耽美者ドメスティック!

「生きること? んなこた下僕に任せておけ」と言ってみたい、貧乏耽美主義者の日々茫々録。

耽美主義者の黄金週間またはシシュフォスの刑罰

2010-05-04 06:50:34 | 日々茫々録
黄金週間、緑耀くホリデーはじまり…と書いて例のごとく既に4日目の5月4日未明、相変わらず同期に失敗してディレィしつつ現前より剥落するわが日録である。季節の変わり目にはいつものことではあるが、蕁麻疹と全身の火照りと孔という孔の痒み(眼球取り出して水洗いしたい)に苦しむ。ホメオスタシス(?)が巧く機能していないのかしらん、精神より先に肉体が滑落ぎみ…とまあ相変わらず大袈裟な記述ではある、赦されよ(誰に)。この、自らの肉感から湧出する情実に即した部分のみ三割増し大仰、てのは『断腸亭日乗』の顰に倣うものである、なんてな。

さて折角の連休、野望はおおいにあった。年末以来放置の窓を拭き、換気扇を外して洗うだの、衣更だのカーテンのほつれた裾を繕うだの(コレは辛うじてやった)、要するに日々のくらしのなかで否応なく毀れつつあるもののリタッチ、コレが一念発起しての野望になり果てるところが耽美者の生活者としての能力の低さを物語る。
この低き場所より言わせていただければ、生きるてなそれだけでシシュフォスの苦行である。覚めて動けば埃は舞いあがり家電に積もり、日差しに晒されて布帛類は褪色し、またほつれる(エンドレス)。この、埃だのほつれだのが視界に入るとそれだけで耽美者のしょうもなくもか弱き心は萎え、挫けるのである。この徒労感を淡々と遣り過ごしておられるかの(ように見える)世間の皆様がただ眩しい。ソージは趣味、とでも言挙げしなければ息をするのもメンドクサイ、と180度方向性を間違えたデスぺレートな心性(?)に自ら翻弄されておる訳である…と何行も費やして何を記述しているのかというと、まあその、そのような野望をほぼ放棄し去って寝腐れ、本を読み耽っていたんであるよ、てなことである。
このしょうもない野望と湧きおこる徒労感について、大人げなく息子Rに述べ立ててみる。したらば「自然の恒常性とバランス保とうとするつーのは要するにソージすることないって話だからいいんじゃね?」と屁のような理屈を捏ねてくれたので、赦されて(?)そのまま寝腐れたのであった。やれやれ。

そんな連休前半、寝腐れつつ読んだ『荷風と東京』(川本三郎)が今更ではあるが大変面白く、ついついアマゾン様(大嫌いだと言いつつ相変わらずいいようにしてやられている…)で寝ながらにして『摘録 断腸亭日乗』上下巻、さらには『「断腸亭日乗」を読む』(新藤兼人)なんぞを即日注文、落手してまたまた読み耽る。思わずこのよーな未明を迎えてしまったが、本日(辛うじて同期、の現前)お友達 I さんがいらっさるというので、いよいよソージしなければならない。
読書録にもなにもなりゃしないが、この連休(前半)は荷風三昧であった。忌野清志郎の一周忌であった昨日(5月3日)、一日中清志郎の曲をオンエアしていたFMラジオを聴きながら(タマに涙しつつ、そうホント、いいことばかりはありゃしないのであるよ)陋巷に死んだ作家の日録にしばし耽ったのである。
この、羨ましくも痛ましい単身生活者、ランチェと貧窮者の振幅を生きた作家に、僭越ながらてもなく共感…するところが耽美者のオッサンたる処…同時代の教育を受けたはずの I さんに語ればたぶん説教されるであろう(我々男女機会均等法第一期の世代なのだ…)。これからいらっされば語り倒して説教していただくつもり(苦笑)。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)
永井 荷風
岩波書店

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摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)
永井 荷風
岩波書店

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荷風と東京(上) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)
川本 三郎
岩波書店

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荷風と東京(下) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)
川本 三郎
岩波書店

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『断腸亭日乗』を読む (岩波現代文庫)
新藤 兼人
岩波書店

