耽美者ドメスティック!

「生きること? んなこた下僕に任せておけ」と言ってみたい、貧乏耽美主義者の日々茫々録。

耽美主義者の週明け或いは物憂い終電 【パスカルズ】

2015-08-18 00:42:39 | 漂流的視聴録
今現在、0時41分首都圏某駅であるが…ちなみに週明け(盆休みとも言う)月曜深夜、帰宅を急ぎたい勤労中高年であるところの耽美者(懐かしき一人称)、電車が止まって困惑。何処ぞの駅に人及び警察官が立ち入り運転見合わせ。マイガッ。立ち入りの人は負傷のため暫く電車は止まる、らしい。勘弁して下さいよもう。
うっかり座っているのをいいことに、しれっと記述を始めてみた。六年振り、くらいかしら。面倒なのでいわゆる最近の記事は参照しないけれども。
因みにリアル現前の耽美者(あまりにしっくりくるこの人称よ!わたくしとかあたしとか書いてみたくもあったのだが…)、ただの酔っ払いである。アルコール摂取量缶ビール二本、日本酒二合。もうちょっと勿体ぶって再開させたかったかもしれないこのブログ、酔っ払って台無し。首都圏某線にて立往生のままに記述。某線と言いつつバレバレの北区赤羽駅。負傷した人は搬出困難にて運転見合わせと車内放送が繰り返し。耽美者、帰れません。因みにこの投稿はスマホから。耽美者だって多少は進化(はい、プログレス)しているのである。
さて、そんな訳で耽美者はちゃんと書きたかったんである、ライヴレポとかそういう類を。しょうことなしにやりますが(だって電車が動かない。二日酔いの無念極まる僕のためもっと電車よ真面目に走れ!by福島泰樹〈師匠〉)、素晴らしいライヴであった、本日のパスカルズ。
8月17日代官山〝晴れたら空に豆撒こう〟にて、パスカルズを聴く。
ライヴで聴くのは初めてである。有難いことにお誘い戴いたので、万難を排す勢いで参じた。

と書きつけたところで電車が動き出した。さて1時33分、やれやれ。
ありとあらゆる前振り欲求がーーわたしとは何か、ブログを書いているこのわたしと騙りに関する前提についてーー襲来したので、(ついでに睡魔も)擱筆する(指を止める)。
明日、我に返った自意識の頬を張る感じで真面目に記述したい。
とりあえずyoutubeでパスカルズなぞ聴き幸せな帰路なのである。
5時起きだがな!
では諸君(誰)、また明日。

福島泰樹 短歌絶叫コンサート(月例)/吉祥寺 曼荼羅4月・5月(備忘メモ)

2010-06-07 05:33:46 | 漂流的視聴録
自分のための備忘ログとして。
(へろっと復活させてみたが、ブログなるもの、自分自身の備忘録として甚だ便利であるということに今更ながら気づいたのである…我が不束なる海馬のためのアーカイヴとして、大いに活用したく思う)

4/10
福島泰樹(短歌絶叫)/ 龍(g.v.)/ 永畑雅人(pf)

〈セットリスト〉
タイトルその他いささか信頼性に欠けるわが海馬の朧な記憶による。誤謬思い込みありまくりと思われる。

李庚順 (詩・寺山修司/短歌・福島泰樹)
戦士の休息 (詩・寺山修司/短歌・福島泰樹)
淋しい朝 (散文 短歌・岸上大作/短歌・福島泰樹)
六月の雨 (詩・中原中也/短歌・福島泰樹))
別離  (詩・中原中也)
走れ小僧  (散文 短歌・村山槐多/短歌・福島泰樹)
   *
バリケード・1966年2月 (短歌・福島泰樹/曲 歌・龍)
夕暮(短歌・福島泰樹/キング・クリムゾン “エピタフ”/歌・龍) 
ダンス (詩・中原中也/短歌・福島泰樹)

5/10

福島泰樹 (短歌絶叫)/ 龍(g.v.)/ 永畑雅人(pf)

〈セットリスト〉

朔太郎幻想 (詩・萩原朔太郎)
墓場まで何マイル? (詩 テキスト・寺山修司)
襤褸の旗  (詩 テキスト・長沢延子)
アラビアを往く (詩・中原中也)
夕暮  (短歌・福島泰樹/キング・クリムゾン“エピタフ”/ 歌・龍)
曇天  (詩・中原中也)
真夜中の子供たち (詩・中原中也)
ダンス (詩・中原中也/短歌・福島泰樹)
望郷  (詩・寺山修司/短歌・福島泰樹)


