物憂い雨の週明けなのだった…。短いし、いい文章だと思うので全文引用。

地道な大人で、女の子で 3月30日付 読売新聞書評欄 書評:梯久美子(ノンフィクション作家)

 少し前、若い女性歌手が「三十五歳を過ぎたら羊水が腐る」と発言して非難された。世の女性たちが怒ったのは、彼女の無知に対してではなく、「腐る」という表現に、歳をとると女は汚くなる、という若さゆえの傲慢(ごうまん)を感じとったからではないか。少なくとも私はそうだった。
 この本の主人公・すーちゃんは三十五歳独身。カフェの店長で、一人暮らしだ。仕事は気に入っているし、地味だが楽しく生きている。そんな彼女がカフェの新メニューを試作しながら考える。おばあさんになっても外でおいしいものを食べたい。でもおしゃれなレストランは入りづらそう。キレイな格好していけば大丈夫かな。
 そして、ふと疑問に思うのだ。どうして、特別キレイにして行かなければと思うんだろう。<歳をとることは汚くなること?/歳をとると人は不潔になるの?/コツコツ生きておばあさんになって/そしたら街には自分を歓迎してくれるレストランもカフェもないのなら>。すーちゃんはため息をつく。そんなの淋(さみ)しい、と。
 三十歳以上の女性なら誰もが思い当たる、ささやかだが胸にしみるエピソードで構成されたマンガである。すーちゃんは地道に暮らすちゃんとした大人だけれど、心は女の子だ。今どきの独身女性は、女の子のまま三十代になり四十代になる。一人で老いる不安を抱きつつ、前向きに生きている、もう若くない女の子たち。
 この本を電車の中で読んでいたら、涙が出て困った。花粉症のふりをしてティッシュを取り出しながら、ふと思った。あの女性歌手は、傲慢なのではなく、ただ怖かったのではないか。芸能人もOLも、若くても中年でも、女の子はみんな怖いのだ。歳をとって身体が衰え、醜くなることが。孤独に老いるかもしれないことが。
 でもきっと大丈夫。不安は人にいろんなことを考えさせる。その分、賢く優しくなると信じよう。すーちゃんは言っている。<たくさん考えて/たくさん考えたおばあさんになるのだ>


結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日
益田 ミリ
幻冬舎

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ところで、昨夜のRと耽美者のカンヴァセーション・ピースというには余りにアホな会話。
「最近オシッコの前に目が覚めるんだよ、凄くない?」(R自慢げ)
「…はあ」
「間に合ってトイレに行けちゃうのさ、もう余裕」
「…キミいくつだ」
オネショしない自慢をカマす高校一年(留年)…。

とりあえず本人は自らの不始末をストレスだの精神疾患的(?)要因があるからだのとはでんでん思っていないらしい。うーん、キミは幸せなタイプかも、かも…。

ところで本日のニュース、作家の平野啓一郎とモデルの春香が結婚した、とゆうのにちょっと驚く。ええと、耽美者このクールビューティがスキなのだ…羨ましいぞ(平野啓一郎が)。そして、ちょっと釣り合いが良いよーな感じがする。少なくとも、むかあしツジヒトナリがやっと会えましたねかなんかアホなことを口走って誑かして結婚に持ち込んだナカヤマミホみたく可哀想な感じはしない(何か酷いコト口走ってますかしら?)。とゆうアップトゥデイトでコンテンポラリーなニュースも珠にライトしないとネ(ルー語耽美者変換)。

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ゴス展(横浜美術館)/3月23日残響エントリ

2008-03-30 19:47:29 | 漂流的視聴録
“Younger than Yesterday” Ricky Swallow (ゴス展)