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耽美主義者の懺悔の値打もない

2010-04-26 07:29:47 | 日々茫々録
さらにさらに季節一巡。はい、前回日録エントリから正しく一年経過している。どういうスタイルだったんだっけ、と過去エントリなど参照するところが耽美者(てな一人称だったんでしたね、どうしたものか…)の度し難いところ。しかしあれである、海馬の衰え激しい四十路の峠を折り返した耽美者(しょうことなしにやっぱり使うこの人称…それなりに馴染んでいるらしい…)、昔の記述のあれこれにいちいち驚く。やはりメモリ容量の少ないわが脳味噌の記憶デバイスとしてのブログ、てのは自分のために必要であるなと愚考したのである。昨年から“短歌を詠むこと”をやっとこさ復活させてもみて、これまたアーカイヴとして便利なもんである、と今更気づいた(編年順にカテゴリで格納出来る…いや、当たり前なんだけれども…)こともあり、どちらかといえば格納庫として、たまに茫々と記述してもみたい。…と、いちいち言挙げせずにはいられないから色んなことを挫折する自分なんである…うっかり内省してもみる(苦笑)。

桜もとうに散り敷いてしまった。しかして今朝、起床してみれば世界は一面の雪であった……どうなっておるのだ、としれっと続けたいところだが、これは既に二週間前、4月10日の記述であって、相変わらず同期に失敗しているわが日録なんである……。東京に雪降りしよと聞くたびにこころ傷みて言うこともなし(福島泰樹)、しかしてただしい季節の廻りに雪が置かれるからひとは郷愁に裂かれるようにこころ傷むのであって、この春の不安定さは尋常ではない、よーな気がする(と、一応収束させてみる)。
春の躁鬱が輪舞してバターになるかの感情の狂騒状態、ジェットコースター的に上昇下降する気分に自分自身がついてゆけない。いつものことではあるけれど、今年は特に…更年期症状を疑う程度に…酷かった。それこそトタン屋根の上の猫のよーなもので、内省もへったくれもなし。鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い三月四月を終えて(福島泰樹)、て、つるつる出てくるので最早わたしの短歌ではないかと…いやすみません…とにかくそのように(どのように?)生活に句点を打つべく、のこの記述なんである。
さて現前(4月26日早朝)。久しく眠れず休んだ気がせず起きられず、という悪循環の軛から抜け出せず春鬱をさらに悪化させていた耽美者なのだが、本日珍しくも爽やかに午前四時に目覚めたんである。諦めずにしつこく服み続けているアミノ酸サプリメントのお陰様かしらん…なんとなく躁の匂いもするが…とにかく調子に乗って(?)そのまま起床。本日快晴、らしい。昨日の日曜をまるっと無駄に寝腐れてしまったので仕切り直したいところ。

一昨日は月例の歌会であった。これまた昨年、多分17年ぶり(18になる息子Rの馬齢をもって知る年月…)くらいに復活させてみた歌会出席である(その間存続している、というのがまた有難いところである)。
こちらも自分のためのログとして。

基本、5首連作を持ち寄って合評する。…のだが、まったくもって体を成さず、まさに形無し。
最初の1首が出来て、やっとこさ4首でっちあげ、しかしどうも最初の1首以外は手癖のままに慣性で“拵えた”感が自分でもありあり、やはりその点しっかり指摘される。
提出歌。


少女領

空より剥落しくるもの白く被布(かつぎ)して帝都はあわれ眠り給えり

贋金つくりの生を生きいむとしてナイフ砥ぎおり百日紅(ひゃくじつこう)に裏切られおる

われを拒むさみしき少年身内(みぬち)に飼いおり 花文字で彫る「わたしに触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」

生と死のアンヴィヴァレンツ 拒食の少女恥じらいの国境線(ボーダー)を曳く


漫画家の佐藤史生が今月初めに亡くなった。そのことで春鬱のままに鬱々と内省するところがあり、わたくしのなかのいわゆる“教養主義的なるもの”は正しく80年代の少女漫画によって形成されたのであるな、と思い至ったのである。そのへんが不完全に歌になった。そのうちリベンジしてみたい。


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耽美主義者の柔らかい膚

2008-04-20 23:54:31 | 日々茫々録

記述時間4月17日、やっとこさ週の峠を越えた木曜日。
しかしブルージーどころではない、乱高下する気圧に三半規管が翻弄される一日。関東地方の上空では低気圧と高気圧が逢引でもしていたのだろーか…急激に高度を上げ下げする飛行機内のよーな、または新幹線が高速のままトンネルに突入するよーな右耳の不快感が一日続く。ノイズの膜に遮られ、右耳は殆ど聴こえない。芯からへろへろ、身体が傾いていることである…。