(メモ)畸形化マッチョイズム≠フェミニズム/子供の/少女の/ディードル、ダー、ダー/雨粒のワルツ




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耽美主義者の黄金週間またはシシュフォスの刑罰

2010-05-04 06:50:34 | 日々茫々録
黄金週間、緑耀くホリデーはじまり…と書いて例のごとく既に4日目の5月4日未明、相変わらず同期に失敗してディレィしつつ現前より剥落するわが日録である。季節の変わり目にはいつものことではあるが、蕁麻疹と全身の火照りと孔という孔の痒み(眼球取り出して水洗いしたい)に苦しむ。ホメオスタシス(?)が巧く機能していないのかしらん、精神より先に肉体が滑落ぎみ…とまあ相変わらず大袈裟な記述ではある、赦されよ(誰に)。この、自らの肉感から湧出する情実に即した部分のみ三割増し大仰、てのは『断腸亭日乗』の顰に倣うものである、なんてな。

さて折角の連休、野望はおおいにあった。年末以来放置の窓を拭き、換気扇を外して洗うだの、衣更だのカーテンのほつれた裾を繕うだの(コレは辛うじてやった)、要するに日々のくらしのなかで否応なく毀れつつあるもののリタッチ、コレが一念発起しての野望になり果てるところが耽美者の生活者としての能力の低さを物語る。
この低き場所より言わせていただければ、生きるてなそれだけでシシュフォスの苦行である。覚めて動けば埃は舞いあがり家電に積もり、日差しに晒されて布帛類は褪色し、またほつれる(エンドレス)。この、埃だのほつれだのが視界に入るとそれだけで耽美者のしょうもなくもか弱き心は萎え、挫けるのである。この徒労感を淡々と遣り過ごしておられるかの(ように見える)世間の皆様がただ眩しい。ソージは趣味、とでも言挙げしなければ息をするのもメンドクサイ、と180度方向性を間違えたデスぺレートな心性(?)に自ら翻弄されておる訳である…と何行も費やして何を記述しているのかというと、まあその、そのような野望をほぼ放棄し去って寝腐れ、本を読み耽っていたんであるよ、てなことである。
このしょうもない野望と湧きおこる徒労感について、大人げなく息子Rに述べ立ててみる。したらば「自然の恒常性とバランス保とうとするつーのは要するにソージすることないって話だからいいんじゃね?」と屁のような理屈を捏ねてくれたので、赦されて(?)そのまま寝腐れたのであった。やれやれ。

そんな連休前半、寝腐れつつ読んだ『荷風と東京』(川本三郎)が今更ではあるが大変面白く、ついついアマゾン様(大嫌いだと言いつつ相変わらずいいようにしてやられている…)で寝ながらにして『摘録 断腸亭日乗』上下巻、さらには『「断腸亭日乗」を読む』(新藤兼人)なんぞを即日注文、落手してまたまた読み耽る。思わずこのよーな未明を迎えてしまったが、本日(辛うじて同期、の現前)お友達 I さんがいらっさるというので、いよいよソージしなければならない。
読書録にもなにもなりゃしないが、この連休(前半)は荷風三昧であった。忌野清志郎の一周忌であった昨日(5月3日)、一日中清志郎の曲をオンエアしていたFMラジオを聴きながら(タマに涙しつつ、そうホント、いいことばかりはありゃしないのであるよ)陋巷に死んだ作家の日録にしばし耽ったのである。
この、羨ましくも痛ましい単身生活者、ランチェと貧窮者の振幅を生きた作家に、僭越ながらてもなく共感…するところが耽美者のオッサンたる処…同時代の教育を受けたはずの I さんに語ればたぶん説教されるであろう(我々男女機会均等法第一期の世代なのだ…)。これからいらっされば語り倒して説教していただくつもり(苦笑)。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)
永井 荷風
岩波書店

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摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)
永井 荷風
岩波書店

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荷風と東京(上) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)
川本 三郎
岩波書店

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荷風と東京(下) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)
川本 三郎
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『断腸亭日乗』を読む (岩波現代文庫)
新藤 兼人
岩波書店

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耽美主義者の懺悔の値打もない

2010-04-26 07:29:47 | 日々茫々録
さらにさらに季節一巡。はい、前回日録エントリから正しく一年経過している。どういうスタイルだったんだっけ、と過去エントリなど参照するところが耽美者(てな一人称だったんでしたね、どうしたものか…)の度し難いところ。しかしあれである、海馬の衰え激しい四十路の峠を折り返した耽美者(しょうことなしにやっぱり使うこの人称…それなりに馴染んでいるらしい…)、昔の記述のあれこれにいちいち驚く。やはりメモリ容量の少ないわが脳味噌の記憶デバイスとしてのブログ、てのは自分のために必要であるなと愚考したのである。昨年から“短歌を詠むこと”をやっとこさ復活させてもみて、これまたアーカイヴとして便利なもんである、と今更気づいた(編年順にカテゴリで格納出来る…いや、当たり前なんだけれども…)こともあり、どちらかといえば格納庫として、たまに茫々と記述してもみたい。…と、いちいち言挙げせずにはいられないから色んなことを挫折する自分なんである…うっかり内省してもみる(苦笑)。