またしても残響ディレィ的(日本語やや崩壊中)エントリ。記述内時間3月23日ホリデー、何だか本日も爽やかに目覚めたらしきヴァージョン・アップ中のR、本日一発目の一言。「ロールケーキ全部食べちゃったんだ?」…ばれてーら…週日無言で買い帰って冷蔵庫に放置してあった2分の一サイズのロールケーキ(スーパーのスィーツ<笑>売り場でよく売ってるやつだ)を、昨夜丑三つ時に悪心を起こして食っちまったんである、ええ全部。「食べましたとも」(ひらきなおり)「あー…そーなんだー…いつ出てくるかと思って敢えて触れなかったのに…」朝から何ともいえない憐憫と軽蔑が綯い混ざったよーな16歳男子の眼差しに責められる耽美者である…悪かったよああ悪かったとも。ことほど左様に最近何かと分が悪い母であるが、そーやって母のデザイアの暴走をいちいち検証するよーな言葉を投げるな息子よ。大人になれ…って子供だしな…まあ、バツが悪い耽美者なんであった。

さて、かねて観覧しようと思っていた横浜美術館の「ゴス展」(3/26終了…残響エントリ、何の役にも立ちません)へ出掛ける。
野阿梓の復刊なった『兇天使』を再読しながらアガンベンの『スタンツェ』を併読していたその週末、自分の中で響きあうものがあるかなと思ったんである(…しかしこれはあまりにも耽美者が穿ちすぎで、「ゴス展」自体はそのタイトルから類推されるように、非常にファニーな感があった…)。耽美者はこのだらだらした記述からお分かりと思うが要約の才がない、のでちょっと自信がないのだがそこらへん記述してみる。『兇天使』の前半で、検察天使ルシフェルとイエズス会士にして古生物学者であるティヤール・ド・シャルダン(神の恩寵による進化を提唱、いわゆる人類進化の到達点としてのオメガ・ポイントのヴィジョンを提示)が激しく喋喋する場面、天使がいう。「にんげんよ、死を怖れよ」文化すなわち<にんげんの造ったもの>とは死から逃走するための無限連鎖的な装置、つまり生殖と文化が人間を個ではなく連鎖する類として永続するための桎梏となる。現前、この生そのもの、物質の不安と恍惚を知れと、コレは人ならぬ天使ならではの酷薄で言い放つんである。『スタンツェ』で論考されるのは中世の修道士における「メランコリー」(死にいたる病)を緒とする西洋文明における表象の変遷だ。いずれも扱われているのは神を前にした後退り、死を前にした逃走としての<文化>イメージである。

「神聖なる善からの後退り」の感覚、つまり精神の豊かな可能性を前にした人間のこうした逃走の感覚は、そこに根本的な両義性を内包している。(中略)怠惰な者が神聖なる目的から身を引くということ、それは実際、彼がこの神聖なる目的を忘れていられるとか、望まないでいられるとかいうことを意味するのではない。神学的な用語を使うなら、彼に欠けているのは救済ではなく、救済へと導かれる「道(ヴィア)」である。心理学の用語を使うなら、怠惰な者の後退りとは、欲望の喪失を暴露しているのではなく、達成できないにもかかわらず、むしろその対象になろうとしているということなのである。対象を欲する意志の倒錯こそが、彼のものである。が、対象へと導く道は、彼のもとにはない。自己の欲望への道を、彼は欲すると同時に遮断しているのである。
『スタンツェ』ジョルジョ・アガンベン著/岡田温司 ちくま学芸文庫(青字部分、傍点)