ままならない三半規管を宥め誤魔化しつつ週末、今週中にどーしても発送しなければならない商品の納期が矢張り案の定(制作側は今度こそだいじょぶなのだと言い張っていたのだが、最初の搬入予定どおりに出来上がった試しがないんだからだいじょぶだとゆうその根拠をゆってみろ切れるぞ、ほーらやっぱり間にあわねーじゃねーか、の大変スリリングなw商品)一日ずれ、休日出勤確定。オーマイガッ。しかし別に景気がイイとか、ためにクソ忙しくてずれ込むとかそうゆうことではなくて、単に詰めと部署間の認識の温度差の摺り合わせに(常に)失敗しているだけの話で、末端の耽美者としては空しいばかり。ちぇっ(大人げない)。

そんな訳で記述時間4月19日サタデー、鍵をどこぞに失くしたらしい(何故なんだ…)ボケたR(土曜もガッコはある)が鍵をメーターボックスに入れといてくれというのをさらっと無視して(そんな危険なこと出来ませんて)いつもの時間に出勤する。狐が何匹も嫁に行ったよな天気。さあっと曇り、さあっと晴れる。相変わらず三半規管はノイジーに喚きたてている。手伝ってくれる新人のお嬢さんとひたすら500ばかりの荷物を作る。四時過ぎ、やっと送り出しが終わる。やれやれ。U和駅に着いた途端にパルコの前でR(鍵がなくて彷徨っていたw)とばったり行き合う。相合傘で雨風に吹き嬲られつつ帰る。並ぶと、つくづく小憎らしいほどにでかくなっている愚息なのだった…。しかし言葉は通じないんだな(苦笑)。

パラダイムシフトの衝撃(?)から始まり三半規管の擾乱にはらほれひれはれの今週、自分のためのメモ。

耽美者はじぶんの仕事内容に比して勤務時間の拘束が長すぎると感じていた。今年は仕事面で自分なりに効率化を進め、退社時間を早める勇気を持とうとも思っていたし、じぶんの内部に引き籠る最後のチャンスの年だとも(どうゆう訳か)思っていたんである。仕事から距離を取る気だったのだな。
…このまま持ち堪えられると思っていた訳ではない、けれど仕事でじぶんを棚上げするのをちょっと止めてみよう。要はひ弱くてダメダメなりの自分に向き合ってみたかった。
しかしシフトチェンジを真逆から迫られることになってしまった。180度転換しないとである。このシフトチェンジ、使う側からいえば耽美者が同じ部署の被雇用者のうち最も生活がかかっており(苦笑)、年齢が高く、ふらふら転職する可能性がないからであるが、「かといって何をしろという訳ではないんだけど」しかし何もしなければ耽美者を切る理由になる。つねづね危機感をもって考えていることだが、耽美者が雇用者の立場であれば耽美者は要らない。もっと若く、安い人件費で使える人間がいるはずだから。毎年立ち位置に踏み迷う、春毎に鬱っぽくなる理由のひとつである。しかし生活がある、切られる訳にはイカンのである。

要は流れを掴み、必要とあれば問題点を洗い出し、オリンポス山頂にむけてチームの話が出来るようになれば良いのだな。こんなにコミュニケーション不全なのに(苦笑)。

とりあえず出来ること(ああ…段々日経ウーマン愛読者のエントリっぽく…)。ああでんでん思いつかないのが悲しい。

*会社時間と自分時間のメリハリをつける。
 下心ありあり(?)で荷物が重かったのだが、仕事のときには仕事関連の荷物しか持たないよーにする。橋渡しがあるとすれば小さなメモ帳一冊で。
*自分の勉強をかねて仕事のフローを一覧できる表など作ってみる。
 エクセルで更新する形で洗練してゆけば部内の共有情報に出来る…か?

