耽美者ドメスティック!

「生きること? んなこた下僕に任せておけ」と言ってみたい、貧乏耽美主義者の日々茫々録。

耽美主義者の懺悔の値打もない

2010-04-26 07:29:47 | 日々茫々録
さらにさらに季節一巡。はい、前回日録エントリから正しく一年経過している。どういうスタイルだったんだっけ、と過去エントリなど参照するところが耽美者(てな一人称だったんでしたね、どうしたものか…)の度し難いところ。しかしあれである、海馬の衰え激しい四十路の峠を折り返した耽美者(しょうことなしにやっぱり使うこの人称…それなりに馴染んでいるらしい…)、昔の記述のあれこれにいちいち驚く。やはりメモリ容量の少ないわが脳味噌の記憶デバイスとしてのブログ、てのは自分のために必要であるなと愚考したのである。昨年から“短歌を詠むこと”をやっとこさ復活させてもみて、これまたアーカイヴとして便利なもんである、と今更気づいた(編年順にカテゴリで格納出来る…いや、当たり前なんだけれども…)こともあり、どちらかといえば格納庫として、たまに茫々と記述してもみたい。…と、いちいち言挙げせずにはいられないから色んなことを挫折する自分なんである…うっかり内省してもみる(苦笑)。

桜もとうに散り敷いてしまった。しかして今朝、起床してみれば世界は一面の雪であった……どうなっておるのだ、としれっと続けたいところだが、これは既に二週間前、4月10日の記述であって、相変わらず同期に失敗しているわが日録なんである……。東京に雪降りしよと聞くたびにこころ傷みて言うこともなし(福島泰樹)、しかしてただしい季節の廻りに雪が置かれるからひとは郷愁に裂かれるようにこころ傷むのであって、この春の不安定さは尋常ではない、よーな気がする(と、一応収束させてみる)。
春の躁鬱が輪舞してバターになるかの感情の狂騒状態、ジェットコースター的に上昇下降する気分に自分自身がついてゆけない。いつものことではあるけれど、今年は特に…更年期症状を疑う程度に…酷かった。それこそトタン屋根の上の猫のよーなもので、内省もへったくれもなし。鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い三月四月を終えて(福島泰樹)、て、つるつる出てくるので最早わたしの短歌ではないかと…いやすみません…とにかくそのように(どのように?)生活に句点を打つべく、のこの記述なんである。
さて現前(4月26日早朝)。久しく眠れず休んだ気がせず起きられず、という悪循環の軛から抜け出せず春鬱をさらに悪化させていた耽美者なのだが、本日珍しくも爽やかに午前四時に目覚めたんである。諦めずにしつこく服み続けているアミノ酸サプリメントのお陰様かしらん…なんとなく躁の匂いもするが…とにかく調子に乗って(?)そのまま起床。本日快晴、らしい。昨日の日曜をまるっと無駄に寝腐れてしまったので仕切り直したいところ。

一昨日は月例の歌会であった。これまた昨年、多分17年ぶり(18になる息子Rの馬齢をもって知る年月…)くらいに復活させてみた歌会出席である(その間存続している、というのがまた有難いところである)。
こちらも自分のためのログとして。

基本、5首連作を持ち寄って合評する。…のだが、まったくもって体を成さず、まさに形無し。
最初の1首が出来て、やっとこさ4首でっちあげ、しかしどうも最初の1首以外は手癖のままに慣性で“拵えた”感が自分でもありあり、やはりその点しっかり指摘される。
提出歌。


少女領

空より剥落しくるもの白く被布(かつぎ)して帝都はあわれ眠り給えり

贋金つくりの生を生きいむとしてナイフ砥ぎおり百日紅(ひゃくじつこう)に裏切られおる

われを拒むさみしき少年身内(みぬち)に飼いおり 花文字で彫る「わたしに触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」

生と死のアンヴィヴァレンツ 拒食の少女恥じらいの国境線(ボーダー)を曳く


漫画家の佐藤史生が今月初めに亡くなった。そのことで春鬱のままに鬱々と内省するところがあり、わたくしのなかのいわゆる“教養主義的なるもの”は正しく80年代の少女漫画によって形成されたのであるな、と思い至ったのである。そのへんが不完全に歌になった。そのうちリベンジしてみたい。


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