到達されえないものを対象とする欲望の痙攣的な持続。もっとわかりやすーい、俗な言い方も記述されている。曰く「怠惰は何でも欲しがるが、努力しない」…ああ身も蓋もない…。
で、ぐるりと戻るけれど「ゴス展」である。
耽美者は、ゴスというのは逃走の身振りの表象なんだろうなと思ってきた。死に魅入られながらの逃走、自傷しながらの肉体への甘やかし。
絶対からのファニーな逃走。
上記で、ごちゃごちゃと耽美者が引用したようなことを無意識に(あまり言語化されずに)幼い、稚いやり方で表現している。しかし、多分その表層のキッチュな可愛らしさに幻惑されて、企画展としてはいささかピンボケだったかなと思われる。
(来場したゴスロリ・ファッションのお嬢さん方を対象にファッションコンペなんてやっていたし…苦笑)
耽美者が見たかった束芋の巨大な映像インスタレーション、蠢く手(指)が変容して永劫につながり、ぐるぐる輪舞する“ギにょる”や、リッキー・スワローの骨の彫塑など、心惹かれるものはあって、楽しく観覧はしたのだが。
ピュ~ぴる、吉永マサユキの写真やメキシコの作家のコラージュなどは、あまりにいとけなく、幼く、対象が無垢な剥かれ方をしていて、いわば“児戯にひとしい”。無論、ゴスとはすなわち児戯なんだけれど。
ボディピアスや性転換、身体改変の隣に可愛らしいお隣さんとしてファニーな死が近接している。その認識のされようが、若い。死に物理的に近づいた肉体ではない、ぴちぴちしてかあいらしいのだな。悦楽より、快楽寄り(さー耽美者ええかげんなこと記述しだしております…そろそろ遁走だ)。ま、減衰しつつある四十代の肉体をひきずった耽美者にはこのお馬鹿さん加減が眩しかったのだ(苦笑)。

自分の持続的な・痙攣的な欲望について、考える齢になったのだな(?)。死期が近いのでしょうかしら(笑)。

それやこれで再び遺恨のロールケーキ(笑)を購い帰る。Rも本日は受験期の塾の友人たちと出かけたらしい…秋葉原、そしてメイド喫茶へ行ったのだそう。
「オムライスにケチャップでガンダム描いてもらった?」
「…オムライスは注文してない…(疲労困憊中)」
「何頼んだの?」
「ミルクティ…まぜまぜしますーってステアして貰った…」
「おおー…」
「あーゆーとこは乗りよくいかないとね」
なるほど。…しかし。
母がゴス展、子はメイド喫茶ってどうなの?

やれやれ。

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古川日出男朗読ギグ(渋谷O-NEST 1/18)・映像公開

2008-03-30 01:00:08 | 漂流的視聴録
さて現前のことから。3月29日沙汰デー(この変換、ブログ更新出来るのが土曜日くらいなので“沙汰のある日”…なんちゃって)。朝、例によってヴァージョン・アップ中のRとともに爽やかに起き出し、花見日和とはいえオウチに籠って快調にルーチン・ワーク。洗濯、ソージときて、流し台の下に詰め込んだショッピング・バッグ(ビニール袋)の類を多少整理しようかとごそごそしていたらば、ワイン用の紙バッグの中から阪急デパートの未開封の包みが出てきた…かあいらしいニットで編んだ袋入りのチョコレート(唐辛子入り)。ワインだけ取り出して、そのまま仕舞っちまったものらしい。誰に貰ったものなのかも朦朧なままに、本日美味しくいただきました。Yちゃんだと思うのだが如何ざんしょ? ご申告のほど! 何も出ませんが(ごめんなさい)有難く頂戴した次第でございます。…いつのだったのやら…。


さて昼からは通院し続けている至近の歯医者である。年末から、四本めの治療である…どんだけやねん…。ともあれ仕様がないのでまたまた無抵抗にごりごり削られる。この歯医者、耽美者にしては珍しく嫌がらず通い続けているのだが、いつ行っても怖いくらい清潔な診察室である。ぴかぴかなんである。大きなテディ・ベアのよーな温厚な若い先生がひとりでくるくる治療していて、耽美者はわりにこの先生が好きである。
歯医者とその患者てのは正しくドブ浚いと浚われるドブの関係なんであって、歯科医というのはホントに重労働であるなと感に堪えない。特に耽美者のよーなメンテナンスしてないドブは、ホントにイヤだろうなあと忖度する(耽美者は歯磨きが苦手でヘタクソなので、いつもでんでん磨けてない)。しかし浚われるドブは内壁を削られながらエロティックな歓びを感じている、のかもしれない…(何だかな)。

さて、残響ディレィなエントリ。今年明けてすぐに出かけたイベント、キアズマの古川日出男(トラック/鈴木康文・虹釜太郎)朗読ギグの映像がフルで公開されている。この疾走感、ホントに、カッコイイ。下からGO!ですよ。ロケンロー!