フローに関する表とゆうことでいえば、データベースがそもそも扱えない。数字を概念化することがそもそも億劫なかよわい脳味噌である。たかが手段に過ぎないが、こうゆう手段をお勉強しようとすると自己目的化して足を取られることもある…常にどこが目的か、の軸を明確にする必要がある。

読書メモ。
以下三冊をこの三日間でざっと併読。気休めのたぐいだけれど、実効性のありそうなもの(タダのカンだ)を選ぶ。いずれも面白く読む。
ロジカル・シンキングについてはも少し突っ込んだ専門書を渉猟してみるつもり。こゆのが何故耽美者の気休めになるかというと、性格的なネックが「大人げない」とこだと自覚があるから。前頭葉の感情野(?)がいっぱいいっぱいになりがちなとこ、頭の中で多少こゆ概念をぐるぐる回しておくと若干抑えが効く、よーな気がする(やっぱり気休め)。三冊目は、他人の遣り方、というのが常に興味の対象だから。何と言うか、こういう考えもあるのだな、とゆう多様性の確認(やっぱりどう回ってもタダの気休め…)。
ロジカル・シンキング入門 (日経文庫)
茂木 秀昭
日本経済新聞社

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ストレスマネジメント入門 (日経文庫 (1136))
島 悟,佐藤 恵美
日本経済新聞出版社

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効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法
勝間 和代
ダイヤモンド社

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この週もヨシケイの食材。献立を決めるのにうだうだしなくて済むので若干夕食の時間が早まった。…といっても九時半なんだけれど(苦笑)。
やれやれ、耽美者にあらざるエントリであった…。
日本画家の松井冬子について記述するつもりでタイトル付けたんだけれどなあ(本日のETV特集、『画家・松井冬子の世界 痛みが美に変わる時』を大変楽しみにして視聴したんである)。常に現前から滑落する、後打ち人生であることよ。仕事もシフトチェンジする隙もなくずり落ちてしまうかもである…やれやれ(とやっぱりへたれて終わる)。


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耽美主義者の暗い月曜日

2008-04-14 23:58:15 | 日々茫々録
またまた朝から篠つく雨、ブルージーなマンデー。一昨日から一段と聴力が落ちた(耳鳴りが増した)自覚あり、止めていた飲み薬を再び飲むことにする。内耳がうわんうわんノイズの膜を張り、世界が遠い…。

昨日の日曜日、売上に対する影響力の大きい某新聞書評欄に弊社の書籍が載ったので(うーん官僚的?センテンス…)すわ追い風吹くかと期待感もあった週明けだったのだが(現在ちょいと閑散期wなので)、地味に推移。あーあ。

先週の記述のとーり、この春先職場における耽美者のパラダイム・シフトがどーしたこーしたと訳の分からん危機感に自ら煽られていた耽美者なのだが、真逆の方向からコレ(?)が来た。あらららら。まずい。本式に危機感だ(?)。
帰宅途中で煽られるままにふらふらと紀伊国屋書店に入り、ビジネス書を4冊。こうゆう訳分からん気休めを自らに施すのが耽美者のダメなところ。買ったビジネス書は耽美者自身のパラダイム・シフト(?)とは何の関係もない、ただ読みたかっただけ。例によって“何の役にも立ちません”。
ああ…せめて明日からあと30分早く起きようそうしよう(やっぱり気休め)。

その数学が戦略を決める
イアン・エアーズ
文藝春秋

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耽美主義者のただの完璧な一日

2008-04-13 23:36:08 | 日々茫々録
一昨日までの霖雨がようよう熄んで、昨日から一転晴れとなる。ビューティフォーなホリディ、記述時間4月13日日曜日。
Just a perfect day,と唄ってみたいような。

ただの完璧な一日 Just a perfect day
公園でサングリアを飲み Drink sangria in the park
暗くなったら僕らは家に帰る And then later when it gets dark we go home
ただの完璧な一日 Just a perfect day  

(“PERFECT DAY” ROU REED)

もの憂く、美しく、哀切な、“完璧な”唄。青空に、曇天に、驟雨に、あらゆる空に死にたくなるような幸福感が螺旋を描いて吸い込まれてゆく、あるいは降ってくる。耽美者は放心して泣きたいときにこのディスクを聴く。デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンがプロデュースした、ルー・リードの“TRANSFORMER”。
ワイルド・サイドを腰を振って歩いていなくても、足を乗せたところには奈落が口を開けているかもしれない。だけどいいのだ、今は陽の光を浴びて/雨に打たれているのだから。doo-doo-doo-doo..