桜もとうに散り敷いてしまった。しかして今朝、起床してみれば世界は一面の雪であった……どうなっておるのだ、としれっと続けたいところだが、これは既に二週間前、4月10日の記述であって、相変わらず同期に失敗しているわが日録なんである……。東京に雪降りしよと聞くたびにこころ傷みて言うこともなし(福島泰樹)、しかしてただしい季節の廻りに雪が置かれるからひとは郷愁に裂かれるようにこころ傷むのであって、この春の不安定さは尋常ではない、よーな気がする(と、一応収束させてみる)。
春の躁鬱が輪舞してバターになるかの感情の狂騒状態、ジェットコースター的に上昇下降する気分に自分自身がついてゆけない。いつものことではあるけれど、今年は特に…更年期症状を疑う程度に…酷かった。それこそトタン屋根の上の猫のよーなもので、内省もへったくれもなし。鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い三月四月を終えて(福島泰樹)、て、つるつる出てくるので最早わたしの短歌ではないかと…いやすみません…とにかくそのように(どのように?)生活に句点を打つべく、のこの記述なんである。
さて現前(4月26日早朝)。久しく眠れず休んだ気がせず起きられず、という悪循環の軛から抜け出せず春鬱をさらに悪化させていた耽美者なのだが、本日珍しくも爽やかに午前四時に目覚めたんである。諦めずにしつこく服み続けているアミノ酸サプリメントのお陰様かしらん…なんとなく躁の匂いもするが…とにかく調子に乗って(?)そのまま起床。本日快晴、らしい。昨日の日曜をまるっと無駄に寝腐れてしまったので仕切り直したいところ。

一昨日は月例の歌会であった。これまた昨年、多分17年ぶり(18になる息子Rの馬齢をもって知る年月…)くらいに復活させてみた歌会出席である(その間存続している、というのがまた有難いところである)。
こちらも自分のためのログとして。

基本、5首連作を持ち寄って合評する。…のだが、まったくもって体を成さず、まさに形無し。
最初の1首が出来て、やっとこさ4首でっちあげ、しかしどうも最初の1首以外は手癖のままに慣性で“拵えた”感が自分でもありあり、やはりその点しっかり指摘される。
提出歌。


少女領

空より剥落しくるもの白く被布(かつぎ)して帝都はあわれ眠り給えり

贋金つくりの生を生きいむとしてナイフ砥ぎおり百日紅(ひゃくじつこう)に裏切られおる

われを拒むさみしき少年身内(みぬち)に飼いおり 花文字で彫る「わたしに触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」

生と死のアンヴィヴァレンツ 拒食の少女恥じらいの国境線(ボーダー)を曳く


漫画家の佐藤史生が今月初めに亡くなった。そのことで春鬱のままに鬱々と内省するところがあり、わたくしのなかのいわゆる“教養主義的なるもの”は正しく80年代の少女漫画によって形成されたのであるな、と思い至ったのである。そのへんが不完全に歌になった。そのうちリベンジしてみたい。


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こわれもの・わたしの男/2010.2/歌誌 月光 №15 (2010.4)/改稿

2010-04-04 19:15:34 | 短歌 journal 格納庫
(タイトル/制作期/発表媒体)
自分自身のためのログとして置く。
これらの朦朧体の歌たちが他者に触れることがあれば、更に歓びである。
これ以前のものは塩漬けサイトに格納してある。



こわれもの/わたしの男


プロパティ書き換え再起動せり上書きされおるわたしの男

氷上に錐揉みする青年のたましいよ垂直に錘せよ

わが暗がりの胃袋は椅子ひとつ倒すことなく吊られ揺れおる

ノイジーな世界隔てて孔(あな)に膜はる(*)くちづけはハモニカのように
             *The Yellow Monkey  「4000粒の恋の唄」

塵芥(ちりあくた)その他(た)鴨など流れ寄る破(や)れ髪なびく川の女に

おんなおみなと食みだすことなく納まれる柩 壊れたくはないか

わたしの男と呼びたしただそれだけで赦せよ不意に女の顔する

たましいを曳く羊飼い在らざる迷宮に飼い殺したし ミノ わたしの男

この結び目を解いてくれ 緩き脂肪に繃かれおるしずかな肉の

胃袋の酸 惨として逆流せり にせの花々路上に咲かせて

魚卵の血滲みだすように地を汚す陽を浴びており傾斜する背に

カテゴリ・女と収納されいき髪もて脚拭くマリアもわれも


未公開のエクスペリエンス・ムービー
THE YELLOW MONKEY,吉井和哉
ヒートウェーヴ

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