『マザー、ロックンロール、ファーザー』(古川日出男/鈴木康文/虹釜太郎)

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耽美主義者の日々ディレィ(?)或いはシンコペーション

2008-03-29 23:13:21 | 日々茫々録
 
3月27日、赤羽台の桜並木。社会保険病院(都がいかにも無駄金使いました、てな感じのゴージャスな箱である…)に隣接した公園の柳の緑と桜。漸くの花、花、そして緑。耽美者にとっての鬱の季節がやってくる。ざっくり言ってしまえば情緒不安定になるだけの話、血が泡立つように死にたい気持ちが湧き上がる、躁なのか鬱なのかも弁別しがたい感情に翻弄される季節。花が終われば鎮まって、また鼻を抓んで生きるだけの自分になるんだけれど。

生まれた時から日蝕だった
鼻を抓んで生きてきたんだ

とは中井英夫の詩だったか(表記はうろ覚え、失礼)。そんな裏っかえしの選民()意識をすら、持ちえない耽美者ではある…。

さてそんな春鬱真っ盛り(日本語としてどうなのよ自分)の耽美者はさておき、愚息R(枕詞・留年確定)の生活リズムは何とか整いつつあり、今週からアルバイト(スマイル0円のファストフード店)を再開した。何せ学費を少しでも稼いで貰わねばたちゆかないのが我ら母子家庭なんである。てな訳で九時前に帰る耽美者よりも遅くぐだぐだに疲労してR帰宅し、すぐ寝てしまう。とはいえ週二回っくらいの話だ、労働せよ青少年。しかし勉学もな。
そんなRに去年ポイント目当てで強制登録(?)させられた携帯サイト“モ*ゲータウン”(母にそゆことさせるのがRのよく分からんところである…脇が甘いのかしらん)とやらに初めて入ってみた(暇だったのだ)。Rのお友達(?)として入っている訳なので、Rが公開している日記なぞが読める(だから脇が甘いのでわ…)。先日の、留年が確定したあたりで自らの無力と寄る辺なさ、存在意義のありやなしやについて何行もぐるぐるしている記述があり、耽美者のフラクタルを見るようで苦い笑いが込みあげる。コメント欄に「難しくてよく分からんがRの存在は俺にとって意味がアリゲーター」てなお友達のらしき書き込みがあり、母としては心温まる思いがする。耽美者には、そのよーな交友関係はなかったなあ。やはりキミは母よりはほんのちょっと開かれている感じがする。

現前時間3月29日、J-WAVEのビジネス系の番組で聴いてちょっといいなと思ったので記述。新入社員心得。
早寝・早起き・腹八分。
耽美者の四十路メンテナンス(?)にも緩用したいもの。

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耽美主義者のまたまた日々是修行

2008-03-23 01:17:32 | 日々茫々録
さて記述内時間3月22日、耽美者のぬるい修行の日々は続く。
本日は留年確定のRの所属クラスと担任が決まったということで、面談その二、なのである。その前に教科書(昨年とは違うものを使う教科の分を買わなくてはならない)販売があるので、Rを先に行かせることにして寝腐れていると、爽やかに目覚めたらしいバージョン2,0(?)のRが何故か朝っぱらから冷蔵庫を漁って豚肉など焼いて(!)食べている…(その間にも解凍はどーやるんだだのフライパンはどこだだのウルサイ)…こちとら寝ぼけて記憶朦朧だが、Rがっつり食べて調理具食器跡形もなく(?)片付け、出て行ったらしい。残された耽美者はホントーのこととも思えずしばし唖然。