ブラッド&グリッター
ミック ロック
グラフィック社

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トランスフォーマー 2
ルー・リード
BMG JAPAN

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耽美主義者の生きるとはモンキー・ビジネスだ(意味レス)

2008-04-10 23:45:09 | 日々茫々録
朝から雨、篠つくとかそぼ降るとか、そういう可愛げはなくてざばざば降っている春とも思えない氷雨。
春鬱、耽美者の脳内に居座り五月病へ進行しそーな様相。

さて四月第二週、些かくすんだいちねんせい(やり直し)であるところのRの新学期も始まる。余談ではあるが、晴れやかな真新しい制服を着たフレッシュな学生さんとその保護者の方々をそこここで見掛ける度に呪わしく思う自分の狭量さを改めて思い知ったこの一週間であった…人格とは理屈抜きで決まるのだな…。
それはともかく始まってしまえばいつもの日常、朝っぱらから起きろ起きないのささくれるスラップスティックの繰り返しである。家族に於いて反省とは、学習とはなんだ! てかそうゆうもののない関係が家族ってやつなのか、と吠えたい母である。二人暮らしというものが向いてないのだろうか…またまた例によってRの受け答えは理屈の軸が地滑りを起こし、意志の疎通に不自由を感じる(お互いに、だろうか)…いっそ筆談にしよかしら、と通勤ウォーキン(氷雨に濡れつつ)の間も埒もなく考え続ける。しかし根本解決は、ないな…。

さて、現在仕事上暇を託っている耽美者である。ありていにいってひまだ。投げられるボールは受けてきたつもりだが、耽美者は仕事に於いてそんなにアクチュアルなほうではない。なんとなーくパラダイムシフトが起きているんではないかな、と現在大変(自分に)いやーな予感がしているんである…定年まで自分を持たせることが出来るか、どうかさてまったく自信がないのがツライ。せめて常に想定内戦力、欠勤はナシの方向で! とまったくもって志は低い(苦笑)。
ま、そんな耽美者(どんな)だが、朝の一発目の仕事は膨大な迷惑メールを削除することである。かなり空しい。迷惑メールの自動振り分けがあんまり当てにならないので、件名を一応チェックしてさくさく捨てる。会社ドメインのアドレスなので“仕事中にエロサイトを閲覧する閑な男性社員”を想定した件名ばっかりである。英文ならpenisをbiggerに! だし、日本語なら「四十代の性欲だけは止められないオバサン相手だからいつでも中だしok!」(どーゆー理屈だ)なのだ。四十代のオバサンであるところの耽美者はまったくもって不愉快なのだが、こうゆうのに十万人に一人でも(こんくらいの確率でもメール原価がタダに近いのでペイするそうだ)引っかかる奴がいるかと思うと、男性というもの、つくづく海綿体に支配されちゃう生き物なのだなあと感に堪えない。女性は即物的にヴァギナに支配される、それあり得ないからなあと思うことである(ドラマてか、物語がないとね)。
とまあ、迷惑メール(一日大体300から400位来る)を捨てつつ埒もなくぐるぐる思考は左巻きなんであった…。
たまに見るサイト、日経ビジネスオンラインで、“技術”カテゴリの「どう読む! 産業パラダイムシフト」という連載記事の最新エントリに「迷惑メール事業者はこの先どこへ行く? 違法人材リソースはどこへ転じていくのか」てな文があり、ちょっと面白く読んだのだ。違法人材リソース、ねえ…ビジネス用語って、たまに笑える。

さて食材をヨシケイにお任せの今週。
昨日の夕食。サバの一夜干し、具だくさん豚汁、豆腐のかき玉あん。
本日の夕食。親子丼、ブロッコリーのサラダ、エノキ汁。
当たり前かもだが耽美者がテキトーにでっちあげる献立より栄養バランスが取れているのか、昼間そんなにお腹がすかず、間食に走ることがない、よーな気がする(だけ?)。

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耽美主義者のもう死んだっていいようと啼くのであった(剽窃)