打って変って本格的に春めく陽気(この日都心は開花宣言が出た)、母を擬態するべく(?)叔母お下がりのコンサバなレリアンのスカートなんぞ履いて出掛けるが、どーにも鬱々とする。最寄駅からガッコまでの狭苦しい一本道(西*バスの運転手と遅刻寸前の生徒が毎朝殺伐としたバトルを展開するというw)を初々しい新入生とその保護者の皆さんに混じって歩き、正門前では部員勧誘に青春を賭けるアメフト部の皆さんにでかい声で挨拶されて引き攣る。やれやれ、しかしやや「一年生の親」の気持が思い出されて参りましたよ、完璧に擬装出来る日も近いやも。
本館二階にある教員室は外階段を上ってオープンの渡り廊下に面しているので、Rを待つ間ちょっとした空中回廊気分を味わう。画像は廊下の真ん中から見上げた梢たかくにかかった鳥の巣。何だかほわほわした建材(?)で出来上がった可愛らしい球形。おお小鳥の巣! と耽美者の宿阿の病(笑)が。むさくるしいが一応男子校だ(苦笑)。エンジェールカミングアイムヒア! 天使が来た!僕はここだよ! と呟く男子はまあいないだろうけど。

さて面談、前の担任はたいへんクールな皮肉屋さんの学究肌であったが、今度の担任は大学院浪人したり新聞記者目指したりして社会科教師になったタイプの方である(前の方よりやや熱血風味が強い)。Rに言わせると結局はこのガッコへの愛憎半ばするとこが同じ、らしい。さてそんな先生にまたしても昨年度の失敗の分析と来年度への展望(苦笑)を言揚げせねばならない。Rの言うこともさすがに先週よりやや進化している。やる気なさそーな見てくれは相変わらずである…。

さて帰宅、歯医者、ソージ、センタクのルーチン。歯医者の治療、3本目をやっとこさ(医者がw…大変、大変詰めにくい歯並びらしい。型を取った完成品が出来ているのに正味一時間かかった)詰め終わるが、右上にもう一本虫歯が…あああ。どーなってるのだ己の口腔。あと二回来て下さいね~…はあい…。
ソージ終わって一日も暮れきっているが、駅前のパルコへ出掛ける。物欲小爆発なのである。紀伊国屋書店にて文庫本三冊(野阿梓の復刊も)。

兇天使 (ハヤカワ文庫 JA ノ 2-10)
野阿 梓
早川書房

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スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ (ちくま学芸文庫 ア 27-1)
ジョルジョ・アガンベン
筑摩書房

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要するに (河出文庫 や 20-2)
山形 浩生
河出書房新社

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あまりリアル書店に行かないので、久しぶりにハヤカワの文庫の棚など眺める。ネットのあちこちで感想をお見かけしたりするグ*ン・サーガの新刊を手にとってみたりする。1巻が出て(耽美者が高校生の時である…買ったのである…当時は本格ヒロイックファンタジーの出現かと大変興奮したんである)幾星霜、どこで買わなくなったか忘れてしまったが劣化劣化言われていることはなんとなく仄聞するこのシリーズ、手に取るのは10年ぶりくらい。見開きの字面を見て遠くなる。あとがきを読んで更に遠くなる。しかし目眩しつつもコレは幸福、というものなのだろうなと思う。この存在はもはや作家ではないけれど、生きて死んでゆく人間のミニマムな幸福の形に辿りついているのだろうな。他人の人生なんだけれど。
加齢てな、こういうことだな。死とだんだんに近接してゆくこの感じ。耽美者が辿りつきつつあるのも多分そこ。

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耽美主義者の月日は百代のパッセンジャーにして…

2008-03-20 14:34:16 | 日々茫々録
ルー大柴ぢゃないけれど(苦笑)。パス、パッセージ、パッセンジャー。そのように移ろうのであるな。耽美者の欲望やら執着やらは意識していないとすぐに形を喪い、どっかへいってしまう。欲望のマッスが手に取れれば! しかし現前(プレザンス)はすぐ裾翻して遁れ去るのだな…と訳分からん事を呟いているのは、春の鬱到来、ちうことである…。油を差したよーに滑らかに過ぎ去る現前よ。
影繪・魚・ナイフと日日に愛移す少年に暑き聖金曜日  塚本邦雄
愚痴なのに調子よく(愚痴だから調子よくというべきか)耽美者にあるまじき勤勉ぶり(?)で更新してきたが、週末に到りガス欠である。と書き起こしたのが春分の日とは名ばかりの氷雨のホリデー、鬱々と寝腐れ、RED TAPE (THE YELLOW MONKEY のDVD)が三廻り。10年前のツァーとイギリスでのライヴ映像。BBC色(と勝手に認定)の鮮やかな赤と緑、郊外に咲く六月の薔薇、ステージに打ち伏して蹲る吉井和哉。裏返っている肉体。記述時間はそんな訳で20日木曜日。
そんな春鬱(?)の耽美者に呼応してだかなんなんだか、愚息Rは一日これはホントに寝腐れている。朝食を摂って布団に潜り、昼食を摂ってまた潜り、昏々と夜の八時まで(!)眠っていた…現実逃避極まれり。
その寝腐れている間に、Rの担任(とゆうか、前担任)から新しい担任が決まったとのお知らせメール。間髪入れず新しい担任からよろしくねメール。Rのガッコは卒業まで同じクラス、同じ担任なので合うか合わないかてのが大変重要なんである…今度こそ三年間で無事に行っていただきたい…てな訳で、土曜日の教科書販売に合わせ、今度は新しい担任と面談の運びとなる。やれやれ…。耽美者はちなみにガッコ(へ行くのが)が大嫌いだ…! 対外的に母の皮を被るのが生きることの修行になっちまう勢い(なんて生温いLIFEなんざんしょ)で苦手だからだ…。

とまあ愚痴を垂れて是としてみる。
画像は今年やっと認識したところの満開の白木蓮。生憎の雨催いだけれど、エレファントカシマシの宮本くんも見て育ったハズの、赤羽台団地の東京の空を背景に。

追記。
パッセンジャー、なんてどっから書こうと思ったのかということをすっかり忘却して(何だかな)手癖のままに記述していたけれど違うぞ自分!
このぐだぐだなホリデーに覗いた古川日出男公式サイトの三月前半の日記を読んでいて、この作家と同時代にいることの歓びを言いたかったのだ。眩暈のする落下速度が無限に引き延ばされる、言葉が時間感覚を擾乱することの泡立つ歓び。
私には(私にだけ限って言う)つぃったーはたぶん必要ない。現前への自分の振る舞いの120wのプレゼン。ゆるい繋がりやお喋りの囀りを楽しみ、ネットでの振る舞いを覚えることがすなわち耽美者の歓びにはならんからだ。
眺めている分にはただただ面白い、けれど。…これはわざわざ言揚げすることでもなかったかもしれない。ちょっと書きたかっただけ。
歓びのほうへ寄せて(?)いきたいもの。

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耽美主義者のそいつぁどーにもいけないかもしれない

2008-03-18 22:31:08 | 日々茫々録
浅い眠りを彷徨い、真夜中に目覚めたりするのででんでん寝た気がしない耽美者である。瞼が重く、まったくもって爽やかではない朝の目覚め。妖精さんは眠りの粉ぢゃなくて花粉を振り撒いているらしいのだな。

さて本日のお馬鹿さんフラグメンツ(?)。
目覚めれば本日より春休み(…留年決定済みの経緯から、この語も空しい…)のRが何故か爽やかに起きてパンなぞ焼こうとしている(いつもは耽美者が朝食をセッティングしてから起こすのだが、10日に一度くらいこーゆーことがある)。起きて、と書いたが限りなく怪しい。徹夜明けに1000点。
…その自堕落な生活態度が単位不足を呼んでいるのだRよ…
しかし母は平日の朝っぱらからそこらへんを追及する気力がないので華麗にスルーだ。嫌々支度していると、Rが爆弾を投下。かーさん今日会社? 春休みじゃないの?
キミ、アホだろう…!
キミが物心ついてこのかたシングルマザー(ちょっと似非)として勤労してきた母に春休みちうもんがあったことがあるか? まあしかし今更のよーに驚いてみせるのもRの母としてキャリア(?)を積んで16年、白々しいとゆうものであって、ガッコの創立記念日だろーが体育祭の代休だろーが初めてのよーな新鮮さでかーさん休みぢゃないの?と聞かれるのだ…。この高校生…世界の構造把握に難あり。繋がらないのだな、自己と他者が(まだ)。その凡てが包括されているとゆう視点もまた、持ったことはないのだろうな(まだ)。