2008-04-08 23:22:53 | 日々茫々録

ブルージーな週明け、と書こうとして昏倒してしまいましたとさ、の現前時間4月8日火曜日、春の大嵐。ばたばたと屋根を駆け回るような雨の音(耽美者の部屋は最上階…といっても3階wです)で目覚める。前夜ごちゃごちゃと考え事をしていて(たぶん)自意識の隘路に迷い込み、気持ち悪いまま眠ってしまったので目覚めもすこぶる悪いんである(文章の切れも悪い…)。
雨風が強いので通勤ウォーキン(日課)を断念し、ますます機嫌が悪い耽美者を逆撫でするよーに身も蓋もなく仕事までも閑。持て余すわい。
ところで本日、本来ならばRは始業式である。新入生は(まー大嵐で気の毒なんだが)大学キャンパスのO隈講堂で入学式、蝙蝠てか原級となるRはどちらへも無論だが出席しないので明日のオリエンテーションから新クラスへ編入となる。…と耽美者は推測しただけで、別段書類貰ったわけでもなんでもない。今までさんざん記述してきたよーにたいへんボケたRのことであるから、耽美者は昨夜一応確認してみた。…えーと、いつからガッコへ行くか自分で分かっているかな?
「入学式の次の日だってかーさんが言ったじゃない」
「それは推測しただけです」
「8日って言ったら9日に決まってるじゃない馬鹿って言ったじゃん」
「8日が入学式だと聞いたからです(お前にな)」
「…じゃあもっかい確認してみる(入学式が8日だという確信がない)」
記述しつつも馬鹿馬鹿しくなる、これが押し詰まった7日夜の16歳男子との会話なんであった。キミの未来はスケジューリングしてくれる専属秘書が必須なのかな…母は教育を誤ったのかと(百万回ほど)思わずにはいられない。
そんな昨夜、NHKでやっていた大阪の公立中学校不登校児クラスの取組みを取材したドキュメンタリを(ずっとPCでゲームをやっているRを横目に)視聴する。中学三年の男の子、失業中で(たぶん)鬱病を発症した母親と弟との三人暮らしで、一家は生活保護をうけながらこの男の子が家計や食事をを管理して生活している。不登校ながら、自分の人生のコースが高校進学にかかっていると一念発起して技術系の学校に入るべく猛勉強し、役場へ自分で奨学金申込の手続きをしにゆく。その間にも息子の将来への不安に捉われた母親は薬を呑み過ぎて病院へ担ぎ込まれたりと、大変シビアな状況が彼を取り巻く。しかし無事高校に合格し、卒業の日を迎える。…耽美者は見入ってしまいました、ははは。子供に親は選べない。しようことなしの状況下でひとは自分に出来ることだけに集中しなければならない。他人は動かせない、動かせるのは自分だけ。
似たような環境ではあるのだがな、母親が失業してないだけで。…耽美者やはりちょっとばかりRを構いすぎたのだろうか…ネグレクトしそうな自分の心性に怯えるあまり逆に舵を切りすぎたのか知らん…。とまあ、一生悩むようなことである。

さてそんな機嫌悪し、の耽美者のコンソレーション、昼休みに携帯で吉井和哉のモバイルサイトなんぞチェックする(日課なんである)。トピックス。…今月末の土曜日だったか、チープトリックが三十年ぶりの来日武道館公演!伝説再び!(大好きだ! ラジオでかかる度にあのスコーンと抜けた音に心躍る)なのだが(煽ってみた)、23日13時より都内某所で前夜祭、吉井和哉出演決定! …って、それ夜ぢゃないじゃん! 昼間ぢゃん! 23日…最近閑な耽美者の数少ない仕事上の勝負日だったり…嗚呼…エントリする気も起きないわ…。まったくコンソレーションになりません。萎える…。

という雨で湿ったストッキングも不快な萎え萎えの一日。

さて、今週からヨシケイの食材(試食)を利用している。
昨日は野菜たっぷり焼肉、カニカマ風味サラダ、豆腐の味噌汁。
本日は八宝菜、肉餃子。
メインのおかず、普段耽美者が作らない類のものばかり。R物珍しいよーな食べっぷり。しかしこの二人分、量が多い。高校生男子とけして食が細い訳ではない耽美者の二人でちょっと持て余し、げふ、てな感じ。ちょっと単調かな、とも思う。しかしまあ、便利。そして楽。

久しぶりに記述してみる体重推移。1/31@-1,6kg。(呑んだくれた日の<精確に記述すると>-2,6kgは一瞬で元に戻ったw)甘いものへのデザイアの暴走(?)は収束した、よーな気がする。

次の一行を、願わくば一首を夢に見て眠る。

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耽美主義者が愛について語ること

2008-04-06 21:13:13 | 日々茫々録
この春初めての鳥の囀りを聴いた(て、何の鳥だか分からないんだけれども、鋭いチーッという声)今朝、麗らかな春そのものの日和。
しかし耽美者はでんでん麗らかではないのだった…。
目覚めると、部屋は惨憺たる有様であった。昨日久々にお友達Kちゃんと土曜の昼間っから呑んだくれたのである。久々に完膚なきまでに“潰れた”。潰れたあとの記憶はマダラである。とりあえずトイレに籠り、上から下から大童な状態を糊塗すべくひたすら朦朧とソージしていたことが薄ぼんやりと記憶にある。その後トイレから出て、どーもR(この日アルバイトに出ていて、帰宅したときにはすでに耽美者は全壊していた…)が敷いたらしき布団に倒れこみ昏々と眠った、らしい。Kちゃんがいつ帰ったかも謎である…二人でワイン二本、ビール(500缶)三本、いつもの耽美者なら別段潰れる量ではないのだが、どうも悪酔いしたらしい。互いにニチジョーで溜まりに溜まったガスを抜くべく無理やり集まって呑んだくれたのだが、耽美者には逆作用したのだな。着ていた服は上下とも駄目になった(どう駄目になったのかは書きたくない)。朝、トイレを見たらば床は綺麗にしてあったものの、ドアが大変なことになっていた(どう大変かはやっぱり書きたくない)…どーもドアは視界に入ってなかったのだな。仕様ことなくドアを綺麗にして、シャワーを浴びる。体重計に乗ったら、一晩で二キロ減っていた(胃腸の内容物をすべて排出して水分抜くとこんくらい減るのだな…人間てやっぱり水で出来ているのだ、感心…体脂肪率が上がっているということかw)。
お友達Kちゃんとの話題は例によってお馬鹿さんで、こないだBSでやっていた石ノ森章太郎特集で「仮面ライダークウガ」特別編を再見して盛り上がったKちゃんと再びクウガへの愛を確認し(DVDをまたまた見呆けたのだ)、半田健人くんの非常に正統的なおたく男子っぷりを褒めあげ、その合間にロバ耳をも演じていただいたんである。しかしロバ耳方面が多少ディープになったので、どうも耽美者気持ち悪くなっちゃったのだな。
さて、出すもの出して(苦笑)ヒジョーにスッキリした耽美者である。耽美者は鉄の肝臓を誇っていて、これだけ全壊しても翌日の立ち直りは窮めてスムースなんである。「おかーさんは昨日キミに迷惑をかけたかな?」一応Rにお伺いなどする。「いや別に…いつもじゃん…てかトイレは臭くて汚いからなんとかして」「ソージしたよ?」「ドアんとこひどい」「ドアもしたよ」「じゃあいいよ」だそーである。このよーに逃げ場なく醜態をさらす親子関係が吉凶どちらなのかは未だよくわからない。
さてそんな朝まだき、メーラーを開くとメールが到来していて、返信の必要性を耽美者が勝手に感じるそんなメールである。なので、朝頭がクリアなうちに、と長めのメールを認める。耽美者にしたら渾身のメールで、そんな自分に大変疲れる。…耽美者はたまに自分の正義っぷりに自家中毒を起こすのだ…気持ち悪くなり、しばし放心。

午後から別段予定もないので昨年11月に亡くなったモーリス・ベジャールのダンスビデオをぼんやり流し見する。振付家ベジャールについて、耽美者は一度くらいまとまった文章を書きたいなと思っているのだが、なかなか叶わぬ野望である。本日もそんなプチ野望のもと、タイトルをつけてはみたものの、タイム・アップ。
も少し調子のいい時にしよう。

本日の夕食。鰯の梅煮、ブロッコリの土佐酢あえ、キャベツとベーコンの煮びたし、味噌汁(ジャガイモ、アサツキ、大根の葉)。判る人には判るだろうがほぼよしながふみのレシピ。なんて使えるコミックなんだ…。
総特集 モーリス・ベジャール 1927 ~ 2007 2008年 03月号 [雑誌]