だ・か・ら現代社会の単位を落としたのだRよ。

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義
松岡 正剛
春秋社

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せっかくこんな本も貸してみたのだがなあ…。
と、コレは本気の言い草ではないけれども。

ゆるゆる成長してくれたまへ。

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耽美主義者のそれはちょっといけないんぢゃないかな

2008-03-17 23:26:39 | 日々茫々録
春めいてまいりまして、スプリング・コートに変えてみる。とはいえ何年も新調していないいささか草臥れたラインのジャケットとコットンのコート、変わり映えしない春の出で立ち。

春はやく肉體のきず沁むとルオーの昏き繪を展くなり  塚本邦雄

てな春の曙、そのような感慨とはカンケーなく愚息Rと例によって起きる起きない二度寝したしないで揉める。本日は終業式である。Rはごく形式的にいえば一年次を終了出来なかった訳なので、出席しなくてもいいとは言われているのだが、さらっと「いや、行きますよ」なんつって宣うたものだから、耽美者はいつもの時間に起こしたのだな。したら前述のごとく起きる起きないで揉め、渋渋起き出して私服に着替えようとするもんだから、「セレモニーなんだから学ラン着なさいよ…」と声を掛けたらば「式には出ないで荷物だけ取ってくる」とかなんとか言いやがるんである。「だって行かなくていいんでしょ」…ほら出たよ…「別に出ろって言ってる訳じゃなくてあなたが出席するって云ったんでしょうが」なんで言うことの軸足がいっつのまにかスライドしてるんだYO! いつもこの男はこーだ…何事も持続しないのだ…いつの間にか言ったことが地滑り起こして別の場所に行きついているのだ。きみが、式に出席すると言ったのだ。そこをずらすと、世間はそれを嘘吐きと呼ぶのだ。イヤそこをイチイチあげつらう耽美者は“気にしい”と呼ばれるんだけどな!
…とこう、朝から胸中のつかえの行き場なくぐるぐるする耽美者なんであった…。この無言でぐるぐるしている様が怖かった(?)のかも知らん、最終的にRは学ランを着て案外素直に出て行ったんである。

さて帰宅恐怖のオヤジ状態な耽美者が例によってかへで気を取り直し帰宅してみると、洗濯物籠の堆積具合がなんとなくあやしい。…えーと…帰ってきて夕寝しておねしょしました…そうですかああそうですかさいですか。回してやるゥ(洗濯機を)!

夕食。(やる気を失ったバージョン)キーマカレー(レトルト)、ナン(冷凍)
アボガドのスライスそのまんま。

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今更視聴録・福島泰樹VS原田伸雄 ダンス/デカダン(中野テレプシコール)

2008-03-16 21:43:30 | 漂流的視聴録
さて現前時間3月2日、張り付く対象と申し上げるべきか息子R(心がオヤジの耽美者はうっかりハンケツ王子とか何とか思いついて云いそうになっちまうので自重したい…って、ダダ漏れであるな…新聞エッセイ欄的センスであることよな)が近所の図書館へ敵前逃亡を図ったので、なすこともなく暇な耽美者である…と書いたところでまたしてもナンであるが、現前時間は3月9日サンデー、穏やかな日和だったらしいが一歩も外に出ていないので(この辺は一週間前と変わらないのであった)よく分からない、とそんなホリデーである。息継ぎなしで読めたかな(苦笑)? とこの長い文脈は耽美者が金井美恵子のファンであることとは余り関係がない…と思う。垂れ流し二回転半捩り入りの悪文、ご容赦くださいアル。この日録の記述が同期される日は来るのか、どうか…すべて緑になる日まで、だな(意味不明ながら)。
と言ってる間にさらに月日はなすすべなく流れ、同期した日常から置き去りのこのエントリ…現前3月16日。息子Rの留年まで決定してしまったわい! …慨嘆。