新書館

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耽美主義者の欲望について彼女が語る二、三の事柄

2008-04-05 00:34:26 | 日々茫々録
グッモーニントキオ~~~!!(by ジョン・カビラ)
例によって布団でもぞもぞしているのだが、こんな声が聞こえては起きずばなるまい。月曜から金曜までの週日の早朝、FMラジオ局J-WAVEのサッシャ氏がナビする“WAKE UP TOKYO”とゆう番組を楽しく聴いているのだが、四月の改編で週末のみジョン・カビラが! 一年ぶりに! 復帰するんです~そーなんです~!(あ、コレは弟のほう)“東京ユナイテッド”! と番宣まで勝手にやっちゃう勢いだ。好きなんです…“GOOD MORNING TOKYO”のナビがジョン・カビラからベッショテツヤ氏に代わってからというもの、耽美者の朝はちょっとテンション落ちたのだ。そして全く錆びてないスムースな喋り、無駄に上がれる自在な声! 嬉しいのだ。あの向日性! 眩しくて見えないぞ!(ラジオだからな)

週末だけでもテンション張って行けと、こうゆうことであろうかと相変わらずブルージーな耽美者である。昼休みにちょいと銀行へ行こうかと会社を出て歩く。麗らかな春の好日、アスファルトの上で散り敷いた桜の花弁が渦を巻いていて空気の流れがはっきり分かる。帰りにふらふらとセブン・イレブンに寄ると手書きのポスターが貼ってあって、本日はご存知だろうか“あんぱんの日”なんだそうだ。明治某年4月4日、木村屋の創業者が明治天皇にアンパンを献上したんだそーである…。なるほど、と素直にアンパンを購入する耽美者もたいがいどーなの、である(漉し餡派です)。
そんな訳で本日もデザイアの暴走を自らに許してみたりして。

さて、昨日買った内田樹「女は何を欲望するか?」(新書・改訂版…書誌は昨日のエントリでどうぞ)を読む。この方の著作を一時期かなり熱心に読んだ(といってもご専門であるフランス現代思想やレヴィナスについての論文などではなく、周辺のエセーふうのものばかり)のだが、どうも何を読んでもトートロジーではないかしらという気がなきにしもあらず、しかし無類に面白く読めてしまうのが困る(いや別に困ることはないか…)。この本はフェミニズム批判、というかフェミニズムという卓抜な視点をもった社会理論がなぜ躓いたのか? ちうことを検証した本。
…しかしフェミニズムには根本的な「難点」があった。それはあらゆる社会理論が陥る、ほとんど構造的な「難点」である。
ひとことで言ってしまうと、フェミニズムは「あらゆることをその理論で説明できる」という全能感をもたらした、ということである。(中略)
この全能感は私たちを高揚させ、幸福にし、そして節度を失わせる。(緑色は傍点部)
…ここは…思わずご本人のことかと…。
しかし思わず引用してしまったけれど、耽美者が本を読むのは多分そういうことで、あらゆることはかつて起こり、かつて語られ、かつて敷衍されている。そのことにじぶんを重ね、腑分けし、統合して快感を得る、…つまりそういうことだ、と思い至るとサルトルではないけれど吐き気を覚える。蛸壷である。
私たちは他者の理解と承認を求めて、しばしば自分について語る。(中略)「私は…である」と断定することもある。
 しかし、(中略)そのように自己規定するときに、私の側はつねに何らかの「下心」が働いている。「そのような人間」として他者から「承認」を受けたいという欲望が私の語りをコントロールしている。
 (中略)「私は邪悪な人間です」と断言するときは、「私は自分の道徳性を過大評価するほど非倫理的な人間ではありません」というメッセージを同時に発信している。私たちはつねに何かを言いながら、同時に「それを言うことによって言いたい別のこと」をも語っている。
 だから、私たちはコミュニケーションがうまくゆかなくなると、しばしば苛立って、「あなたは、そう言うことによって、何を言いたいのか?」という問いを相手に向けることになる(ラカンはこれを「子どものディスクール」と名づけた)。

子どものディスクール! 言葉の檻(蛸壷?)に囚われた私/私たち/あなた。あなたは何が言いたいのか? 何者として振舞うのか? あなたがそう見せたいと欲望するあなたと、欲望されるあなたの、どの振る舞いを私は掬えばいいだろう? いいかと尋くのは承認? 
これはネットでペルソナを被って囀るたぐいのコミュニケーション・ツールに耽美者が感じる困惑に過ぎないんだけれど(苦笑)。困惑、というよりも苛立ち。耽美者は思考の脈絡を愛する「おじさん」なので、混沌は苦手なんである。
さあ、なんのことやら(笑)。
語りかけるあなたを欠いて記述してみました。
あらゆることは語られてあって、追記事項は世界にはないのだと思う。知らないだけ。あなたも、私も。

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