そんな感じで相変わらずへたれな耽美者であって、ディレィかけたよーな(?)過去の残響エントリ。2月24日の日録と師匠のライヴの感想など。画像は24日朝、目覚めた耽美者の枕からの光景(よくリアル友にどこで寝てるのかつーことを聞かれるのだが、あの部屋でこのよーに寝ているのよw)で、窓の外の冬枯れの梢がゆさゆさ揺れているのがはっきり判る強風であった。
ライヴは中央線の中野なので昼夜2回のうちソワレの方にゆくことにして、その前に八王子のお友達Kちゃんとランチでもと約束していたんであるが、強風に煽られ交通機関の雲行きが怪しい。駅に着いた時点で強風と沿線火災(!)で二線が動かず、やっとこさ次の駅で乗り換えようとしたらその線もストップ。行く先々にダンジョンがあるよーな都内のレールマップを右往左往、やっとこさ八王子に辿りついたのはランチならぬオヤツの時間なんであった…。耽美者は風の日が苦手で(何かに切迫するよーな気分に根拠なくなりがちなので)、既にグロッキーなのである。
あんたは三時間かけて何しに来たんじゃと言われつつ一時間後には中野へ向かう(そんな短い逢瀬でもお話したかったんだよKちゃん!…なんてな)。
暮れきって風はますますびゅーびょー吹き荒ぶんである(花粉もな!)。

さてライヴである。…えーと…敬称略でいきます。普段は月例で吉祥寺の「曼荼羅」にて開催の短歌絶叫ライヴなのだが、今回はちょっとイレギュラー(いや、スペシャル?)な感じで、舞踏の原田伸雄とコラボレーション。ピアノ、パーカッションは永畑雅人。
テレプシコーラは耽美者はじめてだったのだが、ふるいアンダーグラウンド感のあるスタジオ。後ろの方で立ち見する。耽美者が福島泰樹の短歌絶叫ライヴに初めて行ったのは20年位前で、それから(聴くこちら側の)ブランクがあり、最近時間が合えばまた行くようになった。再び(時たま、ではあるが)通うようになって、その変わらなさに驚いている。時間が止まっているのかというとそういうことでもない。つねに観客層が代謝(?)されて若いひとが一定数いる。音も違う。
しかしそこで絶叫される言葉は変わらない。「ダンス」であれば、
ドアに背をもたせて君は鎧いおり霜月二十三日子の刻の一首をぽんと放つところから始まり、中原中也の詩「生ひ立ちの歌」「雪の宵」をサンプリングしつつ二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れの一首を叫んでおさめる。トラックは哀切な旋律をもつワルツである。このスタイルは変わることがない。
そして二十年前とまったく同じように、耽美者はざわざわしてしまう。

情念の永久運動なのかな、と思う。絶叫がスィッチとなる。格納されている風景が解凍・展開されてゆく。
ダンスのことも。原田伸雄の舞踏を見るのは初めてだ。老人がウェディングドレスを纏い、痙攣と弛緩を装う。うつくしい。叫びが同じ口の形のまま哄笑に変じ、引き攣ったまま赤ん坊の泣き声になる。その裏表のなさ、きれいはきたない、きたないはきれい。エロス・タナトスを同じ手で触れる、それは舞踏のステロ・タイプな表現なのかもしれない。身体の振れ・捩れ・攣れ・弛緩。
何もかもがぐるぐるになり(バターになってしまうのかも)、溶け出す身体表現と情念の永久運動…耽美者はこれが多分(?)スキなのだな。しかしこれによって何かが起動されるかというと、違うのかもしれない……なにかのノスタルジーに過ぎないのかもしれない。しかしノスタルジーとはなんだろう? …エロスだな。
耽美者が“ざわざわする”というのは、かつてこの絶叫を聴くことで享受した悦楽が想起されるということに過ぎないのかも。…ループしてしまった。ちょっと、棚上げする。

福島泰樹短歌絶叫
西村 多美子,福島 泰樹
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